Vol.31:This is 中川 これはなかがわです。

2016年4月、東淀川区の住宅街に一軒のラーメン屋がひっそりとオープンした。細い路地裏で、交通量も少ない。地元の人以外は絶対に通らないだろうって場所だ。屋号は「This is 中川 これはなかがわです。」。長い名前だし、同じ意味を繰り返してるのも気になる屋号だ。何の告知も無しに現れた店だが、どうやら店主は同エリア内の人気店「縁乃助商店」の店主。別ブランドとして中川店主の一人体制で、メニューも一本で営業していくとのこと。実際に店に行ってみると、一人体制のためによく考えられてる工夫が随所で発揮されている。衝撃を受けたのは提供してるたった1つのメニューである塩ラーメン。泡が浮かんでるビジュアルも斬新だが、その味は一級品。ここ数年間で味わってきた塩ラーメン中でも間違いなくトップクラス。縁乃助商店の2号店などと軽く思って来店するお客さんはきっと度肝を抜かれるだろう。まだ続いてるラーメンブームで盛り上がる大阪ラーメンシーンに突然現れたこの店は、きっと次にやって来る未来のラーメン店主達に大きなヒントを与える店となっていくだろう。開店前の忙しい時間帯に、わざわざ店内でインタビューをする時間を作って頂いた。「This is 中川」中川店主にKRK直撃インタビュー! 


- 出身は?

「大阪の堺市です。元々、僕は父親がいなくて、おばあちゃんとか女家族で育てられていて、料理の手伝いを小学校くらいからしていました。その時から調理に興味を持ち始めていて、中学生くらいには『将来、飲食店をやりたいな』って思っていました。」

- ラーメンは?

 「当時はラーメン屋ってのはまだ頭に無かったです。それで高校くらいから飲食でアルバイトをしたりして、ちょっとずつ興味が増してきて、鳥貴族(公式HP)って焼き鳥チェーンで働き始めました。それから鳥貴族では6年と7ヶ月、22歳頃から大国町店で店長をさせてもらっていたり。元々、FCの会社で社長がいて、僕は2番目、専務みたいな仕事をさせてもらっていました。当時、チェーン店の理論、人材教育など学ばせてもらっていました。」

 

- それから?

 「ずっと鳥貴族で働きながらも、僕は『将来、自分で飲食店をしたい』って気持ちもあったし、でも社長ともいい関係を築けていたので、この会社に残ってずっと働いていくって選択肢もあったし。その頃におばあちゃんが亡くなったりとかいろんな事が重なって、悩む時期がありました。それが30歳手前くらいだったかな?僕が独立するか迷ってる頃、鳥貴族をやってる会社から『麺業態をしたい』って話が出てきて、『ラーメン屋をするか?』って話になってきた。それで社長が『中川、ちょっとラーメンのことを調べてきてくれ』って。それから僕なりに幾つかの繁盛店を調べさせてもらいました。ある店で無償で働かせてもらったりして、ラーメン店経営のノウハウを学ばせてもらっていました。僕の中でラーメン屋をすることに興味が出てきたのは、その頃ですね。」

- ラーメンを食べるのは好きでしたか?

「ラーメン食べるのは好きでしたね。高校時代からとにかく天下一品が好きでした。この業界のことはあまり詳しくは知らなかったので、この業界に入ってから『こんなに多くのラーメンチェーンがあるんだ』って驚かされましたね。」

 

- 興味を持ち始めて?

「それが、しばらくすると鳥貴族の業績がガクッと落ちた時期があり、『やっぱりラーメン屋はやめとこう』ってことになりました。僕なりにいろいろ調べて、自作でスープ炊いたりしてたんですよ。実際にするなら『この業態を自分で拡げていこう』ってイメージしてたんです。それが出鼻をくじかれたような感じになってしまって。当時、この業界を知らべてみたら、『この業界って本当に面白いな』って思っていたんです。」



- それから?

「その頃、たまたまテレビを観ていたら、一風堂(公式HP)の河原社長が青汁のCMだったかな?何かに出ていたんです。青汁を飲むまでに河原社長のヒストリーを流したりするって感じでした。それを観ていたら『スゲーな!こんな人がいるんだ!』って感銘を受けたんです。『この人、この業界を本当に変えようとしている。こんな人がいるなら、俺もこの業界に入ったらこんなスゲー人になれるかも?』って思ったんですよ(笑)。僕がこの業界に入って、鳥貴族で学んでいたお客さんへのもてなしの気持ちとか、人材教育とかちゃんとしたらって。」

 

- すぐに動いたんですか?

