Vol.38:ラーメンにっこう

滋賀のラーメン屋さんと言ってもピン!と来る人は少ないかもしれないが、「ラーメンにっこう」の名前は聞いたことがある方は多いだろう。滋賀の頂点に君臨し続ける実力店だが、近年のラーメンショーでの活躍などで一気に全国区の知名度になった店だ。国宝「彦根城」があり観光客で連日賑わっている観光エリアからはかなり離れていて、周辺が田んぼばかりって立地だが、この店に行くと「美味しいラーメン」がある。その噂を聞いて関西だけでなく他府県のラーメンファンも頻繁に訪れる聖地のような存在だ。メニューのラインナップも安定していて、しかも名物の限定メニューも数々生み出している。どれだけの引き出しがあるのか?まだまだ底が見えない店主は一体どういった経験を積んできて今に至るんだろう?いろいろ聞いてみたくて彦根市まで久しぶりに行ってきた。「ラーメンにっこう」西川店主にKRK直撃インタビュー! 


- 出身は?

「滋賀県です。」

 

-ラーメンとの出会い?

「基本的には昔からラーメンが好きでした。子供の時からですね。ウチの親が遊びに行く時がいつも京都だったんです。だから僕もよくついていって、映画観る時も小学校の時から京都の映画館でしたね。そして京都のラーメン屋さんでもよく食べていました。当時、そして今も僕の中で一番好きなのが新福菜館です。」

 

- 当時、滋賀のラーメンは?

「天下一品ができて『お~』って感じだったですね、あの頃は。時々食べてたのは第一旭や藤、家の前に週一で来る夜鳴きそばみたいなの。あとはカップヌードルですね。」

 

- ラーメン屋への興味は?

「高校くらいまでは全く考えてなかったです。全然違う道を考えていましたから。高校卒業して大学へ進学して、大学ではラーメンが好きな仲間とラーメンサークルを作って『ラーメンを食べ歩こう』って活動をしていました。僕が部長になって、飲み会とラーメン食べ歩きって感じでしたね。サークル活動で行ってたのはほぼ京都でしたね。東龍さんとか、めん馬鹿一代さんとか。一回、遠出して和歌山に行って井出商店とかで食べたこともありました。」

- それから?

「で、2回生の時に来来亭(公式HP)が彦根にオープンしたんです。ちょうどラーメンブームの時で、来来亭も凄い人気だったんです。その来来亭が彦根にできるってことで、そのタイミングで来来亭でバイトをすることに決めました。」

 

- どうでしたか?

「凄い人気でしたね。今のウチの倍以上の売り上げあったんじゃないですかね?基本、洗い場とフロアーで働いていましたね。」

 

- ラーメン屋することへの興味は?

「まだ無かったですね。『こんなしんどい仕事は絶対にしない』って思っていましたから(笑)。その時は大学卒業して、それなりの企業に就職するって思っていました。同時に中学校くらいから『漫画家になりたい』って夢もあったんですよ。1回だけ出版社に僕の漫画を送ったこともありましたね。当時、好きだったのはドラゴンボールでした。そして大学では教職の免許も取得してたので教育実習に行ったんですが、ラーメン屋の仕事に比べたら、『めちゃくちゃ楽やな』って感じて、『じゃあ、教師もありかな?』って思いました(笑)。でも就活してる時もなかなか仕事が見つからなかったですね。」

- 海外?

「大学3回の時、20日間ほどですが欧州をバックパッカーで廻りました。フランス、オランダ、ベルギー、ドイツ、スイスですね。元々はアメリカで短期留学予定だったんですが、NYの同時多発テロがあったので、予定していたアメリカへの短期留学が無くなったんです。それで行先変更してヨーロッパ個人旅行になったんです。何も準備せずに行ったんですが、やっぱり面白かったですね。それで帰ってきて、『好きなことを仕事にしたいな』と『やれば何でもできる!』って気持ちになりました。生きる力が身に付いた気がしました。」

 

- 教師の方は?

