Vol.63:鉢ノ葦葉


 私が初めて四日市市に行ったのは、2009年11月だった。気になるラーメン店があったからだ。近鉄特急で四日市駅に到着して出口を出ると、もう右も左も分からない。当時はスマホなんて無かったので、ネットからプリントアウトした地図を片手にこの店を探してひたすら歩いていた。その店が"鉢ノ葦葉"だ。

 当時、オープンして2年目だった鉢ノ葦葉は、特に関西まで知名度がある人気店というわけでは無かったけど、ネットでラーメン画像を見てとにかく気になった。当時、私が残しているコメントが「多くの客を引き寄せる力はまだ無いかもしれないけど、長く通う常連客がゆっくりと増えそうな味」。今になって考えたら、なかなか良い感想だったと思う。

 鉢ノ葦葉のラーメンは、流行りが欲しくて来るお客さんには響かない。しかしラーメンが好きなお客さんにはとにかく響くラーメンだ。当時も思ったし、全国を食べ歩いてる今でも思うことだが、鉢ノ葦葉のラーメンを食べた時、頭に浮かぶ他のラーメンが無い。こんなラーメンをどうやって生み出したんだろう?東海屈指の繁盛店となって、営業後も仕込みに追われてる大変な時間にちょっとだけ時間を作って頂いた。"らーめん 鉢ノ葦葉"堀店主にKRK直撃インタビュー! 


- 生まれは?

「神奈川県小田原市です。」

 

- 四日市にはいつ頃から?

「嫁の実家が四日市で、30歳の時に来ました。転勤とかじゃなく、無職で本当に貯金もゼロ。裸一貫で『お世話になります』って来ました。」

 

- 当時、ラーメンは?

「当時はラーメンを好きなわけでなく、(ラーメンを)しようという気持ちも全く無かったですね。」

 

- 四日市に来て、仕事は?

「最初、誰かに紹介してもらって病院の流動食を作る仕事をしていました。給食室ですね。しかし子供が生まれてから、その仕事は低賃金だったし、非正規雇用だったから立場が弱かった。それでちょっと何とかしないと駄目だなと思いました。」

 

- 何かしたいことはあったんですか?

「昔から我が強くて、自己顕示欲が強かったので人から指図されるのがとにかく嫌で、関東にいた頃も定職にほとんど付いていなかったんです。心の片隅でいつかは自分でするのかなってのは思っていました。個人事業主みたいな感じでやるのが、自分の性に合ってるのかなと思っていました。」

 

- それで頭に浮かんだのは?

「自分で商売しようと考えた時に、選択肢が限られてくる。飲食だったらなるべく品数が少ないラーメンとかカレーとか、一本で勝負できるようなものって。そういうものの方が、凝り性なので自分の性に合っている。それで『ラーメンをやってみようか!』と思いました。」

- どこかのラーメン屋で修行?

「修行はしていません。修行なんて一番性に合わない。ラーメン食べ歩きもしていませんでした。」

 

- どうやってラーメンの勉強を?

「病院を辞めた後、『ラーメン屋でもしようかな』と思った時、包丁も握れないし、何かちょっと不安だったんです。ラーメンって大量調理でしょ?その時に『俺は将来、繁盛店をするから、物凄い大量調理を経験しておく必要があるんじゃないか?』と思いました。それでお昼に1000食くらい捌く工場の社員食堂、そこで募集があったので『ちょっと包丁くらいは』と思って、お金も貯められるし2年間お世話になりました。ラーメン屋に修行で入るというのは俺にとっては合理的じゃなくて、社員食堂とかで1000食とか捌いた方が絶対に身になると思いました。」

 

- 独特の考え方ですね。

「よく言われますが、本質は同じ。ラーメンに限らず、いろんな所に生きるヒントは転がっている。それを自分で探せばいいだけのこと。」

 

- 社員食堂での仕事は?

「包丁が持てないから、最初は洗い物から始めました。1000食も捌く食堂って、揚げ物は冷凍だし、魚だったら下処理が済んでるのを焼くだけ。誰でもできる作業。そんなのはやりたくないから、『俺、包丁がやりたいです!』と言って、『将来的に自分が使える技術をやらせてくれ』と頼んでいました。それでずっとキャベツを切ったりとか、煮炊きものとかさせてもらっていましたね。みんなが嫌がる大変な作業ばかりでしたが、俺には目標がありましたから。包丁と煮炊きもの以外はしないって威張っていましたね。」

 

- その時はもうラーメン屋開業を決めていたんですか?

「そこに入る時点で『ラーメン屋を一回やってみよう』と決めていました。食堂で働いてる間、融資を受けられるように、2年間かけてきちんと事業計画書を作っていました。一発で銀行を通るようなきちんとしたものを作り込んでいました。」


らーめん 鉢ノ葦葉(2007年4月8日オープン)


- 2007年4月8日にオープンですね。

「2006年の年末に社員食堂を退職して、2007年4月にオープンしました。準備はその間に全部していたんですが、試作は3日間くらい(笑)。家で10人分くらい作ってみたりしてましたね。」

 

- 場所には拘ったんですか?

「不動産屋に行って『四日市でラーメン屋やりたいけど、物件ない?』と聞いてから、消去法で決めました。ここは通りの裏でしょ?みんなから場所が悪いとかいろいろ言われたんですが、俺は一見さんを狙った商売じゃなくて、一回食べたらまた食べたいってラーメンを目指してたんです。だから、何でもいいから一回来てくれたら場所は関係ないと思っていました。」

 

- 屋号の由来は?

