Vol.11:麺屋 丈六

裏なんば。今では大阪で最もHOTなエリアとして注目されているが、数年前にはまだ何も無く夜になると真っ暗になる地域だった。そんな通行人も少ない路地裏の場所に2010年12月、一軒のラーメン屋がオープンした。経験豊富な店主が作る本格派のラーメンと、店主自身の個性的なキャラも手伝って、一気にブレイク。その後の活躍はもう説明もいらないだろう。平ざるで湯切りをしている店主を見ていると、真剣勝負の世界に身を置いてる人間の独特なオーラを感じる。どんな人で、どんな人生を送ってきた人なんだろう?丈六店主にKRK直撃インタビュー。


─生まれは?

「和歌山市内です。和歌山工業の電気科を卒業して、関西電力に就職しました。」

 

─ラーメンは好きだった?

「和歌山はラーメンがソウルフードなのでよく食べていました。井出商店とか、うちの近くのまるやまラーメンとか。近所にラーメンの屋台も2~3軒あったので、そこもよく行ってましたね。それとグリーンコーナー!日本で初めて抹茶ソフトを作ったと言われてる店で、そこに「天かけラーメン」ってのが昔からあって、それもよく食べていました。僕らの年代の人は物心ついた時から天かけ食べている。その頃は将来、ラーメン屋をしたいとかは全く考えていませんでしたよ。」

─関西電力では?

「就職して、いろんなコースがいっぱいあって、僕は原子力に配属されました。その当時、和歌山に原子力を作ろうとしてた時期で、その現場要員ってことでまずは経験積むために若狭で数年間って流れでした。そんな感じだったと思う。高浜の現場で16年働いて、途中で原子力の技術屋としては珍しく、2年間の営業所勤務で、事務屋さんの勉強もさせて頂きました。」

 

─その頃、ラーメンは?

 「若狭では敦賀の屋台ラーメンを何度か食べてたくらいですね。」

─バイク?

「20歳くらいですね。若い頃からバイクは好きで、関西電力で若狭にいる頃、何もすることがないのでバイクを乗り倒していましたね。それで先輩が鈴鹿でサーキットライセンスをとって練習してる人がいて、『いいな~』ってことで僕も鈴鹿に行くようになりました。若狭から4時間くらい、自分のバイクを改造してワンボックスに乗せて、鈴鹿まで月一回練習しに行ってましたね。バイクはかなりのめり込んでいましたが、仲間が何度か大けがして仕事を休んで迷惑かけることが続いて、会社から「『バイクはやめてくれ』ってことになってしまいました。僕も大怪我して会社を3週間くらい休んだこともあったし。」

 

─次の趣味は?

「ゴルフですね。ゴルフがとても上手い課長がいて、僕も始めたら面白くて毎日のように課長に打ちっぱなしとかに連れていってもらってました。ベストスコア―は79です。今はもう全然していない。」

 

─それから?

「営業所行って『社交的なこともできるな~』って気づき、その当時、離婚もしてたので『これからは自分の好きなことをしていこうかな?』って思いました。ラーメン食べることが好きだったので、飲食店がしたいって思い、早期定年退職って制度ができたタイミングで自分で『辞めます』って手を挙げて退職しました。それが37歳の時です。」



─自分の道を歩み始めて?

「まず京都王将に入りました。ただ、そこが合わなくて2か月くらいで辞めました。そしてやっぱりラーメンが好きだから、弁天町にあるラーメン屋さん、天下第一ってグループのマルフクラーメンって店で働きながらラーメンの基本とかも教えてもらいました。半年くらい経った時に、『これはいけるな』って思い、寝屋川市の香里園で独立開業。『でんでん』ってラーメン屋を出したんです。たぶん、2003年頃だったかな??ラーメンは自分のオリジナルで塩、しょうゆ、みそって出していましたね。今となっては恥ずかしい話ですが、化学調味料ももちろん使って、そういう感じで3年半くらいしました。でも鳴かず飛ばずだったので、『ラーメンを舐めてたな~。ちゃんと修行しないといけないな』って思い、店を畳みました。」

 

─その頃、ラーメン食べ歩きは?