「いろいろ考えてから『教師』って思ったんです。でも卒業の時点でもまだ就職が決まってなかったんです。教師も僕、高校公民しか持ってなかったんです。それでは採用が少ないので、『小学校の免許も取ろう』って思い、通信で仏大に入って1~2年勉強しました。」

 

- ラーメンの方は?

「大学卒業と同時に来来亭を辞めさせてもらいました。で、次にバイトしないとって考えると、やっぱりラーメンが好きだったので、水口町にある『天下ご麺』でバイトを始めることにしました。そこへは1時間以上かけて通っていましたね。僕は見てなかったんですが、僕が入るちょっと前に人気番組『ガチンコラーメン道』が放送されてたんです。テレビの影響もあり、しかも当時、滋賀には珍しい塩ラーメン。そして美味しい!来来亭とはまた全く違う感じだったので、衝撃を受けました。天下ご麺では麺場もやらせてもらいましたが、肝心なスープの仕込み等は教えてもらってませんでした。そして『大津店ができる』ってことになり、僕のバイト時間も丸1日入ることも増えてきました。その頃は自分で「こうしたら美味しいだろうな」とか思いながら、いろいろしていましたね。」

 

- 作ることへの興味が?

「まだ『バイトをしている』って気持ちだけでした。その時は小学校の免許を取るために勉強してる最中でしたから。でもラーメンが更に好きになってきていて、食べ歩きも昔と違って関西だけでなく東京まで食べに行ったりしていましたね。そして1年間ほどフルで働いた後、小学校の教育実習が1か月あったし、その後、すぐに採用試験があるので『もうバイトは続けれない』ってことで、天下ご麺を辞めました。でも採用試験は1回目で受からなかったんです。その時、以前に高校の教育実習である先生から聞いた『社会に出るために子供たちを教える先生たちが、実は社会に出たことがない。矛盾してる。』って話を思い出したんです。それで『僕はこれから30年、40年と教師するなら、あと1~2年は違うことをしてみよう』って思ったんです。講師登録をやめて、『何か働こう』ってことに決めました。」

 

- 何かとは?

「それから『どこのラーメン屋で?戻ろうか?戻るのもな?一回就職するか?』とかいろいろ考えて、でも『1年後に辞めることになります』って言って、誰が雇ってくれるんだろう?って考えて、『それなら自分でしようか?』って気持ちが出てきました。そして、それはラーメン屋でしたね。自分の中ではラーメンしか持ってなかった。」


ラーメンにっこう(2005年11月5日オープン)


- ラーメン屋を始めることに?

「最初、『やめやすい移動販売にしようかな?』って思ったんです。それで東京にそういう車を売ってる店があったので見に行って、たしか150万くらいだったんです。お金も持ってなかったし『高いな~』って。それで滋賀県に帰ってきて『移動販売か~』とか考えながらウロウロしてると、偶然に目に留まったのが前の店舗があった物件。その時に『逆に店を持つならどのくらいするんだろう?』って思ったんです。それで電話してみたら『できそうだな』って。元々、この場所はラーメン屋だったですし。それで『無理やったら無理で1年してやめたらいい』って気持ちで決めました。それが2005年です。当時は近くの小学校でバイトもしていました。」

 

- 屋号の由来は?

「僕の名前、西川浩司です。小学校の時から『にっこう』って呼ばれていたんです。同級生とかに『にっこうがやってるラーメン屋さん』と思ってもらえたらいいなと思い、そのまま『ラーメンにっこう』に決めました。」

 

- 場所への不安は

「なんにも考えてなかったですね。ただ、僕が家から大学に通ってた頃の通学路だったんですよね。『自分が通る道だから、みんなも通るだろう』と思っていたんです(笑)。」

- 準備期間?

「1ヶ月半とかでしたね。タレとか全然教えてもらってなかったので、経験があったってほどではなかったのでほぼ自己流でしたね。でも『鶏白湯でやる』ってのは決めていました。メニューって実は当時から今もあまり変わっていないんですよ。鶏白湯、日香麺とか。この4つを最初からやっていましたから。」

 

- 鶏白湯?

