Vol.29:ラーメン人生JET

初めてお会いしたのはまだ山本店主が玉造の「東成きんせい」にいた頃だ。美味しいラーメン、そして山本店主のテンポ良いトークで多くの常連さんに愛されていた店だった。それから福島区で独立開業。屋号が「ラーメン人生JET」。今となっては関西屈指のラーメン激戦区として盛り上がっている福島エリアだが、当時はラーメン店も少ないエリア。しかし山本店主の熱い情熱が乗り移ったかのような力強い濃厚鶏白湯ラーメンはすぐに多くのファンを虜にして大行列店に。ラーメンブームに沸く大阪ラーメンシーンの大看板店となった今、何を語ってくれるのか楽しみだ。「ラーメン人生JET」山本店主にKRK直撃インタビュー! 

- 出身は?

「大阪です。新大阪の方で、生まれも育ちもあの辺りです。」

 

- ラーメンとの出会いは?

「ウチの親父が居酒屋をしていまして、僕も学生時代の時に居酒屋でアルバイト的なことをしていまして、飲食というか商売には小さい時から慣れ親しんでいましたね。根底には商売人の血が流れていたとは思います。でも自分で具体的に『ラーメン屋をしよう』って思ったのは、ずっと後。30歳手前とかになってからですね。」

 

- きっかけは?

「20代の頃にトラックにずっと乗っていまして、大阪市内なんですけど、その先々でお昼休憩の時にラーメンを食べていました。ラーメンが特別好きってわけでなかったんですが、安いし、お金もそんなにないのでラーメンを食べることが多くなっていました。そしたら600円とかで食べれるラーメンがこんなにいろいろ味があって、ここまで満足できるってのに『ラーメンって凄いな!』って思いました。それでラーメンに嵌まることになり、ラーメンオタクみたいになってあっちこっちラーメン食べ歩きを始めましたね。まだラーメン屋をやりたいって気持ちは全く無く、『どんなラーメンがあるんやろ?』って雑誌とかで情報集めて楽しんでいました。当時、10年前以上ですね。当時の大阪個人店、きんせい、洛二神、カドヤ食堂、麺哲、龍旗神、とか名店で食べて、『丼一杯の中にこんないろんな味があって、そしてこの中で完結されてる』ってのに魅力を感じていました。」

- どういう流れでラーメン屋で働くことを考え始めましたか?

「20代終わりくらいですね。もう雇われじゃなくて、自分で何かしたいって気持ちがでてきた。ちょうど周りの知り合いが独立したりして自分で何かしてるのが重なって、僕も『自分で何かやりたい』って気持ちが強くなってきました。しかし手に職を持っているわけでもないし、いろいろ考えていたんですが答えも出ないまま、ラーメン食べ歩きは続けていました。それで、ある日、『あっ!ラーメンがあるな!』って思って、ラーメン屋するのに興味を持ち始めました。」

 

- 興味を持ち始めてから?

「『ラーメン屋をやりたいな』って気持ちが強くなり、よく通っていたきんせいの親方(中村店主)に相談しました。当時は顔見知りってわけでなく、常連で通ってたので時々、ちょっと話す程度の間柄。その頃、きんせいのラーメンに嵌まっていて、仕事のルートで行くとランチは違う場所になるんですが、わざわざ仕事のルートを変えて、お昼にきんせいに着くようにしていたほどハマっていたんです。」

- 中村店主の反応はどうでしたか?

「『実はラーメン屋したいんですけど』ってお話しをさせてもらうと、『え?誰が?何でなん?』って驚いていましたね(笑)。店には何度も通ってたけど、『ラーメン屋したい』って話はこの時が初めてでしたから。『修行させてもらえないですか?』って頼みましたが、『いや、ええわ。今はいらんわ』って。その時は奥さんと二人で店をしていて、当時はまだ小さい店の頃、他店舗展開も考えてない時期でしたからね。奥さんと二人のところに知らん人間が入っても空気も変わるしって。僕もそれに納得して、仕方ないなって思い、それからも店に食べには行かせてもらっていました。」

 

- それから?

「それから1年後くらいですかね。ある日、親方から電話があって『まだやる気あるん?』って。『もちろんです!』って言うと、『それなら一度、やってみるか?』ってことに。最初は『洗い物だけなら来てもいいよ』って話でした。もちろん『喜んで!』って気持ちでしたが、僕は当時、既に結婚してましたから完全に仕事辞めてってのは無理なので、月曜から土曜の昼まではトラック運転手をして、土曜の夜、日曜、祝日をきんせいで洗い物をしながら修行させてもらうことになりました。」


ターニングポイント

- ラーメン屋さんで働き始めて?

