Vol.02:フスマにかけろ


 平成23年4月4日に彗星の如く現われて、多くのメディアで取り上げられ一気に関西屈指の人気店へ。今までのラーメン屋のイメージを変える数々の仕掛けでメディアからは"変態"とか言われていた時期もあるが、店主の本当の姿を知ってる人は少ない。インタビューを受けて頂けるということで、少しでも店主の実態に迫っていけたらと思う。”フスマにかけろ”実藤店主へKRK直撃インタビュー。


─出身は?

「大阪府寝屋川市。」

 

─ ラーメンの世界に入ったきっかけは?

「22歳頃まで寝屋川にいて、施工会社に務めていました。当時から接客業への興味は持っていました。会社が倒産の危機になって辞めた後、その会社の先輩から『ラーメン屋やりたいねんけど?』と電話がありました。それで一緒に寝屋川市でラーメン店を立ち上げから手伝うことになりました。当時は時々ラーメンを近所の店で食べる程度で、飲食店をしたいって気持ちだけで手伝っていました。」

 

- ラーメン食べ歩きとかしてたんですか?

「その先輩が店オープン前に『屋台でラーメンを売りながら、北海道の端から端まで一緒に旅しようか?』と突然言い出し、一緒に北海道へ行くことになりました。それが最初のラーメン食べ歩きでしたね(笑)。当初の計画通りに宗谷岬へ着いたんですが、真冬だったので(笑)寒いのと風が強いのでスープを炊くどころでなく、人も誰もいないし、2時間くらい頑張ったけど結局あきらめて撤退しました。それから車で寝泊りしながら、普通に北海道のラーメンを食べ歩きだけの旅になりました。22歳の頃の話です。」

 

─北海道でラーメンに更に興味を持った?

「初めてのラーメン食べ歩き、連食にも慣れてなかったので、正直、最初は苦痛でしたね(苦笑)。先輩は凄く食べる人でした。最初の一杯は美味しいけど、後は苦しいだけでそれが何日も続いたので大変でしたね。その時に、たぶん今、ラーメン屋をしてるきっかけとなる出来事がありました。すみれ本店さんにお邪魔した時に美味しい一杯を食べて店を出た時、10人くらいのお客さんが外に並んでいたんです。そしてお客さんがとても楽しそうに店の中に入っていくのを見た時に『え~、ラーメン屋さんって、そんなんやねんや?』って驚きました。テーマパークの乗り物に並ぶようなウキウキしたお客さんの表情を見た時、ラーメン屋さんって凄いなって純粋に思いましたね。今までは何となくラーメン食べ歩きしてたけど、この時、ラーメン屋さんって凄い仕事なんだなって初めて感じました。」

 

- やっとラーメン店をオープンすることに?

「そして北海道から帰ってきて、予定通り、社長(先輩)とラーメン店をオープンしました。3年ほど働いた後、社長との意見の食い違いから退社することになりました。その後、2年ほど人材派遣の会社で働いていましたが、ラーメン屋への情熱がずっと残っていて、飲食業もしてる某会社に入社しました。その会社に3年ほどお世話になってる間に居酒屋からイタリアン、、いろいろ経験を積ませたもらい、それからいろんな方の協力もあって、自分の店をオープンできることになりました。」


麬にかけろ 中崎壱丁(2011年4月4日オープン)


─屋号の由来は?

「フスマは小麦の皮です。友人と話をしてる時に『いろんな人に親しんでもらえるような屋号がいいな!』ってなり、"リングにかけろ"から"フスマにかけろ"ってノリで決まりました(笑)。中崎壱丁も"出前一丁"から生まれました(笑)。愛着を持ってもらってる言葉からウチなりにアレンジしてってノリで"フスマにかけろ中崎壱丁"って決まり、『分かりやすい方がいいな~』って話してたら、誰かが『じゃあ、もう住所を屋号にしたらいいんちがう?』って(笑)。『あ~、おもろいやん』ってなり、正式に屋号が決まりました。勢いですね(笑)」

─その時点でラーメンの方向性は決まっていた?

