Vol.129:中華そば ひのき屋


 今回取材させていただくのは、中華そば ひのき屋。かつて奈良市で営業していたので、その頃は私もよく通っていたお店だ。奈良時代も多くの常連客に愛されていて、当時、某ラーメン本の塩GPを受賞するほどの実力店だった。それから大阪へ移転してしまったので足が遠のいてしまっていたが、最近、どうしているのか気になったので、店主に取材する時間を作っていただいた。店主のキャリア、奈良を離れた理由、いろいろ聞いてみようと思う。"中華そば ひのき屋"西田店主にKRK直撃インタビュー!


- 出身は?

「大阪の城東区です。」

 

- 料理をするきっかけは?

「兄が大阪で料理人をしていたんです。僕も高校は工業高校だったんですけど、先輩が京橋の寿司屋にいて、『ウチで働かないか?』と誘ってくれたんです。それで高校卒業後にその寿司屋に入ることにしました。でも、そのお寿司屋さんはシャリも炊かない握るだけのお店だったので、働いている内に『もっと料理を勉強したいな。寿司じゃなくて割烹とか習いたいな』と思うようになりました。それでそのお店を1年ほどで離れることにしました。」

 

- 料理をもっと勉強したくなってから?

「当時は料理の世界には部屋制というのがあって、料理人がどこかの部屋に所属して、そこからの紹介でいろんなお店に行くってシステムでした。僕も兄貴の親方の紹介で部屋に入り、和歌山とかいろいろ廻りましたね。師匠がかなり厳しい方で、今の時代とは違って殴られ蹴られの毎日でした。師匠に付いていたのは24歳頃までですから、約6年ほどでしたね。」

 

- 師匠から離れてからは?

「それから華板になり、大阪で小さいお店ですけど自分1人で任されるようになりました。毎日の仕入れをして、献立も決めて、お客様にお出しする。充実感がありましたね。料理を好きな人って『料理を作るのが好き』って人もいますけど、『お客様の反応を見て充実感を得る』って人もいる。僕は後者の方でしたね。そのお店は3年ほどさせていただきました。」


 - 独立志望はずっとあったんですか?

「もちろん、ずっとそれが目的でした。」

 

- 所属していた部屋から離れるんですね。

「27歳の時に独立を決心し、東大阪市の近大通りで自分のお店を始めました。最初、居酒屋だったんですが、学生さんばっかりでお昼の定食が凄く忙しくなってきたので、居酒屋をやめて定食屋にしました。屋号は『味の店 あすなろ』でした。」

 

- 定食屋はやりたい店ではなかったんですよね。

「自分のやりたいことではなかったんですが、その場所では仕方なかったんですよ。どうしても居酒屋がしたかったので、そこで5年ほど頑張って資金を作ってから大国町へ移転しました。もう25年前くらいの話ですね。」

 

- 念願の居酒屋を始めて?

「1年くらいしましたが、全然駄目でしたね。その時に友達が酒のディスカウントの店を始めて、『敷地内で野菜や魚の店もやりたいから手伝ってくれないか?』と誘ってくれたんです。迷ったんですけど、居酒屋も赤字続きだったので『面白いかな』と思って、そのまま魚屋を1年くらい手伝いました。それから次は焼肉屋を友達とすることになって、その店が当たって、大阪市内で8店舗くらいまでなりました。僕は料理長って形でした。その会社では10年くらいお世話になりました。」

 

- 成功していた会社から離れた理由は?

「40歳を超えた頃に体を壊してしまって、長く休職することになったんです。そのまま会社には居づらくなってしまって離れることにしました。」

 

- ラーメンはいつ出てくるんですか(笑)?

「体を治してから、交野市にある餃子のメーカーで働き始めました。そこで餃子の製造卸をしながら、ラーメンの麺を作ったりもしていたんです。それでラーメン屋に麺を配達している内に、ラーメン屋も面白いなと思い始めました。和食をしていたので、そこそこのものは作れるだろうと思ったんです。それでラーメン屋をしてみようと決心しました。」


ひのき屋(2011年4月5日オープン)


- 屋号の由来は?

「最初のお店が"あすなろ"だったじゃないですか?あすなろはヒノキ科の植物で、『明日は檜になる、明日は檜になろう』という形で"ひのき"を目指して大きくなろうとするんですけど、そんなに大きくならない木なんですよね。木は"あすなろ"から"ひのき"にはなれないけど、自分は"あすなろ"から"ひのき"になろうという意味で屋号を決めました。」

 

- なぜ奈良でお店を?

「40歳頃に結婚して、奈良に家を買っていたんです。それで奈良でいろいろ物件を探して、あの場所に出会ったんです。」

 

- 試作も続けていたんですか?

「お店を決めてから、鶏ガラとか使って試作を重ねていました。奈良の他のお店を見て廻る暇は全く無かったですね。」



- オープン時のメニューは?

「中華そば醤油、つけ麺、餃子、唐揚げとかでしたね。鶏ガラと豚骨ミックスの清湯系あっさりでしていました。」

 

- 店は順調でしたか?

「全然ダメでしたね。途中から白湯系をし始めて、それから少しずつお客様が増えてきました。ちょうどその頃に奈良の店主たちが集まった大和Noodle店主会(公式HP)に誘ってもらったり、ラーメン本で関西塩グランプリをもらったりしてて、どんどん上り調子になっていきました。」

 

- 大阪への移転を考え始めたのは?

「大阪でやりたいなとはずっと思っていました。人口も多いですし、元々は大阪で料理をしていましたから。」


中華そば ひのき屋(2014年4月14日オープン)


- この場所は?

「居抜き物件を探していて、ここに出会いました。探し始めてから、すぐに決まりましたね。」

 

- 奈良時代からメニューの変更とかは?

「新しいメニューを増やすってことでなく、『極み中華そば』が奈良でも人気だったので、もうこれ一本でいこうと思いました。」

 

- 毎月の限定も評判いいですね。

「本当はレギュラーに絞ってした方がいいとは思うんですけど、自分がいろいろやりたいタイプなので続けています。楽しいですからね。限定の中でも鯛のラーメン、鯛ラーメンと鯛飯のセットが特にお客様に人気ですね。」


鶏の極み塩中華そば


- 看板メニュー「鶏の極み塩中華そば」の紹介をお願いします。

「鶏出汁に、魚のアラとか貝とかの旨味を合わせています。たまたま近所の鶏屋さんと知り合って、今年(2019年)になってから阿波尾鶏を使うようになりました。」

 

- 最後に一言お願いします。

「さっきも話したように、僕はお客様の反応を見て満足感を得るタイプ。だから本当はカウンターにして、お客様と対面でしたいんです。でもちょっと狭いと言われてできなかったんですが、何か良い方法を見つけたいですね。」 



 <店舗情報>

■中華そば ひのき屋

住所:大阪府大阪市城東区成育4-4-29

Twitter:https://twitter.com/MytYuka

 (取材・文・写真 KRK 令和元年5月24日)