「洗い物させてもらってたのは半年間くらいでした。ある日、玉造に物件が空いたので、親方から『お前、東成きんせいって名前でやってみやへんか?』って話が。『マジで?うそやろ?きんせいって名前でやるんか?』って驚きましたね(笑)。当時はまだ食材もあまり触ってない時期でしたから。でも僕はその時、『やりたい!』って気持ちの方が強かったし、失敗することは考えず、成功することしか考えないイケイケの人間でしたから。」

 

- 東成きんせいオープンへ向けて?

「その話が決まってから、トラックの会社を辞めることになり、ラーメンだけの生活になりました。オープンまでの短い期間にどっぷり修行の日々。最初は鶏油も知らなくて「この黄色いのは何ですか?」とか言ってましたからね(笑)。それからスープ教えてもらって、麺は製麺屋さんのを使おうとか、清湯と白湯の2種類で行くってのを決めて。鶏白湯のスープ、清湯の鶏ガラのスープ、魚のスープの取り方を教わっていました。」

  

- それから?

「ある日、麺哲の庄司さんに開店の挨拶をしに行かせてもらいました。『今回、東成きんせいをオープンします。店長やらせてもらう山本です。』って挨拶すると、その時に『麺はどうするの?』って聞かれたので、『どこどこの製麺屋さんの麺を使う予定です』と答えました。すると『それは駄目だよ。きんせいのお客さんは自家製麺って思ってるから、自家製麺をしないとダメだよ』って言われました。『麺をラーメンの具と考えたらアカン!』って言われて、僕もそれを聞いて、『あ~そうだな。自分で打たなあかんな』って思いました。そして『自分、自家製麺します』って言いました。それで製麺機を買いましたが、玉造の店は狭くて置く場所がない。なので自分の家の2階、寝室を潰して、簡易的な製麺室を作って、家で麺を打つことにしました。」

- 東成きんせいのラーメンは?

「東成のラーメンは鶏白湯と清湯の醤油。後からつけ麺に変更しましたね。」

 

- オープンしてどうでしたか?

 「最初の一ヶ月間くらいは順調でした。でもやっぱり素人が作るラーメンですから化けの皮が剥がれるのもすぐで、『美味しくない』って噂もすぐに広まるし。1か月経ったくらいで暇になってきて、2~3ヶ月目でもうお昼だけで10杯だけ、1日を通して20杯もいかない日々が続くようになってきました。やっぱりいろいろ言われるわけですよ。ネットでもボロクソに書かれるし。でも自分で毎日試食してるんですけど、仕事に追われながら睡眠時間が全く無かった毎日でしたので、なんか試食してもこれが美味いのかどうかさえ全く分からない状態になっていました。ウチの親方にも「どんな麺だしてるんや」ってメッチャ怒られたりして。」

 

- テレビの取材?

「オープン1年目の頃にテレビ取材が来たんですよ。その一本でガラって客足が変わりました。普通、テレビの効果って最初だけですぐに落ちるじゃないですか?でもその時はあまり落ちなくて、客足もずっと順調になってきた。自分なりには『100%を出そう!』とずっとしていて、ちょっとずつでもたぶん進歩はしていた時期とタイミングが合ったと思います。お客さんがいない暇な期間はとにかく時間がいっぱいあったので、営業しながら、豚骨を炊いてみたり、限定とか試したりして、テレビ取材が来るタイミングがすごく良かったんだと思います。」

- 当時から独立希望はありましたか?

「元々ね。東成きんせいってのは独立で僕の店だったんですよ。僕が全部、製麺機とか補償金とかしていた。表向きには店長としていましたが、実際にはオーナーとして経営していたんです。ウチの親方とは『3年経ったら、そのまま東成きんせいで続けてもいいし、名前を変えてもいい。ラーメン屋をやめてもいい。とりあえず3年間だけ東成きんせいってのをお前にまかせるよ』って約束でした。」

 

- そして3年が経って?

