大阪にラーメンブームが来るずっと前、まだ個人店さえ少なかった頃から関西のラーメンファンを魅了してきた名店がある。屋号は"洛二神"。店の壁には"魚系和風スープ"と書いた貼り紙。当時からこの店の売りは"魚出汁"だ。今でこそ珍しく無くなってきたが、当時の大阪ではその存在感はかなりインパクトあっただろう。
自己流でラーメン店を開業し、魚出汁ラーメンだけを貫き通してきた松村店主。忙しい中、夜営業前に少し話せる時間を作って頂いた。長く大阪ラーメンシーンを見続けてきた松村店主は一体、何を思い、そして何を語ってくれるんだろう。"洛二神"松村店主にKRK直撃インタビュー!
- 出身は?
「京都です。」
- 昔から飲食店をしたかった?
「学生時代に飲食店でアルバイトしていて興味はあったんですが、いざするってほどではなかったですね。それで大学卒業後は一度、サラリーマンをやってみたんですが、『自分には向いてないのかな?』と思い辞めました。そんな時にぼんやりと頭に浮かんできたのがラーメンでしたね。」
- なぜラーメンが?
「元々は僕はラーメンが好きで、物心ついた頃から京都でますたにさん、天下一品さん、天天有さんって所ですごい食べてたんです。だから僕の中でラーメンの存在感が凄く大きかったんです。」
- ラーメンが頭に浮かんでからは?
「学生時代に就職活動をしてた頃に東京へ行くことがあって、春木屋さんという老舗のお店で食べさせてもらったんです。それがすごい衝撃で!当時は京都って鶏白湯とかしっかり煮出した、白濁したお店というのが僕の中で『それがラーメンだ』ってのがあったので、春木屋さんで『こんなに自分の思ってたラーメンと違うラーメンがあるんだ?』と衝撃を受けました。それでもし自分がラーメン屋をするなら、『こういった魚出汁を使ったラーメン屋をしたい!』と思っていました。それでサラリーマンを辞めた後、飲食店でバイトしながら、自宅でラーメンを自作を続けていました。」
- 頭の中には、ずっと春木屋があったんですか?
「やっぱりね、"京都のラーメン"ってのと、"春木屋"。この2つが常にありました。濃い、魚って。それが自分の中で原点ですね。」
洛二神(2001年2月26日オープン)
- 修行は?
「修行はしていないです。自作を繰り返していましたが、自信は正直、半分半分でしたね。自分で美味しいと思っても、お客さんに喜んでもらえるのかなという不安もありました。」
- 屋号の由来?
「僕の実家が京都の二神町って所なんですよ。それで京都は"洛"が異称が使われることも多いので、洛二神で『洛、京都の二神町出身です』ということです。」
- なぜ京都じゃなくて、大阪?
「大学卒業後、就職で大阪に出てきていたんです。今の店の近くに住んでたんです。」
- 店の場所は?
「住んでいたので土地勘もありましたから。何軒か見て、悩むことなくここに決めました。当時は"好房"ってお店が一つ離れた所にあって、"赤れんが"という店もありましたね。そういう昔からしてるお店がポツン、ポツンとあった程度でしたね。」
- 最初から魚系メインで?
「最初から魚系の濃いのを出していましたね。だから関東からの単身赴任の人や出張の方は『あ~、いつもの』っ感じなんですが、関西のお客さんはまあ、もう。。特に煮干しが効いてると『う~ん』と言う方が多かったです。節ね、鰹とか効いてると良かったのかもしれませんが。」
- 他メニューは?
「魚系の和風中華そば一本で営業していました。チャーシュー麺とかあったくらいですね。」
- 特徴的な丼を使っていますが?
「和風ってのが頭にありましたので、それを意識して道具屋筋に行って探しました。あくまで『今までと違うことをしよう』と考えていました。丼から屋号、店の雰囲気、全てを含めてですね。昔からある揚子江さん、金龍さん、神座さんが全盛の頃だったので、『ちょっと違うことをしよう』という気持ちでした。」
- オープンして、どうでしたか?
「もう1日10杯、20杯が続く大変な日々でしたね。自分の道を貫きつつ、関西のお客様にも受け入れられるポイント探しってことで、それから凄い試行錯誤がありました。」
- 当時、ラーメン屋さんの横のつながりは?
「オープンした翌月の1月頃に"あまから手帖"に紹介して頂いたんです。そこで何軒かのお店が一緒に載せてもらったので、その店に行って挨拶してってくらいでしたね。」
- "洛二神"出身の方はいるんですか?
「弟子って形じゃないんですが、ウチで3~4年くらいやってくれていた子が、香川県で"黄昏タンデム"(店Facebook)というお店をしています。今は弟子募集って形ではしていないですね。」
- ずっと魚出汁でしてきて?
「関東で春木屋さんってのがあったので、観光地みたいに荻窪目指してみんな食べに行ってる。しかしそれは東京だけの味じゃないはず。魚出汁ってのは味噌汁もそうですが、日本全国、親しみのある味だと思う。あとは自分の表現の仕方でこちらの方の口に合えばいいんじゃないかって気持ちです。」
- 麺は?
「だいぶ変えていっていますね。スープが変わってきてるので、それに合わせて麺を変えてって感じですね。最初はそこの"大弘軒"って古い製麺屋さん。たまたま知り合って、試作してた頃から譲って頂いていて、その縁で使わせてもらっていました。しかしスープがちょっとずつ変わってきて、麺がこちらのリクエストする理想とするものができないってのもありまして、一度、関東の麺屋さんにお願いすることにしました。魚出汁メインでやってるって所なので、それに合わせた麺作りしてるってことで。」
- 今後は?
「まだまだ考えてることはあります。キリがないっていうか、組み合わせ一つとってもバリエーションがメチャクチャあありますから。まだまだ、やりたいです。お客さんを飽きさせないためにも。」
- 大事にしてること?
「僕は物心ついた頃からラーメン好きだったので、特に僕の中ではラーメンっていうのはスープだと思ってるんですよ。麺って言う人もいますし、バランスって方もいます。佐野実さんは『麺とスープの関係は夫婦や』と言ってました。僕は五分五分でなくても、夫婦でもカカア天下もあれば、亭主関白の夫婦もある。僕はどっちかと言えば、スープ寄りのラーメンを今までも、これからも提供し続けていきたいなと思います。で、それに寄りそう麺って形のイメージでラーメンを作っていきたいと思っています。」