Vol.24:山崎ラーメン

バスラーメンをご存じだろうか?引退した路線バスなどを店舗として再利用しているラーメン店のことだ。北海道などでも聞いたことがあるが、ここ和歌山はかつて"バスラーメン王国"と呼ばれるほどだったそうだ。

 しかし近代化の波と共に多くのバスラーメン店が閉店していき、和歌山で現存するバスラーメンは現在2軒と耳にした。その中の1軒が岩出市にある山崎ラーメンだ。以前に食べに来た時にインタビューの話をしたら「いつでもいいよ」と言ってくださったので、今回、ゆっくりと話をさせて頂いた。"山崎ラーメン"小寺店主にKRK直撃インタビュー!


- 正式な屋号は?

「山崎ラーメンです。山崎ってのはこの土地の名前が"山崎"だから。以前、食堂もしていたので"山崎食堂"と呼ばれていた時期もありました。」

 

- ラーメン屋を始めたのは?

「50年ほど前に、和歌山市内で屋台のラーメン屋を始めました。夜営業だけでしたね。それがまだ20代の頃です。当時の他のラーメン屋さんを食べていたわけでなく、自己流で研究をして屋台を始めました。」



- 当時、どんなラーメンを提供していたんですか?

「私の妹の所が肉屋をしていたから、そこから食材を仕入れていました。豚の骨、鶏の骨、野菜もたっぷり入れていました。基本的には今も味はあまり変わっていませんよ。麺は地元の三善製麺さんのを当時から使っています。」

 

- 屋台は何年ほどしていましたか?

「屋台のラーメン屋を5年ほどして資金もできたので、屋台をやめて、和歌山市内で喫茶店を始めました。喫茶店の屋号が"純愛"。高校の近くだったし『純愛っていいかな~』って(笑)。その喫茶店もかなり人気がありましたね。」



-- 転機?

「ある時、ウチのおばあちゃんが『ラーメン屋をしたい』って言ってきたので、いろいろ作り方とか教えて、それでおばあちゃんが姉とこの場所でラーメン屋を始めたんです。引退したバスを店舗として使って営業を始めました。しばらく姉が手伝っていたんですが、おばあちゃんが姉やったらあかん、私に来てくれって言ってくるようになりました。私が教えた通りにしても、同じような味にならないって。私も主人が亡くなったりして良い転機と思い、市内の喫茶店をやめて、ここでラーメン屋をしていくことを決心しました。それから今で45年ほどになります。」

- バスラーメン?

「当時、バスラーメンは市内に3軒くらいあったのかな?特に不便もしないし、動かずにしてるので店舗とあまり変わらないです。場所はずっとこの場所です。ちょうどいい場所なんです。交通量も多いし、車も停めやすいですから。」

 

- お客さんは?

 「ようさん来てくれるようになりましたね。最近、テレビで紹介されたこともあり、他府県からのお客さんがしばらく多くなりましたね。バスラーメンって珍しいですから、観光地みたいな感じなんでしょう(笑)。」

 

- 混んでる時間帯?

 「21時過ぎたくらいですね。皆さん、一回ごはんを家で食べて、その後、寝る前に『お腹空いたな』って夜食みたいな感覚で食べに来てくれます。」



 - ラーメン以外、何か趣味は?

「趣味は踊りをもう20年以上していますね。あそこの写真を見てください(笑)。2~3年前の写真とか。この写真がおばあちゃんと私なんですよ。市民会館とか公民館で踊りを披露しています。 他には絵もしています。ここに飾っているの全て私が描いたんですよ(笑)。好きやから店の営業が終わってから、絵ばかり描いています。」

 

- 営業が終わってから?

「24時に営業が終わってから、絵を描いていて、寝るのは午前5時頃ですね。そして仕込みを午前11時頃から始めるって生活です。75歳なのに元気でしょ?(笑)。」


- 跡継ぎは?

「娘が継いでくれるんです。今、腰を痛めていますけど(笑)。娘に仕込みとかいろいろ教えています。」

 

- 拘り?

「昔のままのラーメンを作ること。自分で何でもしないとあかんって思っています。しないと駄目な性分なんです。おでん、早寿司、全て自分で作っています。」



<店舗情報>

山崎ラーメン

和歌山県岩出市山崎228

 

(取材・文・写真 KRK 平成28年3月)