Vol.62:中華そば まる豊


 2017年6月1日、和歌山市内である店がオープンした。普通の新店オープンとは全く違い、多くのメディアが大々的に報じているのにとても驚いた。屋号は「中華そば 〇豊」。この記事を読んでる多くの方は、この店名だけでピーン!と来たかもしれない。地盤沈下により店全体が傾いたまま営業していた、あの「〇豊」だ。創業1983年の老舗が、元の場所からそう遠くない場所で新たな店舗で営業再開したというわけだ。

 「傾いた店舗」として抜群の知名度を誇った名店だから、新店舗に行ってみると、目の錯覚か客席から見る厨房が傾いて見える。そして実際、店の外の看板を意図的に傾けてたりしている。長い歴史を背負って、新たなスタートを切った老舗を支える店主がどんな想い、不安を持っているか聞いてみたくなった。「中華そば 〇豊」豊田店主にKRK直撃インタビュー! 


- ラーメン屋を始めたきっかけは?

「約35年前ですね。『何か商売したい』とずっと考えていて店を探していたんです。いろんな人に場所を紹介してもらったけど、これは!って場所がなかなか見つからなくて。アロチとかで物件を紹介してもらってたんですが、どうも気に入らなかった。ある時、あの場所(昔の店があった場所)、小さい小屋やんか?でもフッと気に入ったんですよ。『ここだったら!』と思いました。」

 

- すぐに決めたんですか?

「それで大家さんに聞きに行ったら、『この場所は今までに3回ほど貸してるけど、みんな商売を失敗しとる。居酒屋やラーメン屋とか。3回とも2~3年でやめてる。それでもう貸さないことにしてる。』と言われたんです。それでも『私はここを気に入ったから、ここで一生頑張るから!』と言いました。すると大家さんが『そこまで言うなら使えよ』と言ってくれたんです。それから片づけて、壁とかボロボロだったから張り替えたりしました。そしてやっと店をオープンできました。」


中華そば 〇豊(昭和59年オープン)


- オープンしたのは何年ですか?

「昭和59年頃ですね。」

 

- ラーメンは誰かに教わったんですか?

「当時は教わるってのはなく、みんな我流でした。家内がラーメン屋を始める前に、スーパーの隣にあったうどん屋で働いてたんです。そこでラーメンの作り方もちょっと教わってきていて、それを取り入れて二人で考えましたね。あっちこっち聞きに行ったり、美味しいラーメン店に食べに行った時に『これは美味いな。おやっさん、何を入れてるんや?』って聞いたりね。いろんな本見たり、大阪とか名古屋、東京まで食べに行ったりもしていました。ここの醤油、あそこの醤油って醤油から始めて、肉もね、肉屋さん、鶏屋さんに交渉しに行ったりしていましたね。そういうのを二人で続けて作ったのがウチのラーメンです。」

 

- オープン当初の味は?

当時のラーメンは、そりゃ経験を積んできた今の味と比べたら全然まずかったですよ。今とは雲泥の差。でも食べられへんことはなかった。」


中華そば


- オープンして順調でしたか?

「オープンしてから5年くらいはボチボチとやっていました。最初は居酒屋をしながら中華そばを出していたんですよ。そしたら『中華そばが美味しいな!』って評判になってきたんです。途中からカラオケもやり始めて、居酒屋、カラオケ、ラーメンと同時にやっていたんです。それでラーメンが途中から凄い人気になってきて、『これはえらいことや!』ってなり、カラオケを止めました。それからあの10人くらいしか座れない狭い場所で、中華そばと居酒屋を半々でやることにしました。そうしてる間にな、店が地盤沈下してきたんです。」

 

- 有名な話ですね。

「オープンして5年くらい経ってから、お客さんも増えてきてた頃ですね。最初、地盤沈下してるのは自分らは全く気付かなかったんです。ある時、常連のお客さんが玄関から入ってきた時に、『おやっさん、この店傾いてきたんちがうか?』と言ってきた。俺らは店の中にずっといるので全然気づかないんです。最初の頃は全く分からない。雨が降ると、玄関のドアが閉まらなくなっていたんです。僕らは分からないから『木が増えてきた』って思っていて、それで友人が『おやっさん、木が増えてるんや。俺がカンナ持ってきて削ったるわ!』って綺麗に削ってくれました。削ってもらったらドアがきっちり閉まる。また1年くらい経ったら、またドアが閉まらなくなる。また削ってもらって。『こんだけ削ったのに、またアカンのか?』ってなってきました。それで3回くらい削ってる間に、全部削ってしまったから上がもう無くなってしまってる。それである時、『これは地盤沈下ちがうか?』って。カウンターも一緒に傾いてるから。」

 

- 気付かないくらい、ちょっとずつだったんですね。

「後から分かったんですが、1年に1cmくらいの地盤沈下でした。」

- 地盤沈下と分かった時、どんな気持ちでしたか?

