Vol.03:豚骨やたい 九州雄

田園風景が広がる草津市穴村町。そこに2009年10月6日、一軒のラーメン屋さんがオープンした。当時は住所を入力してもナビで特定できなかった場所だ。ちょうど大型台風が来る前日だったのを憶えている。聞いてみると、店主はあの大阪の名門「天神旗」出身。名門出身のサラブレッドがなぜ遠く離れたこの地で開業したのか当時から興味があった。今回、話す機会を頂いたのでいろいろ聞いてみようと思う。九州雄 坪井店主にKRK直撃インタビュー。

 


─出身は?

 

「生まれは長崎県です。高校卒業後、18歳の時に大阪へ就職で出てきました。某社の営業マンでした。営業初日から『すぐに辞めよう』って思ったけど、学校の紹介で来てたので仕方なく半年ほど働いていましたね。ただ、なぜか僕の九州弁が営業先のお客さん達に評判良くて、営業成績がすぐにトップになってしまった(笑)。」

 

─その頃、ラーメンは?

「九州時代はよくラーメンを食べていたけど、大阪へ来てからは全然ラーメンを食べてなかった。単に美味しいと思うところが無かったから。」

 

─営業マンの後は?

「退職して、次に建築をしていました。それが20歳の頃。その頃に、偶然に天六(天神橋筋六丁目)にあった天下一品でラーメンを食べて衝撃を受けたんです。豚骨しか知らなかった人間だったので、天一のラーメン食べて『こんな美味しいラーメンあるんだ?』って驚いた。それをきっかけにいろんな店を食べ歩くようになったけど、『やっぱり俺、天一が好きだな』ってなり、昼は建築で、そして夜は天一の某店でバイトを始めました。調理から接客から何でもしていましたね。その生活を続けながらラーメン食べ歩きも続けていて、ある日、天神旗に出会ったんです。ラーメン本か何かで見つけたんだったかな??」

 

─どんな出会い?

「九州時代に食べてたのと違い、濃厚でしたね。何か表現しにくい感覚というか、心とか脳に来る何かが天神旗から伝わってきた。もう初めて食べた翌日には天神旗に電話しましたね!『募集してませんか?』って(笑)。すると『バイトはもういっぱいや~』って言われたけど、『いや、、社員とか弟子とかで雇ってもらえませんか?』って粘ると、『あ~、それやったら雇おうか~』って言ってもらえた。ピーンと来て、すぐに電話したのはもう恋愛みたいなものですね。それが22歳頃だったかな?」

─天神旗では?

「自分が入って、半年後にえぐち(現・麺屋えぐち店主)」が入ってきました。親方が凄く職人だったので、経営とかがお金とかじゃなく、ホンマに『美味い豚骨を作るたい』ってだけだったので、今日やってたことが明日には急に変わっていて。。レシピってのが存在せず、炊きながらやってるので、その時、その時で豚骨ってのは顔が違うので。入って半年くらいはスープなど教えてもらえなくて、ずっと接客ばかりしてましたね。親方は職人ですからお客さんとペラペラしゃべらず、ラーメンで対話してる人でした。親方のラーメンに惚れて入ったけど、中に入ると『怖そう~』って(笑)。『二度とくるな、ボケ!』とか怒られたりしてましたよ。でも怖そうに見えるけど実は優しい。やっぱり惚れますね。今だに好きですもん。あと、人を見極める力が凄くあったと思う。だって凄くないですか?天神旗から独立してる店って、えぐち、やす田、九州雄。。各地で名前が出てる店ばかりでしょ?」

 

─独立をいつから考えてた?

「天神旗で3年経った頃に、親方に『独立します』って言いました。最初は大阪でやるかとか考えてたけど、嫁が滋賀だったので、親方が『滋賀とかどうやねん?』って言ってくれました。九州から来たので関西の土地勘が何も無かったので『滋賀って関西なんですか?岐阜の方ですか?』って聞いたりしていたな~(笑)。それから『一回行ってきますわ~』ってことで、滋賀をいろいろ調べるようになりました。テナントから入っていろいろ調べてたら、『土地が安いな~』って感じになって親方に相談すると、『それならお前な、土地を買って家を建てて、自宅の一階でやったらどうや?』って言われた。お金のこととかでいろいろ悩んだけど、それからテナント探しから土地探しに変わった。それから土地見つけて契約して、家建てて、営業開始まで1年くらいかかりましたね。」


─この場所に決めたのは?

「天神旗で働きながら、毎週休みの火曜日に滋賀へ来て、雪が嫌いだったので雪の降らない所を探してて、野洲川より下とか絞っていた(笑)。当時25~26才だったのでお金も無かったので、場所はどこでもよかった。で、当時、資材置き場だった今の場所が見つかりました。」

 

─オープンは?

「2009年10月6日。28歳の時?大型台風が来る前日でしたね。」

 

─屋号は?