「関電を辞めて、勉強のためにラーメンを年間200~250杯くらいは食べてましたね。驚いたんは無鉄砲さん。木津の本店に行った時は衝撃的!『こんな何にもない所で、こんなに行列させるんだな~』って。厨房を見たら、骨をかき混ぜてる姿が見える。『これが魂入ってるラーメンなんだな』って思いましたね。骨の混ざる音が聞こえてくるし。もう1つは、京都のぱこぱこさん。この店の塩ラーメンを食べた時に、『うわっ。こんな凄いのをやっぱりトップクラスの人は作りはるんやな?』って。大将と話させてもらったら、いろんな高級食材を使ってお客さんに『美味しい』って言ってもらうために、原価を上げてでも作っている。それを聞いて、半年間バイトしてすぐに自分の店を出してる俺は『あほやったな』って思いました。」


─再スタートは?

「それから2年半してから、天保山の海遊館の所でラーメン屋をやり始めました。そこで2年間してから、今の場所に引っ越してきて今で4年目ですね。天保山の契約が2年だったので。いててくれって話もあったけど、平日はガラガラだったし、商業施設だから家賃もそこそこ高かったので、『自分でこじんまりとできる所ないかな~』って半年くらい前から探していました。大阪市内や兵庫県の方とかいろいろ見に行ったけど、ある時、たまたま難波へ来た時に飛び込みで入った不動産屋で、今の店が『安い家賃で出てるよ』って言われて、『ここでいいか』って決めました。繁華街とか路地裏とか狙ってたわけでなく、たまたまこの場所だった。どんな所でも地道にやってればお客さんは来てくれるかなって思っていましたから。木津の無鉄砲さん、森ノ宮の光龍益さん、城陽のあっぱれ屋さんとかけっこう離れてる場所にあるけど、飛び切りのものを出していたらお客さんがついて来てくれるなって。反対にお客さんがついてくれたら、家賃が安いのが武器になるので。初めはみんなに大反対されたんですよ。今は裏なんばで盛り上がっているエリアですけど。唯一、昔から仲良くさせてもらっている釜たけうどんの木田さんが『丈六さん、ここへおいで、おいで』って言ってくれた。それで決心しました。2008年にオープンし、2015年3月から屋号を麺屋 丈六としてリニューアルオープンしました。」

─この場所でお客さんは?

「何も宣伝してなかったんですが、ありがたいことに多くのブロガーの方たちがブログに書いてくれたりして、思った以上に早く口コミで広まってくれたので、すぐにお客さんが増えていきましたね。最初は6席くらいで一人体制でしてたが、1か月くらいしたらとても追いつかなくなって「これはいかん』て思い、昼夜とも、二人体制での営業にしました。」

 

─店内の壁にある色紙は?

「吉本の難波グランド花月が近いので。僕は吉本とか全く分かってなかったんですが、芸人さん達が来てくれて、僕も舞台を観に行くって感じで交流が広まっている。色紙を貼ってると、お客さんも色紙を見て「あ~」とか喜んでくれるし。芸人さんたちのtwitterとかで新規のお客さんも来てくれるようになりました。僕も芸人さんについて勉強するようになりました。この場所に来たのは偶然だったので、芸人さんたちが来てくれるようになるなんて想像してなかったですね。この場所に決めたのは、家賃が安かっただけ(笑)。僕が入った4年前は『裏なんば』とか全然騒がれてない頃で、何にもなくて路地は数軒しかなく夜なんて真っ暗でしたが、今は周辺の家賃は2.5倍は上がってるそうです。」



─メディアは?

「オープンしてからしばらく経って、釜たけうどんの木田さんが『コラボしよう』って。『キムチとラー油が入ってるキムラ君をしよう』って話でしたね。ここへ来てから半年目の頃でしたね。で、魔法のレストランとか来てもらってバーンとしたら、それが思ってる以上に大HITで、半年くらいの間にテレビの4,6、8、10チャンネル、その全てで紹介してもらえました。韓国放送まで出ましたからね。キムラくんは『一緒にやろう』って言ってたそれぞれの店が出していて、『食べるラー油とキムチを使えば、どんな料理でもいいよ』ってルールでした。それをきっかけにマニア層以外にも店の知名度がドーンって上がりました。その頃はオーダーの三分の一がキムラくんって時期もありましたね。」

─ラーメン大賞?

「平成24年に、ぴあさんがしてたラーメンAwardで「第1回総合グランプリ」を頂きました。それでまたドーンと。2か月半くらい、毎日日曜って感じでお客さんがたくさん来てくれました。」

 

─海外からのお客さんも?

