Vol.34:かしや


 2010年9月17日、一軒のラーメン屋さんが西成区の玉出駅近くにオープンした。屋号は"かしや"。後から知ったのだが、店主は松原市の行列店出身。それから数年が経ち、この店が本当に世間に広く知られるようになったのは、人気ラーメン番組の正月特番で「ブロガーが選ぶ美味しい店」企画で1位に選ばれた時だろう。私自身もその特番を見てから、"西成区のかしや"というのが頭の中にしっかりとインプットされたように思う。

 決してラーメン激戦区とは言えないエリアで、オープン当初は集客で苦労されたようだが、今や、行列を作り続け、大阪屈指の人気店に。インタビューするには今がいいタイミングだと思う。"かしや"柏原店主にKRK直撃インタビュー! 


- 出身は?

「元々、美原の方です。大阪、堺市です。」

 

- 飲食に興味を持ったのは?

「高校卒業してすぐに住み込みで中華料理屋で働き始めました。元々、子供の時から料理が凄く好きで、自分から住み込みで頼みました。しかしその仕事を1年ほどで辞めてしまって、それからはトラックの運転手やいろいろしましたね。そして実家の家業の内装屋を手伝い始めました。その仕事は13年間ほどしていました。」

- 内装屋から転職することに??

「景気が悪くなってきたんです。それで幼馴染の綿麺(大阪府松原市)の店主に『中華料理屋やろうと思ってんねんけど。』って相談しました。すると『ラーメン屋したらいいねん』って言ってくれたんです。」

 

- 突然、ラーメンが出てきた?

「ラーメンは昔から好きだったんです。幼稚園の時の将来の夢が『ラーメン屋さんになる』だったんです(笑)。中華料理屋さんで働いてたのも、中華料理店ってラーメンもあるじゃないですか?」

 

- それから気持ちはラーメン屋開業に?

「それで綿麺でちょっと働かせてもらうことになりました。それが33歳の頃ですね。その時はまだ昼の仕事があったので、夜だけ綿麺で働かせてもらっていました。期間は短かったです。製麺を中心に教えてもらっていました。」


かしや(2010年9月17日オープン)


- ラーメン屋オープンに向けて?

「綿麺で修行中に、独立へ向けて動いていました。正直、その頃は安易に考えていましたね。この業界がここまで厳しいって知らなかったですから。」

 

- 場所は?

「僕、20歳頃に家族でここ(西成区)へ引っ越してきてたんです。ここが地元なんです。家に近いところはホントは飲食やるにはアカンらしいんですがね。家でも麺を作るつもりでいたので、歩いて店まで運べるし。パチンコ屋があって、商店街があるからココに決めたんです。」

 

- 屋号の由来は?

「僕、柏原って名前なんです。"柏原"とラーメン屋の"屋"を合わせて、"かしや"です。」

 

- "かしや"のラーメン?

「豚骨ですね。豚骨をやろうって思って、綿麺で少し教えてもらって。でも長く修行したわけでなかったので、最初は大変な感じでした。綿麺と似たようなラーメンをしようと思ったけど、全く別物でしたね。」



- オープンしてどうでしたか?

「最初はけっこうお客さん来てくれてましたが、すぐにいなくなりましたね。酷かったです。それから2年半くらい悩みましたね。」

 

- 宣伝は?

「一応、最初は綿麺出身ってのは内密で、自分の店だけで宣伝していました。『綿麺にいた』って言うと、お客さんは同じようなのを期待するようになるので。でも綿麺でも口コミで宣伝はしてくれてたようですがね。」

- 2年半ほど悩んで?

「勉強のために、東京に食べに行ったんです。知り合いに数軒の店を紹介して頂いて。向こうの人ってけっこう教えてくれるんです。ヒントですね。一燈さん、とみ田さんとか。いろんなことを教えて頂きました。そして帰ってきてから、ガラっとやり方を変えたんです。それからはなんか自分の中の狭い扉が開いた感じで、いろんな発想ができるようになってきて、今に至ります。お客さんの反応も徐々に良くなっていきました。」

 

- ターニングポイント?