「2005年頃、ラーメン評論家の石神さん(twitter)が『これから鶏白湯』って言ってたんですよ。僕は鶏白湯に拘りがあったわけでないんですが、当時、僕は豚骨がそんなに好きってわけでなかったし、家の近くに鶏屋さんがあったので。当時は関西では鶏白湯みたいな店があったけど、鶏白湯って言葉にまだ馴染みがなかったですね。」

 

- 日香麺?

「当時『麺屋武蔵』みたいに和風なイメージの店舗が多かったので、『和風な名前もありかな?』と思って考えたりしていました。屋号の『にっこう』を日香とかこういう感じで、和風出汁とか使えば日本の香りだな~って。清香ってのは(当時から付き合っていた)ウチの嫁の名前です。そして対になる感じで晴香ってのも決めました。」

 

- 当時、麺は?

「オープン当初は福岡の大砲ラーメンの麺を使っていました。天下ご麺で同時期に働いてた中尾さん(現・麦笑)が風火をやり始めた頃で、そこが大砲ラーメンの麺を使っていたんで紹介してもらいました。僕は天下ご麺はバイトってだけで修行していたってほどじゃなかったので、僕が頼れるのって中尾さんだけだったんです。」


- オープンして?

「最初はお客さんも全然来なかったですね。宣伝は新聞広告をちょっと出したくらいでしたね。アメブロ(店主ブログ)は友達が教えてくれていて、オープン前からやっていました。大学の頃の同級生がデザイン科にいたので店のロゴとか作ってくれたり、mixiでコミュニティーを作ってくれたり。営業も最初は妹や大学の後輩に手伝ってもらってしてましたね。」

 

- 当時のラーメンは?

「全然納得できてなくて、毎日、違うスープを作っていた気がしますね。目指すところがあるわけでなく、とにかく『美味しい鶏白湯と美味しい清湯を作りたい』って気持ちでしたね。当時、2回ほど食べに行ったまる玉さん(公式HP)には少し影響受けたかな?」

 

- 教師の方は?

「ずっと保留でしたね。『来年受けよう』とか思ったりしてたんですが、店をやりだしたら勉強する時間なんて無くて。休みの日も買い出しや銀行とか行かないといけないし。あと、『教師はいつでもやれる』って気持ちもありました。『ラーメン屋は体力ある今しかできない』って思っていました。『アカンかったらすぐにやめよう』って気持ちで始めたけど、やったからにはやりたいことがいっぱいあったんです。テレビにも出てみたい。カップラーメンを出したい。海外に出店したい。だから英語のロゴにしたし。やるからには凄くなりたい。美味しいのを作りたいって。」



- 滋賀拉麺維新会?

「最初、僕と中尾さんが『やろう!』って言い出したんです。そして加藤さん(幻の中華そば加藤屋)が加わって、滋賀拉麺維新会(公式HP)って名前は加藤さんが付けてくれました。そして『もうちょっとメンバーを増やそう』ってことで梅花亭さん、麺屋ジョニーさん、ととち丸さんにも声をかけさせてもらいました。」

- 目的?

「滋賀のラーメンを盛り上げたい。アピールしたい。当時やっぱりラーメン雑誌でも京都、大阪ばかりだったんです。取材にも来てくれない。食べにさえ来てくれない。ある時、某出版社の人に聞いたら、某ラーメン本の場合、90%ほど売れてるのが大阪や京都。だから『出張費を使ってまで滋賀に取材に行けない』って。それで凄く腹が立って、なんとか盛り上げていこうっての思ったんです。」

 

- 効果はありましたか?

「維新会作って、京都とコラボしたりして話題になって、取材もちょこちょこ来てもらえるようになってきて、そして東京ラーメンショーも出させてもらうことになっって。」

 

- 東京ラーメンショー?

「最初、にっこう、風火、夢を語れの3店舗コラボで出て、次の年に滋賀拉麺維新会として出させてもらいました。でも結果的にはけっこうズタボロにやられた感がありましたね。集客もだし、メディアの対応とかも。それなりに悔しい思いをして帰ってきて、その悔しさを『どこかで取り戻したい』って気持ちが、最近のつくば、札幌、福岡などのラーメンショーへの参加へと繋がっていますね。」


2014年6月18日 移転オープン


- 滋賀のラーメン事情は?