「当時は拳ラーメンさんとかの複雑なニューウェーブ系がスポットを浴び始めてた頃でしたね。どこかのラーメン屋さんのラーメンってよりは、イタリアンのボンゴレビアンコとかのパスタのイメージから考えていました。東京の不如帰さんのラーメンは本で見たりして意識していましたね。」

 

─麺を選べたり、昼と夜でメニューが違ったりで話題に。

「話題になるためでなく、オープン当初は一人でしていたし、正直、技術が無かったですね。両方出す予定で頑張ってたけど、オペレーションの関係でオープン直前になって昼と夜に分けたってのが真実です。

 ただ、自分がラーメン屋さんをやる上での方向性としては『新しいアプローチの仕方でラーメン屋さんをしていきたい』ってのはありました。作るラーメンに関してもそうですが、ラーメンの見せ方、お客さんの見え方、今までにない違う形にアプローチして、お客さんに『ラーメンってこんなに面白いんだよ』って伝えていきたかった。だから店内にマニアックなラーメンの本を置いたり、海老油を入れるとか、オープン当初にはジンジャーオイルってのを置いてたし。そういう見せ方も『ラーメン屋でこんなの初めてやわ。面白いな』って思ってもらいたいって気持ちがありました。麺を選べることに関しては、オープン前に自分ではどれがいいのか決めれずに悩んでいたら、棣鄂の知見さん(麺屋棣鄂HP)が『お客さんに選んでもらったら?』って。それで面白いと思い決めました。」

─新しいアプローチへの周りの反応は?

「正直、周りの反応を気にしてる余裕がなかったですね。お陰様でメディアなどで話題にして頂いたので、朝4時まで働いて、店で3時間だけ寝て、朝7時に起きたら仕込みってのがずっと続いていたので。お客さんの反応を見る余裕が全くなかったです。当時は正直、しんどくて、しんどくて、時々休ませてもらっていて、2年目くらいには身体を壊して、昼営業だけにしてた時期もありました。その後、人を雇うようになり営業は回り始めるが、今では人を育てることに悩むことが多くなりました。違うアプローチで違うコンセプトの店のアイデアは考えたりしてるが、なかなか進まないのが現状です。」

 

─限定を連続で出してたをやめたのは?

「その当時はイメージとして『ラーメン屋さんは限定をやらなあかん!』ってのが自分の中でありました。こんなラーメンをやってみたいってのもあったし。ある時、オープン当初から2~3ヶ月に1回来てくれてるお客さんが来店してくれた時に限定が売り切れてることを伝えると、『普通のラーメンでも俺にとったら限定みたいなものだから』って言われたことがあって、ハッと気づかされた。『そっか~。たまに来てくれるお客さんからしたら、そんなものなんだな』って。それまでは意識をマニア層に向けていたし、ネットでの評判も意識していたんですが、落ち着いてくると、毎週来てくれてるお客さんもいてくれてるわけで『やっぱり元々のラーメン(レギュラー)に力を入れないとアカンな』って思いました。」



─ 意識してるラーメン屋さんは?

「当然、井川くん(株式会社Warm Heart 社長)は意識しています。同年代ってのもあるし、方向性も似てる。何かお客さんに楽しんでもらえる工夫をしていきたいって気持ちがある。形は違うけど、根本的な考え方が似ていますね。」

 

- ラーメン食べ歩きを本格的に始めて?

「自分は根本的にはクラッシックなラーメンが好きです。例えば、以前、Facebookのプロフィール画像を春木屋さんの写真にしてたり、荻窪系とか好きです。関西でなら食べ手として食べた中では”あす流さんの塩”がとても好きです。」

 

─ 普段好んで食べるのは?

「食べるので一番好きなのはお寿司。美味しい寿司屋さんには余裕がある時に頑張っていきます。和食割烹や魚系の創作系の店に行く事が多いですね。」

 

─ ラーメンショーなどへの参加は?

「人間関係も広がりましたし、よく店に来てくれるお客さんと店の外で会う機会ができましたね。わざわざ遠くまでたくさんの常連さんが来てくれるのが『ちゃんと関係を築けてたんや』って嬉しかったですね~。多くの店がある中でウチのラーメンを選んで食べてくれるのが嬉しかったです。それで催事にも積極的に参加しています。」

 

─今後は?

「コンセプトは自分の中では幾つかあるけど、形を作ってる段階。気持ちとしてはいつか東京にも出してみたい。チャレンジ的な感じで1回挑戦してみたいな。そういうチャンスがあった時に動けるように準備してる段階です。」

 

─一番大切にしてることは?

「ラーメンの新しい楽しみ方を自分が形にして、お客さんに知ってもらえたらなってのを強く思っていて、お客さんの感動だったり喜び、ラーメンというものに対しても貢献できるのかな?って気持ちがあります。そこはこれからも大事にしていきたいって思っていますね。」



<店舗情報>

麬にかけろ 中崎壱丁 中崎商店會 1-6-18号ラーメン

大阪府大阪市北区中崎1-6-18 

Twitter:https://twitter.com/ksxxxcom1

 

(取材・文・写真 KRK 平成27年9月)