「建築時代に、先輩が『お前、九州の人って九州男って名前多くないか?』って言ってたのを思い出して、ネット検索したら出てこなかったので『それでいこう』って決めたら、しばらくしてから九州男ってレゲエ歌手の人が出てきて、あっちの方が有名だからパクリとか思われたくなかったので、何か違うのを考えようと悩んで、雄って強いイメージあるし、男臭いとかイメージがあったので『九州雄』に決めました。」

─最初から豚骨と決めていた?

「豚骨しか考えてなかったです。他のことは全く頭に無かった。」

 

─意識してる店?

「最初は滋賀県のラーメン屋さんを食べ歩いてて、こんな感じなんだな~ってなってて、それから麺を仕入れてる福岡の麺屋さんが『三重や名古屋にもお客さんいるよ~』って言ってたので、暇な時になみへいさん(三重県四日市市)に行くと『あ~、美味しいな~』って驚きました。名古屋のお店さん達は「経営が上手だな~」って印象でしたね。」



─師匠は関西の自家製麺の第一人者として有名な方。自家製麺は考えなかった?

「自家製麺を習うと、しっかり自分のものにするのに数年かかるじゃないですか?スープだけじゃなく、麺にも頭がいるじゃないですか?正直、そこまでして自家製麺をしようとは思わなかった。豚骨にだけ集中したかった。」

 

─名刺を店内の壁一面に貼ってるのは?

「単に店内が殺風景だったから。最初、自分が持ってた名刺を全部貼ったんです。『絵になるかな~』て思って。」

─店の雰囲気は?

「田園風景なので、こんなところで小奇麗な店をしても似合わない。だったら、こういうノリで違和感ないような『どこでも食べれるやん』って感じで。ラーメンに大事なのは、安い、早い、美味いなので、内装に力を入れる必要は感じなかった。内装に金かけるくらいなら、ラーメン作りに金をかけたかったです。」

 

─県内のラーメン屋さんとは?

「個人的には仲良い人もいるし、飲み会とかもやってる。ただ「~会」とかで集まって店の繁栄のためにみんなで何かするってのはしたくなくて、僕は人の力を頼らず、自分の力だけで繁盛させたいって思っています。グループに入ってしまうと、自分の我を通せなくなる。」

 

─お弟子さんは?

「独立志望の弟子をとるのは考えてないけど、社員は今、3人います。考えてるのは九州雄として3店舗を出して、安定したら法人化したい。滋賀県内で5店舗はいきたいし、県外への展開も今、考えてるところです。」

 

─趣味は?

「ゴルフです。魚釣りも好きだったんですけど、バス釣りが嫌いだったので海釣りだと福井まで行かないといけないから困っていて、『何をしようかな?』って考えてたら、近くに打ちっぱなしがあったので、ゴルフをするお客さんに『教えてくれへん?』って頼んで始めました。コースも周ってるし、今は琵琶湖放送とコラボで250人のコンペとかしているんですよ。」


─大切に思ってることは?

「個人的としては、自分の我を捨てること。人の話をよく聞くこと。人を認めること。あとは自分自身が人間としての勉強を怠らないこと。ラーメンじゃなく、人として。皆がついてきたくなる人間になる。同姓からもモテる人間になりたい。店としてはかっこよくなりたい。かっこいいってのは捉え方がいろいろあるけど。お客さんから見て『かっこいい店』と思ってもらえる店にしたい。挨拶をちゃんとする。遅刻をしない。約束を守ることとかも。」

 

─今の九州雄は?

「今まではラーメン屋の親父スタイルだったし、一人だけが出過ぎてる感じだったけど、今は『なでしこジャパン』になろうと頑張っています(笑)。だって、ポジションごとにみんなが必要とされてる。九州雄ジャパンにしようと去年から思っています。それまでは我が強過ぎていてギラギラしていて、周りの人間が離れていってた時期があった。正直、『もう廃業しようかな?』って悩んでいた時期もありました。自分に惚れて入ってきた人たちが自分を見限って離れていくのが辛かった。」

 

─誰かにアドバイスをもらった?

「はい。知り合いの社長さんとかにアドバイスをもらいました。で、勉強もしました。企業の経営の倫理観とか。それと今まで辞めていった人達に『当時は言えなかったけど、今なら言えることを言ってくれ』と頼んで、自分を見つめ直していましたね。」

 

─今は人に恵まれてる?

「いまは『自分が変わるとこんなに人が寄ってくるのか?』って驚いてる。ラーメンの味だけじゃなく、人も大事にしている。」

 

─今日はありがとうございました。

「いやいや、まだしゃべりたい(笑)。」



<店舗情報>

豚骨やたい 九州雄

滋賀県草津市穴村町250-6

店主Twitter:https://twitter.com/kusuoanamura


(取材・文・写真 KRK 平成27年9月7日)