「最初の方は話していたんですが、ある日から屋号の由来は非公開にしているんです。自分にとっては大切な言葉で、幸せになる為の魔法の言葉みたいな感じなんです。それを安易に使うとみんながちゃんと受け取ってくれない。だから非公開にしています。」

- オープンした頃のラーメンは?

「普通に考えて、3日間で美味しいラーメンを作れると思う?社員食堂で働いてた頃、開業への準備はいろいろしていたけど、ラーメン作りだけは何もせず、たまに週末に家族に作っていただけ。そのツケが開店して一気に来ました。こういう味にしようと味を変えたわけでなく、毎日味が違う。なんでか分からないけど今日は駄目だな。味が無いから今日はやめようって。」

 

- 頭の中にあったラーメンは?

「自分は関東で生まれたので東京の煮干しが効いたラーメンに馴染があったし、小田原にも小田原系ってラーメンがあったし。清湯でコクがあってという感じは漠然と頭にありましたね。」

- 客入りはどうでしたか?

「最初の半年は全然お客さんが来なかったですね。半年目にもう現金が全部無くなってしまって、支払うものが支払えなくなる状態になりました。その時、俺はもうアカンって一回だけあきらめそうになったんです。でも嫁に『そんなこと言ったら駄目だよ。なんとかなるよ』と怒られたのを憶えています。外側から見たらけっこう華々しくデビューして、そこそこ調子良くって思われていたようですが、内情は3年間くらいは火の車でいつこけてもおかしくない状態でしたから。それこそね、悔しくて情けなくて泣きながら仕込みをしてた日もありましたから。」

 

- どうやって盛り返したんですか?

「その時に中京テレビか何かの取材がたまたま入ったんです。ああいうの出ると一時だけお客さんが来るようになるでしょう?その時にちょっと売り上げも上がって、支払うものも支払えるようになったんです。そこで復活して、もうこんな怖い思いをしたくないって、更に一生懸命になりました。なんとかまだやれそうだなって。」

 

- そこからは順調に?

「支払いが滞らなくなって、ウチにも食費が出るようになったのが3年目くらい。今思えば、嫁がいなければ今はない。その頃は俺が全部、自分のチカラでここまで来たんだと考えていたけど、今考えたら真逆だよね。嫁には純粋に感謝しかないです。」



- 10周年を迎えて?

「急激に上がったりはしなかったけど、10年間、じっくり階段を一歩一歩上るような感じでした。ある時振り向いたら『あれ?ちょっと高い位置に来たな?』という感じ。急に上がったってことは無いです。」

 

- 他のラーメン店を意識してましたか?

「しないです。親しい店に挨拶に行くことはありましたが、勉強のためにとか、何かヒントを得るためにってのは7~8年目まで一切しなかったです。する必要がないと思っていました。ガラパゴス状態という感じでしたね。」

 

- 人気店になって何か変わりましたか?

「基本的に自分自身がブレないので、誰に何を言われようと自分の進む道は決まってるのでブレることは無いです。何か変わるということは無いです。」



- 営業時間短縮し、メニューを絞ったのは?

「仕込みの数が膨大になり過ぎたからです。自分が皆さんに食べて貰いたい塩ラーメンのレシピは、今は物凄く複雑で工程も多いんです。」

- 麺に対する拘り?

「製麺と言うと、だいたい小麦の品種に拘ってたり、あれとあれをブレンドしたりとかあるでしょ?俺のスタイルは全く逆で、小麦は変えなくていいからアプローチの仕方、それをどれだけ種類、引き出しを持ってどれだけコントロールできるか。ミキシングの時間、温度調整、加水調整、圧力調整、そんな事をみんながやらないレベルで今は取り組んでいます。これはどうだろうと思った時に、一回やっただけでは分からない。サンプル数は多いほど信頼性は上がるから、5回、10回と同じことを繰り返して、『あ~やっぱりこうなんだな』となる。だから物凄く長期的な考え方になる。」

 

- そういうのってメモに残すんですか?

「一切しない。ラーメンのレシピとかも昔は持ってたんですが、今は全て処分しました。」

 

- 麺とスープの関係?

「特に区別はしていません。『どっちを重要視する?』と質問をされることもあるんですが、困りますね。やっぱり一心同体っていうか、片方だけでは絶対にラーメンは成立しない。それを別々に考えるのは間違ってるわけで、一緒に食べた時にバランスよく小麦の味がして、スープの味がしてって1つの味として考えています。だから僕のラーメンは完全なバランス型でしょ?」

 

- 今、堀さんの目指すところの何パーセントくらい?

「分からないですね。ただ、意識してるのは、日々アップデートしていかないとお店は死んでしまうって考え。今日美味しいものができたら、『じゃあ、もうちょっと良くしてみようか』という気持ちで毎日厨房に入っています。」


- 今の悩みは?

「今の一番の悩みは体力。ただ、それはたぶん俺だけじゃない。一人で仕込みをやられてる同業者はみんな同じだと思う。だからそんなことで弱音を吐いても仕方ない。できるところまで自分でやる。情熱がある内は前進あるのみと思っています。」

 

- 堀さんにとってラーメンとは?

「物凄く大切な存在ではない。生きるための手段。根っこは幸せに生きる為に、家族を幸せにするために、関わる人みんなを楽しくするためにここにいる。ラーメンはあくまでもその手段。でも始めたからにはきちんと責任を持って、一緒にいなければならないパートナーって感じ。『みんなこういう想いでやってるのかな~?』と考えると、ちょっと気が楽になります。」



<店舗情報>

■らーめん 鉢ノ葦葉

住所:三重県四日市市城北町1-12 ル・グラン1F

ブログ:http://blog.livedoor.jp/kamaboko4956kamaboko/

twitter:https://twitter.com/8noashihanoodle

(取材・文・写真 KRK 平成29年9月)