「実際は『東成きんせい』を4年半していたんですが、3年経った頃に別の物件を探し始めました。そして1年半くらい経ってからココ(現在のJETの場所)、福島区の物件が出てきました。他にもいろいろ見てたんですが、ここにピーンって来たんです。当時の福島区には、みさわさんや太陽のトマトさんくらいだったかな。最初は玉造の界隈で探してたんですが、その物件が福島区だったから『どうせアカンやろな』って気持ちでとりあえず物件を見に行ったんです。そしたら直観的に『ココがいい、ココでやりたい』って思ったので、その日に『ココでやります!』って決めました。それで東成きんせいを閉めて、福島区でラーメン屋を別の名前でするってことで動き始めました。」

 

- それから?

「東成きんせいを営業しながら、福島の準備をしていたんですが、やっぱり東成きんせいは常連さんが多い店だったから、お客さんに独立について話すとメッチャ熱い言葉をかけてくれる。それで当時の店長(現:吉風店主(三重県))と話してる内に、『やっぱりココは残さないといけないな』って気持ちが出てきて、店長に『お前、東成きんせいを頑張れるか?』って聞くと、『頑張ります!』って言ってくれた。それで『福島の店と2店舗でしてみようか』ってことになりました。それから1年後に玉造に違う物件が見つかりそっちに移転するに伴って、東成きんせいって名前を『ラーメン人生JET600』に変えて始めました。」


ラーメン人生JET(2010年6月18日オープン)


- 屋号の由来は?

「隠してるわけでないんですが、全然何も無いんですよ。JETってのが僕の好きなものにいろいろ付着してるんです。僕の好きな甲本ヒロトさんのファンクラブがFAN JETってことだったり、好きだったオーストラリアのバンドがJETってバンド名だったりして『JETって言葉の響きがいいな』って思っていて、だいぶ前から『独立したらJETって言葉を使おう』って決めていたんです。ただ、当時は英語の屋号ってあまり無かったので『ちょっとかっこつけすぎてるな』って気持ちもあって、『ラーメン人生って付けたらちょっとダサいから中和されていいかな?(笑)』ってことで決めました。」

 

- 反応は?

「ラーメン人生JETって看板を挙げた時は、写真だけ撮られて笑われてってこともありましたよ(笑)。『ラーメン人生JETってなんかおかしくない?』とか言われたり。それで物凄く恥ずかしくなり『俺、名前を絶対に間違ったな』って思った頃もありましたね。親方(中村店主)に最初に言った時も、『はあ?何、お前、その名前?』って驚かれましたから。その時、僕も屋号を言うのがメッチャ恥ずかしかったですし。(笑)」

 

- 2号店の600って屋号の由来は?

「僕は本店とか玉造店とか嫌だったので、最初は『どっちもJETでいいわ』って思ってたんですが、ある人に『雑誌とか載った時にややこしいで』って言われて、それで何か考えないといけないってことで紙にいろいろ書いてみて、消去法で最後に残ったのが数字でした。それで『数字でええな』ってことで、別に600ってのが何も意味ないんですが、JET200、300、400とかいろいろ考えてる内に、『600って響きいいな』って感じで決めたんです(笑)。」



- JETで提供するラーメンについて?

「とにかく鶏白湯と、そのこってり、あっさり、この二本でいこうって決めていました。この二本をどこまで伸ばせるかってのに集中していました。そこから派生するじゃないですか?例えば塩にもできるし、つけ麺にもできるし。その二本だけはしっかりしていこうって決めていました。」

 

- そしてJETをオープンして?

「最初の半年、10ヶ月くらいは暇でしたね。東成きんせいの方はお客さんも相変わらず付いていたので順調でしたから、当時、東成きんせい店長(現:吉風店主)が冗談で『山本さんを食わせているのは俺や』って言ってましたから(笑)。しばらくして、JETはテレビとかじゃなく、口コミとかで徐々にお客さんが増えてきましたね。」


- 大つけ麺博に参加?

「僕が出る1年前くらいにテレビで『大つけ麺博』の特集を偶然に見てたんですよ。赤迫さん(無鉄砲)が出てたりしててて、『こんなん出てみたいな。楽しそうやな』って思っていました。それから1年後くらいにオファーの電話がきて、『ぜひ出させてください』って言いました。本イベントの前のプレみたいなので『3日間だけ新店だけでする』ってのに出してもらいました。やっぱり東京の熱は凄かったので圧倒されましたね。開場する前なのにでっかい会場に凄い人だかりができて、警備員にちょっとずつ誘導されていて、開場の瞬間にドーってやってくる。どの店も常に300人ほどの行列が続いてる状況。僕らは5人だけでスープ炊きながらしてた。いい経験でした。」

 

- 今はイベントは全て断ってる?