「その頃、ラーメン店主の集まりで知り合った麺屋たけ井さんとコラボをさせてもらいました。当日、店の前に70人くらい並んだんですよ。その行列が話題になって、そこから興味を持ってくれる人が増えて、お客さんもどんどんと増えてきました。そして同時期に、テレビの取材も初めて来ました。まだ雑誌も載ったことない頃で。その番組の放送後、またドーンってお客さんが増えましたね。」


- 和風とんこつの泡は?

「約2年前からですね。泡はね、ある日、自分の賄いを作る時、『これ、ミキサーしたらスープ軽くなるんちがうか?』ってしてみたら、見た目もキレイになるしスープも軽くなって『これいいな』って。『これを賄いじゃなくて、店に出そうか』って感じでしたね。まだ関西に泡系が流行る前ですね。何も考えずにやって、偶然に生まれたものなんです。お客さんも『うわぁ、キレイ!』って喜んでくれていました。」

 

- 自家製麺について?

「僕は飽き性なんで、時々、粉を変えて、麺を変えてるんですよ。ずっとこの麺ってわけでないんです。縮れはもうオープンしてからずっと縮れなんですがね。一本の軸ってのがあって、それの粉は崩さないんです。その横の粉をちょっとずつ変えたりしていますね。」



- 読売テレビ"関西ラーメンファイル"正月特番で、"ブロガーが選ぶ美味しい店"1位に選ばれて?

「びっくりしましたね。何も聞いてませんでしたから。あれは反響が凄かったです。放送終わってすぐに電話が鳴り続けるようになって。読売テレビさんから電話かかってきた時は『何を言ってるんかな?』って分からなかったですから、『なんでウチなんですか?』って聞いたくらいですから(笑)。ディレクターさんは『美味しいからそうなったんです』って言ってくれました。」

 

- お弟子さんは?

「一応、今、一人います。まだ未知数ですけどね。」

- SNSでの情報発信?

「オープンした頃は何を食べてもまずいとか凄いことを書かれたりしてたから、もうトラウマでしたね(苦笑)。店のブログはね。誰かに言われれたんですよ臨時休業とか書くために。『そういう情報は出した方がいいよ』って。」


- 趣味?

「今はもうラーメンを作ることだけですね。20歳の頃からこの店をオープンする頃まではサーフィンをずっとしてましたね。海外にも行ってたくらいです。この写真(カウンター上に飾ってる写真)、僕なんですよ!インドネシアの有名なスポットでの写真です。ラーメン屋をオープンしてからは、遊びは一切捨てて、ラーメンだけの生活をしています。」



- 大切にしてること?

「常に全力。全力で良いものを届けたいです。僕、三重県の日生学園にいたんです。ダウンタウンの浜ちゃんがいてテレビでも有名になった高校ですね。あの学校のスローガンが"全力"なんです。『何でも命がけでやれ!』って。"かしや"をオープンしてから約2年間ほど、ホントに店がアカンかったので鬱になった頃があったんです。1日中営業してても、お客さんが6人とか。お客さんに「まずい、ぬるい」とか言われてて。もう駄目になりそうだった時、高校時代のことを思い出したんです。それで『俺、逃げたらあかんわ!』って。それから前向きに考えるようになって、今があります。これから先もこの場所は『ずっと僕が立ち続けたい』って思ってます。」


この場所はずっと僕が立ち続けたい!


<店舗情報>

■ かしや

大阪府大阪市西成区玉出中2-4-21

公式HP:http://kashiya.wix.com/index

店Twitter:https://twitter.com/kssy22

店Facebook:https://www.facebook.com/tonkotukasiya

店ブログ:http://ameblo.jp/takunkashihara/

 

(取材・文・写真 KRK 平成28年6月)