「ちょうどその頃に、身内関係からまとまった資金が用意できるチャンスがやってきたんですよ。当時は僕ももう30歳前。『このタイミングを逃したらあかん!』って思いましたね。それで鳥貴族に僕の気持ちをちゃんと説明して、長くお世話になった会社を辞めさせてもらうことになりました。」


- ラーメン店開業に向けて?

「当時はまだ全然ラーメンの奥深さを知らなかったから、とにかく『できる』って勝手に信じていました。自作ラーメンをしてて、天下一品が好きだったから『天下一品みたいなラーメンがしたいな。この味なら毎日食べれるな』って。僕は元々、焼き鳥屋。鶏と縁があるし、僕が豚骨ラーメンをしても駄目。鶏白湯でならいけるって思っていました。その頃、一風堂の河原社長の著書を読みまくっていたんです。それで河原社長がラーメン屋をする前に『1年間修行をした』って書いてあったので、『俺も1年間修行しよう』って(笑)。そして一風堂の1号店のオープン日が10月16日だったんです。それで『ちょうど今から1年後くらいやん』って思い、『1年後の10月16日に自分の店をオープンしよう』って決めました。」

- 修行は?

「ホテルの配膳とかしながら、家で自作をしてたんですがやはり上手くは作れず、『やっぱりどこかで修行しないといけないな』って。それで某人気店に面接に行くと、『一年で独立できるかい』って門前払いでしたね(笑)。それで『次、どこいこ?』って時に、雑誌Meetsにたまたま載ってた『真骨鶏らぁめん あざす』って店が目に留まりました。当時、天満にあったんですよ。その店は焼き鳥屋がしてるラーメン店だったので、『なんか縁があるな』って面接に行って話してみると、あざすのオーナーさんが僕の事情を理解してくれて働かせてもらうことになりました。ホテルの仕事をしながら、朝、あざすに修行に行くって生活でした。しかし、それでもラーメンの作り方がイマイチ分からないって。あざすで使ってるものしか分からないし、そもそも『かん水って何?小麦粉って?』って。」

- それで?

「『このままではアカン』って思い、それから自分なりにいろいろ調べている内に、『こんな学校あるんや?』って見つけたのが大和のラーメン学校(公式HP)でした。それで大和のホームページを見たら、仙度さん(あっぱれ屋 店主)がドーンって載っていたんですよ。『こんなラーメン屋さんがあるんや?日本一?京都の城陽市か。遠くはないな』って思い、ラーメン学校のことも聞きたくて、翌日にすぐにあっぱれ屋さんへ行きました。そしたら凄い山奥なのに大行列。『え?なんでこんなに人が並んでるの?』って驚きましたね。ラーメンを食べた後、外で営業終了まで待って、営業終了してから店内に戻って話をしようと挨拶したら、、仙度さんにすぐに『ウチは弟子はいらんで!』って(笑)。『いやいや、弟子とかじゃないんです。大和のラーメン学校のことで聞きたくて来たんです。』と説明し、仙度さんに『大和の学校に行って、実際どうでしたか?』とか、いろいろ話させてもらいました。それで僕の事情、10月に自分の店を開けたいとか言うと、仙度さんが大和の方に電話してくれて、すぐに入れるように手配してくれたんです。当時、大和のラーメン学校はテレビ番組『カンブリア宮殿』で紹介されたところだったので、生徒さんがいっぱいだったのにすぐに入れるようにしてくれました。」

 

- 大和のラーメン学校では?

「当時、大和の機械を買う資金が無かったんですよ。基本的なことは学ばせてもらったけど、これをどうやって現場に落とし込んでいこうって。一杯は作れるけど、これを100杯作ろうとしたらどうしたらいいんかなって。それから卒業後も、ラーメン技術本を山ほど買って勉強もしていました。」

- 10月16日がいよいよ迫ってきて?

「目標としてるオープン日も近づいてきてるし、あざすで勉強してること、自作で何度も何度も作ってみて、『大体こんな感じで』って見取り図みたいなのができてきました。それでお世話になった『あざす』を辞めさせてもらい、自分の店、縁乃助商店(公式HP)を10月16日に無事にオープンできました。」


縁乃助商店(2013年10月16日オープン)


- 場所?

「元々、僕は鳥貴族の淡路店でも店長してたんです。当時、輝さん、天神旗さんがあったんですが、東淀川区って全体的にはまだそんなにラーメン熱が盛り上がってない時期でした。それで『よし、俺がいこう』って(笑)。物件を歩いて廻って、『これや!』って思ったのが今の場所です。」

 

- 屋号は?