「いろいろ思うところがあるんですよ。やっぱりね。簡単に言うと業務用スープを使ってるところと、ちゃんと手作りのスープの店が同じテーブルで評価されるのが嫌だなって気持ちがある。そしてウチの従業員の子達もどういう目でみたらいいか分からなくなる。ウチの子達は僕とJETのみんなが一生懸命スープ炊いてるところを見てるわけじゃないですか。それでトイレ行く時とかに、お客さんが大勢来客してるのに、ブースの後ろで店主さん達が談笑してるのを見たりするわけじゃないですか?そんなのを見ていて、なんかね。『俺、何やってるんやろ?この子達にしんどい思いさせて、自分もしんどい思いして、店休んでまでって。何してるんやろ?』って。そして最近のイベントって『呼び込み勝負』とかになってきてるでしょ。可愛い女の子を出して来場してきたお客さんを呼び込みする。ウチはもちろんそんなのしないし。そういうのが増えてきて『何で勝負してるのか?』分からなくなってきてる。というのもあって、イベントに疲れたってのもあります。もちろん、否定してるわけではなく、イベントでラーメンが盛り上がるのはいい事だと思うし、イベントに出てその店が得るものもあると思うし、ラーメン熱が上がるのはいい事ですよね。ただ、JETは『もういいかな』という感じです。いろんなイベントに参加させて頂いて楽しかったこともありますし、勉強になったこともあります。良い経験をさせてもらったと思ってます。」


- ダウンタウンDXに出演?

「僕はダウンタウンさんの大ファン。全カテゴリー中で松本人志さんが好きなんです。JETオープン時に『俺、ダウンタウンDXに絶対に出るから。勝俣さんの紹介で出るから!』って従業員に言ってたんですよ。そして最初に『大つけ麺博』に参加させてもらった時に勝俣さんが司会で来ていたので『チャンスだ!』って思いました。それで自分のところのラーメンを食べてもらうために、イベントでは麺屋さんの麺を使っていたんですが、勝俣さんに食べてもらうためだけに自家製麺を大阪から持って行き、バックステージでラーメンを持っていくと、ちょうど他の店のラーメンを食べてはったんですよね。『あ~』って残念に思ってると勝俣さんが気づいてくれたので、勝俣さんに食べて欲しくてラーメン作ってきたことを説明しました。すると勝俣さんが『今、お腹いっぱいだけど、今週中に来れたら食べに来ます』って言ってくれて。さすがに『今週中は来れないだろうな』って思ってたんですが、3日後くらいに本当に来てくれて食べてくれました。」

 

- そして?

「それから4年後くらいに『魔法のレストラン』の企画で勝俣さんが大阪の店に食べに来てくれて、そして半年後くらいですかね。日本テレビから電話が。僕はウチにいたんですが、店長が興奮して電話してきて、『来ました~!』って。その時はもう『嘘やろ~!!!』って大興奮でしたね。それで松本さん、浜田さん、勝俣さんの分のスープを冷凍したのを持って、店長と東京へ行って作らせてもらいました。メッチャ楽しかったですよ。」


- お弟子さんについて?

「ウチはみんな普通に育っていってる感じですね。最近も滋賀に3人目の弟子が独立しました。僕もあまり突拍子もない変わったラーメンを作れるわけでないし、軸だけ教えてるって感じですね。あまりブレてないラーメン作ってくれたらいいかなって思っています。自分たちの背中を見て『次は俺だ』って思ってくれて、一生懸命してくれたら。」

 

- 店舗展開は?

「店舗はもう絶対に2店舗だけですね。僕が見れないから。もしあるとしたら『一店舗になる』だけでしょうね(笑)。3店舗、4店舗は絶対に無いです。今、動き始めてるのが、製麺の工場があるんですが、今はそこでタレと麺しかしてないので、そこで仕込みもできるように動き出してるってことくらいですね。」

 

- 山本店主の大事にしてることは?

「当たり前のことですが、「一から手作り」ってのが個人店のラーメン屋さんかなって思う。僕はビジネスでしてるわけでない。もちろんラーメンで飯食べて、服を買って、車乗ってるわけですが、ラーメンに対する思いは『あの頃のまま』で。やっぱり一から十まで全て自分が手作りしたい。」


ラーメンに対する思いは「あの頃のまま」


<店舗情報>

ラーメン人生JET

大阪府大阪市福島区福島7-12-2

店Twitter:https://twitter.com/jetjpn

 

(取材・文・写真 KRK 平成28年5月)