「『こんな所でやってられへん。建て替えようかな?』とか悩んだんです。カウンターだけでも真っすぐしようかとか、地盤をしめてしまうとか、そういう計画も立てたりしました。でもお客さん達が『俺らはこれがいい。傾いてるのがいい』と言うんですよね。」

 

- 傾いての営業は大変だったでしょう?

 「その時はもう丼も傾いて、スープも零れてしまう。『これはいかんな』と思っていたら、お客さんが『割りばしを丼の下に置いたら真っすぐになる』って使っていたんです。それでは割りばしが勿体ないから、『こぼれん棒』という名前を付けた棒を用意したりしましたね。あとは『平ら板』も置いていました。」

 

- 営業はそのまま続けることに?

「それから地盤沈下が止まり、そのままずっと営業していました。だいたい7~8度くらい傾いたままでしたね。みんな『このままがいい』って言ってたけど、自分は建て替えたかった。傾いたまま営業すると、足がずっと曲がったままだからすごく疲れるんです。でも店をしてる限り、お客さんが一番だから。それで建て替えることもなく、最近まで営業続けていたんです。」



- メディアから取材は? 

「どういうことで最初にテレビが来たっていうと、今から25年くらい前ですね。最初、関西テレビから二人のディレクターが和歌山へ来て、『和歌山の中華そばでどこが一番美味しいか?』って統計をとってくれたんです。その当時よく賑わってた喜志駅やJR和歌山駅とかでね。10時~16時までアンケートをとった結果、ウチが一番だったんです。それで関西テレビが『撮影させてくれ』ってウチに来たんです。だから最初は中華そばの撮影だったんです。それ以降、いろんな所から『ウチも取材させてくれ』って来ましたね。

 そして、ある時、某テレビ局が取材に来た時に『ラーメンの取材ついでに、店が傾いてるのも撮らせてください!』と頼んできた。その番組が大好評だったらしく、更に多くのメディアから取材が殺到しましたね。面白い内容を作りたかったらしく、机で箸とか転がしてみたりしてましたね(笑)。傾いてるからコロコロコロって転がっていくんですよ(笑)。」

 

- 2017年の移転の理由は?

「先代の大家さんには『絶対にこの場所で一生やる。どんなことがあってもここでやります!』って約束していたんです。しかし先代が亡くなって、次の世代の方達が大家になったんです。それからいろんな諸事情がありまして、立ち退かないといけないことになりました。それで『どこかないかな?』って物件を探し始めました。」

 

- この場所は?

「ある日、ここの前を通ったら、貸しますって書いてあったんです。その時に『ここがいいな!前の場所から引っ越しするのに近いし』って思いました。それでこの場所の大家さんと話すと、大家さんがウチに夫婦でよく食べに来てた方だったんです。大家さんは『〇豊さんだったらどうぞ使って下さい』って。よかったわ~。この場所なら前の場所から近いから、今までの常連さんも来てくれるし。」


中華そば 〇豊(平成29年6月1日 移転オープン)


- 新しい場所で順調ですか?

「6月1日に開店して、もう3ヶ月ですね。この場所だと、昔のお客さん、新しいお客さんも来てくれるので、今日も11時から忙しかったですよ。前は17時から営業だったけど、この場所では11時から22時まで営業しています。」

 

- 看板を傾けてる理由は?

「家内のアイデアです。こぼれん棒も置いてるんですよ。昔の思い出も大事に残しておきたいからです。前のイメージを無くさないようにして、お客さんを大事にして、命のある限りここで頑張っていこうと思っています。宜しくお願いします。」



<店舗情報>

■中華そば 〇豊

住所:和歌山県和歌山市本町9丁目28

創業1983年。2017年6月1日移転オープン。

(取材・文・写真 KRK 平成29年9月)