「一番悩みましたね。ラーメンの味やメニュー構成とかが決まっても、ずっと屋号だけは決まらなくて。僕、何か困ったらお寺に行くんですよ(笑)。寺でぼーっとしてたら浮かんでくるんです。それでボーっとしてたら、『縁』って言葉が浮かんできたんです。僕、ラーメン屋を開業するまでに本当に多くの人に助けてもらったんです。仙度さん、あざすのオーナーさん、鳥貴族のみんな。それで『多くの人に助けられた店、縁乃助商店で行こう!』って決めました。屋号決まったのがもう店舗の引き渡しが終わるちょっと前。急いで看板を作ってもらって。」



- 縁乃助商店のラーメン?

「最初は『あざす』に近かったけど、独自性が無いし自分自身も楽しくなかった。それで『とりあえず突き抜けないと』って。大好きな人は大好き、嫌いな人は二度と来ないってくらい突き抜けたラーメンの方がこの業界ではいいんじゃないかな?って思いました。それでやっぱり濃度を上げていきましたね。今はもう『極鶏くらいじゃないか?』ってほどドロドロになっていますから。」

 

- オープンしてからは?

「痛烈に感じたのは『この業界は、どこの弟子、どこ出身とかが最初の売り上げに反映する業界なんだな』ってことですね。だからウチはオープン当初はあまり忙しくなかったですね。ラーメン自体は『美味しいものが作れてるな』って思ってたので、じわじわと受け入れられたらいいなって感じでしたね。」

- それから?

「ある日、たまたま、藤原(現:歴史を刻め店主)が食べに来てくれたんです。その時は知らなかったんですが、その夜にウチの下の子が歴史に食べに行ったら藤原が憶えていて知り合うことに。それで改めて、藤原がウチに食べに来てくれて名刺交換をしました。それで藤原に『一回ごはんに行きません?僕、この業界のことを全く知らないんです。ちょっとでも教えてくれる人がいたら、いろいろ聞きたい』って。そういう流れで一緒にごはんに行って、いろいろ話してる内に『同じ年やし、ため口でいいやん!』ってなって仲良くなりました。しばらくして、ウチがまだオープンして1か月目とかの店なのに、藤原が『コラボしようぜ!』って。向こうは行列店、ウチはまだまだお客さんが少ない店なので『ホンマにええの?』って言うと、藤原は『そんなの全然関係ない』って言ってくれて、コラボしてくれたんですよ。それ以来、向こうのお客さんがウチにも来てくれるようになってきて、売り上げも一気に上がってきたんです。結局、縁乃助商店がこの街で知名度を上げれたのは藤原のお蔭なんですよ。それで、その流れで青二犀の森山くんとも仲良くなってコラボをしたり。その頃から交友関係が増えてきて、JUNK STORY井川さんや、きんせい中村大将とお話しさせてもらう機会があり、中村大将には『一緒に出るか?』って誘っていただき、ラーメンEXPOにもコラボで参加させてもらうことになりました。そういういろんな縁もあって、縁乃助商店も繁盛店にさせてもらいました。」


This is 中川 これはなかがわです。(2016年4月1日オープン)


- そして次の店へ?

「縁乃助商店も安定してきたので店長にまかせて、僕は次のステップに向かうことに。僕、以前にチェーン店で働いてた経験があるので、ラーメン店をすることを安易に思ってた部分もあったんですが、縁乃助商店をしてる内に、なんか『ラーメン屋さんとしてもっと評価されたい』って思い始めたんです。チェーン店のオーナーとしてなら絶対、縁乃助商店の同じパッケージをもう1つ、2号店として出した方がいいんですよ。でも『ラーメン屋さんとして評価されたい』って気持ちが強くなってきたので、仙度さんに相談したんです。それが2015年9月くらいですね。そしたら仙度さんが『そうなん?それならちょっとチカラを貸したろか?でもお前は弟子じゃないし、味のノウハウとかは自分で考えて』って。でも『弟子じゃないのに、そこまで教えて大丈夫?』って思ったほど、厨房のレイアウトとか、いろいろアドバイスをもらいました。」

 

- 屋号は?