「僕の分からないところで、中国や韓国のグルメ雑誌のような本の大阪編でウチの店が載せてもらってることがあり、外国人のお客さんが増えてきましたね。口コミでも広がってるみたいです。だからメニューは『英語表記のだけ作ろうかな?』って考えています。英語は世界共通なので。でも片言の単語を並べてる英語でなんとか通じてる(笑)。 別にそんなに苦労してるほどでもない。」

─高井田系?

「それはね、海遊館でラーメン屋をする時に、海遊館って観光客の人が多いので、『大阪のご当地ラーメンって何やろ?』って考えて、金龍、揚子江、高井田ラーメンってのが頭に浮かんできました。金龍や揚子江は個人店だけど、高井田はご当地ラーメンなのでそれで決めました。ウチは溜まり醤油で、麺を太麺にして、ネギざく切り、こんなラーメンを全国から来てもらったお客さんに食べてもらいたいって思いました。」

 

─mixi限定は?

「mixiコミュ管理人(mixi丈六コミュ)を自分でしていて(笑)、天保山の初めの頃に始めました。常連になるまではもちろん基本メニューを食べて欲しいので店にPOP出してないけど、何度も来てもらってるお客さんには変わってるラーメンも食べてもらいたいし、僕の創作意欲も上がるので。それで当時メジャーだったmixiコミュで限定メニューってのやり始めました。mixiでやり始めたので、今でもfacebookとかじゃなくてmixiに拘っています。人気の紀州とか全て裏メニューでしてる。別に承認制とかしてなくて、誰でも大丈夫です。全く厳しくしてないのでmixi見て、注文してもらったら。1つだけお願いしてるのが、『メニュー名だけはちゃんと憶えて注文して!』ってこと。それで注文してもらえたら大丈夫です。」

─おはようラーメンとは?

「毎月第一日曜、朝7時~10時までしています。最初は全然お客さんが来なかったんですが、やり続けていて今で3年以上。今は1か月の間で、おはようラーメンが一番行列ができるようになっています。高井田系ってのはその地域では朝8時とかから食べるってラーメンなんですよね。だから月一くらい、そういうのをしてみようかなって思ったのが始まり。商売抜きにして、継続してやろうかなって思った。もう今では休めないってほど、みんな楽しみにしてくれています。7時に来る人、8時、9時に来る人ってグループがありますね。マニアの人達が月一で会う社交の場みたいな感じで、みんなに会える場って感じになってきています。」

 

─自家製麺?

「自分で製麺機を購入して、自家製麺を始めています。なかなか思うようにはいかなかったけど、そろそろ『やっと慣れてきたかな』って感じになってきてます。」


─剣道は?

「小学校1年からしていて、いろんな大会に出ています。関西電力でもしてて37歳くらいまでかな?ラーメンの世界に入ってから時間が無くてブランクが数年間あったけど、海遊館時代に、近くに大阪府警の水上警察所があって、そこの人が店に来てくれて話してると、『1週間に一回練習してるから』って誘ってくださったので、また剣道を始めました。今、6段です。水上警察で練習をし始めてブランク長かったけど、港区の大会に出たら45歳以上の個人戦で2位になって、その秋に6段を受けたらたまたま一回で受かった。それからやめられないようになりましたね(笑)。」

 

─今後は?

「もう50歳なので弟子のような人を見つけて、その子が店を出していけるようにするとか。あと5~6年したら和歌山へ帰って、僕のイメージなんですが6席くらいで昼から夕方まで営業して、それで閉店ってラーメン屋さんをできればいいかなって思っています。儲けるとか抜きにして、なんとか食べていけるくらいの稼ぎがあればって。自分の好きなラーメン作って、近所の人達に満足してもらって、で、夜は製麺してとか。そんなのが理想ですね。それで僕が教えた弟子が大阪や京都で頑張って、ウチの中華そばの味をずっと受け継いでいってくれたらってのが

僕の今の将来のビジョンです。」

 

─大切にしてる言葉?

「いつも言ってるのは、人生チャレンジあるのみ。チャレンジ無くして前進なし。何かするなら、何かに挑戦しないと。失敗しても問題なく、チャレンジして前へ出ていくことが大事。まずは一歩、何かをしていかないと、面白い人生になっていかないと思う。何かをやり続けることが大切。」



<店舗情報>

麺屋 丈六

大阪府大阪市中央区難波千日前6-16

店ブログ:http://jouroku.blog.fc2.com/

店Twitter:https://twitter.com/jouroku_pub

 

(取材・文・写真 KRK 平成27年9月)