「10年前、オープン時から『禁煙のラーメン屋』として始めました。当時、滋賀に禁煙のラーメン屋ってほとんど無く、彦根に関しては初めてだったと思います。その頃は喫煙者の方も今より多かったですしね。だから禁煙ってだけでお客さんが帰っていっていました。それにビールが無いだけで帰ってしまったり。でも僕はラーメンが好きでやってるし、『いい香りやな』って楽しんで欲しいし。たばこの臭いにも邪魔されたくないし。ここ数年でそれが普通になりましたね。」

- 他の場所?

「なんとなく『4~5店舗は持ちたい』とか考えていましたが、今は全く無いですね。最初の頃は店舗を増やすことが凄いことだと思ってましたから。でも僕は人を扱うのが上手でなくて、ストレスもあるし、自分には向いてないと気付いたんです。」

 

- 限定について?

「にっこうはこの地でアンテナショップ的な位置にあると思っていたので。二郎系を知らない人もいっぱいいたし、マー油もそうですよね。当時はどこもしてなかったつけ麺が受け入れられてから、お客さんが増えましたね。」

 

- 滋賀ラーメンを背負ってる気持ちは?

「自分の中ではある程度、滋賀を背負うって気持ちでしてる部分もありますね。ラーメンショーだったり、他府県の方が多く食べに来るようになったり。だからメニュー作りも突出してないけど『ちゃんと作りたいな』って思っています。」


- 海外へ?

「ずっと『海外に出たい』って思ってたので、五か年計画としてずっと動いています。場所もいろいろ見て歩いて、今はオランダのロッテルダムにしようって絞り込んできています。最初、ヨーロッパって思って、個人的にビール好きだしベルギーに縁があったのでベルギーにしようかと思ってたんですが、最近のベルギーの事情とか見てると『無理かな?』って思ったし、子供ができたので教育環境の良い所って考え出したらオランダが第一候補になってきました。」

 

- ロッテルダム?

「この前行ってきて、いろいろ見てきました。ラーメン屋はありますが、日本人経営の店は少ないですね。やるとしたら、最低10年くらいは地に足をつけてしたいなって思っています。まだラーメンを知らない人に食べて欲しいなって。」

 

-日本?

「日本はもういっぱいあるじゃないですか?どこも美味しいじゃないですか?彦根・滋賀に関しても僕がやらないといけないこともそんなに残ってない。10年前はつけ麺だったり、新しいメニューやその他のご当地メニュー。滋賀に無かったもの、誰もやらないものを取り入れたり提供したり、やりがりも多かったんですが、今は他の店もみんなやってます。もちろん、今でも自分なりに新しい物を取り入れたり、チャレンジは続けていますが、それ以上にまだラーメン未開の地でラーメンを伝えるってやりがいには勝てそうにありません(笑)。『海外に出たい』って気持ちが強いですね。」


- ラーメンに対する考え方?

 「鶏白湯でも最近、濃厚なのばかり流行ってきてますが、僕は『そうじゃない』って思っている。そしてあまり高い食材を使うんじゃなくて、その分安い食材を大量に使いたい。鶏ガラでも特に銘柄に拘らないけど、その分、部位を考えるのと大量に使う。臭みを抜く。そういう考え方ですね。」

 

- 拘り?

「ラーメンは老若男女に食べて欲しい。店自体、若者だけでなくお年寄り、子供にも食べて欲しい。今は子供禁止の店とかもあるけど、僕は子供の時からラーメンを食べていて、ラーメンは『誰にでも身近にあるもの』としてあって欲しいんです。敷居を高くしたくない。味にも興味を持ってもらいたいし、ちゃんとみんなに食べてもらいたいって気持ちがある。ウチのラーメンは個性が少ないって自分でも思っている。濃厚でもないし。でも『それはそれでいい』と思ってやっています。」



<店舗情報>

■ラーメンにっこう

滋賀県彦根市宇尾町1366-2

店Twitter:https://twitter.com/la_men_man

店ブログ:http://ameblo.jp/nikkou/

 

(取材・文・写真 KRK 平成28年9月)