「仙度さんにまず言われたのが『お前、屋号も決めてないのに、どうするんねん?』ってこと。仙度さんもあっぱれ屋って名前を決めた後に、自分自身がどういうラーメンをしていくかって決めたと。それで屋号から考えたんです。今回は『自分の名前を入れよう』って。麺屋中川、麺匠中川、いろいろ考えたんですが『イマイチやな』って。いろいろ調べたら、当時、夫婦や家族でしてる店が評価高い店が多かったんですよ。でも僕は結婚もしてないし、『一人でするしかないわ』って。それで仙度さんに相談すると『一人でもできるんちがう?』って(笑)。それから『中川を表現したいんやろ?This is 中川でいいんちがうん?』って。『This is 中川だけなら面白くない。和訳したのも入れた方が面白い』って感じで(笑)。お客さんとかに『なんなん、この屋号は?』って言われたりするんですけど、掘り下げていけば深い意味があるんです。『だからこいつ一人で営業してるんや?』って。This is 中川なのに、他の名前の人がいたらおかしいですしね。 」



- 提供するラーメン?

「元々、鶏と縁があるのでやっぱり鶏。清湯でやりたいって。塩を選んだのは、『一番難しいって言われてる塩ラーメンで評価されたい』って思ったから。塩はバランスとるのが難しい、味が淡泊やから工夫しなあかんって聞いてから、この業界で自分を認めてもらうなら、一番難しいので認めてもらいたいって思いました。だいたいイメージでこういうのってのはありました。僕の中で『豚骨使わない、魚介使わん』って決めたら、商品構成として逆にやりやすかったです。その中だけでひたすら追求できるので。ある程度、鶏の出汁が出てるなってのがしたくて、ひたすら鶏。『一人でするってメリット大きいな』って思ったのは、人件費が浮いた分、食材費に力を入れれる。その分、お客さんに還元できる。ローストビーフ丼を550円で売れたりとか。」

 

- 食券機?

 「『塩だけで』って決めてたので、食券機のボタンを1つにしたいって。業者に電話して『こんな大きなボタン1つのを作れるんですか?』って聞いたら、『別途開発料で200万かかる』って言われました。『それは無理だろー』ってことで、今のように段ボールで作ってってなってるんです。(笑)」

- 泡は?

「いろいろ調べて『清湯に泡を乗せた人はいない』って。泡の白湯は山ほどあるけど、清湯は日本全国で考えても誰もいないって。それで『エスプーマはしてる人もいる。バーミックスもやってるしな』って。よし、この乗せ方でしようって。この技法は極秘にしといてください。」

 

- 新メニューの予定は?

「食券機にもあるチャーシュー麺を6月中旬に始めようかなって思っています。鶏を増やすだけだと面白くないなって思ったので、今回、豚バラ、皮付きの豚バラを使います。レザー・クリスピー・チャーシューって名前で。だいたい構想は出来上がっているんです。パン屋さんって焼きたてを提供してる店があるじゃないですか?それが面白いやんって。チャーシューってどの店でも寝かすじゃないですか?で、その寝かす工程を前倒しでやって、お客さんには出来立てアツアツのチャーシューを提供できたら、メッチャ面白いやんって。で、スチーム・コンベンション・オーブンがあるから、それを使って。豚の皮って焼いたらお煎餅みたいにパリッパリになるんですよ。それを付けた状態のまま、下処理を加えた上で焼いて、オープン前のシャッターの人とか限定で注文できるって形でしようかなって。目の前で出来立てのを切って提供って感じで。出し方はいろいろ考えていて、時間指定のチャーシュー麺って感じとか。良い状態のものを提供するには1日2回くらい時間指定とか。。皮つきの豚バラがありえへんほど美味いんですよ。他にもハンバーグとか、つくねの焼きたてとかいろいろ考えたんですよ。(笑)」


▰ レザー・クリスピー・チャーシュー


- 今後は?

「周年の時に限定は考えているんです。『This is 中川』としては、ラーメンイベント、雑誌やテレビは断らせてもらうことにしています。」

 

- 大切にしてること?

「会社の中でも一緒ですが、縁ってものを大事にしてる。僕の中で『縁』に対する独自の考え方があって、八方美人ってわけでなくて、やっぱり自分が目指したい位置まで行く時に出会う人達。一瞬一瞬に出会う人達、切れてしまう人もいるんですけど、その一瞬の『縁』で学ばせてもらうこともある。全ての縁に感謝するってのを大事にして、これからも発展していきたいなって思っています。」



<店舗情報>

■This is 中川 これはなかがわです。

大阪府大阪市東淀川区菅原6-24-12

店Twitter:https://twitter.com/akinaka0809

 

■縁乃助商店

大阪府大阪市東淀川区淡路4-9-5

店HP:http://www.ennosuke.com/

 

(取材・文・写真 KRK 平成28年6月)