Vol.75:ふく流らーめん 轍


  多くのラーメン職人を輩出してる名門”JUNK STORY"時代、語り継がれる名作(限定)を多く生み出し”天才”と呼ばれた男が、ついに独立開業したのが2014年3月14日だった。屋号は"ふく流らーめん 轍"。エスプーマを乗せたオリジナル感全快の濃厚ラーメンを看板に、一気に行列店の仲間入りを果たし、積極的に店舗展開もしている名店だ。そして2017年、ミシュランガイドのビブグルマンに掲載され、幅広い客層にその名が知れ渡ることになる。

 次々と人気店が加わってきて大阪はラーメン戦国時代。そんな激戦区で安定した人気を保ち続ける店主にいろいろ聞いてみたくなった。"ふく流らーめん 轍"福山店主にKRK直撃インタビュー! 


- 出身は?

「東大阪市です。小阪って街です。親が工場をしていてけっこう転々としていたので、小学校くらいからは今里って鶴橋の隣の所に住んでいました。」

- 音楽の方でかなり有名だったとお聞きしたんですが?

「20歳から30歳くらいまで10年くらいレゲエをしていました。Fire Worksって名前で活動していました。元々、レコード盤を好きで集めていて、その流れで始めたんです。当時、大学に行ってたんですがレコード屋で働けるって話が舞い込んで、それで大学を中退してそのままレコード屋で働き始めました。」

 

- 音楽をしていた時、ラーメンの方は?

「音楽していた時にイベントのチラシをデザインしてくれていた人が、京都の◯竹さんや高倉二条さんとかがある所に住んでいたんです。その人がラーメンがメッチャ好きでいろいろ連れていってくれてたんです。それで僕もラーメンにメッチャ嵌まってしまいましたね。」

 

- 当時、一番はまったラーメン屋さんは?

 「当時、伏見区にあった"はなふく"さん(現:ラーメン まぜそば 縁)ですね。あの店が忘れられなくて。雪が降ってる日にメチャクチャ並んでつけ麺を食べたりしていましたね。はなふくさんが淡路島に移転した時は、淡路島へも食べに行っていましたからね。他には紫蔵さんとかもかなり好きでしたね。大阪に住んでたんですけど、京都のラーメンにメッチャはまっていました。ちょうどその頃に京都に彼女がいて、その子がフードファイター並みによく食べる子だったので(笑)、いろいろラーメン屋を一緒に回っていましたね。」


- 音楽を離れるきっかけは?

「音楽のDJってのが最初レコードだったのが、ちょうどCDでやるようになってきて、今だともうほとんどPCのデータでするようになっているんです。僕はレコード盤が好きだったので、それが面白くなかったんです。それでいろいろ考えていた時に、ラーメン屋でバイトしてみようかなって思ったんです。」

 

- ラーメン屋をいろいろ探したんですか?

「仕事帰りに難波から家に帰る道中、いつもJUNK STORYさんの前を通っていたんです。大阪のラーメン屋さんはあまり知らなかったので、まだ食べたことなかったんですが、『なんかいつも並んでるな~』って気にはなっていたんです。場所が坂の途中なので入りにくかったんです。猛ダッシュで自転車でのぼってる途中の場所だったので(笑)。ある日、バイト募集の看板が出ていて、それで(店の)目の前で電話したんです。『バイトしてみようかな?』って軽いノリだったんですけど、井川さん(JUNK STORY店主)に『社員してみたら?』って言われてたんですよ。それで『社員、かっこええな~』って思って(笑)、お世話になることに決めたんです。」

 

- ラーメン屋で初めて働いて、どうでしたか?

「お好み焼屋とかでバイトしたことはありましたが、飲食はほぼ初めてでした。だから寸胴とかも分からないからメチャクチャ怒られていましたね。お玉とか鍋とか言ってて(笑)、井川さんから『お客様の前で言わんといてくれ』って(笑)」

 

- JUNK STORYのラーメンについては?

「キラメキとか食べて凄い斬新だったし、魚介白湯とかもけっこう衝撃でしたね。」

 

- 当時、独立志向はあったんですか?

「最初、全然無かったんですよ。やっていたら音楽と両立なんてできなくなってきたし、自分もJUNK STORYに骨埋めようかなってほど嵌まっていたんです。『この店を広めたいな!』って思っていましたね。」

 

- 離れることになった理由は?

「ちょうど2号店をするって話になった時、僕は『JUNK STORYをもう一軒作ってください!』って頼んでいたんですが、『2号店は魚介白湯でしたい』ってことになったんです。それがJUNK STORYから離れることに決めたきっかけですね。それなら自分で何かしてみようかなって。JUNK STORYには約2年半ほどお世話になりました。」


ふく流らーめん 轍(2014年3月14日オープン)


- 場所をオフィス街に選んだのは?

「オフィス街でやりたいなって思っていました。やっぱり原動力じゃないですか!サラリーマンの人たちが集まっていてパワーがある地域だなって思いました。それと音楽やっていた手前、難波とかでやったら友達とかいるので『甘えてしまうな』って思ったので、離れた場所でしたいって気持ちもありました。」

 

- 当時、ラーメン不毛の地って印象でしたが?

「けっこうドキドキでしたね。リサーチしても大抵、ワンコインなんですよ。ランチタイムになると、路面で弁当とか安く売ってたりするし。それでも、敢えて750~800円でラーメンで勝負できないかな~って思いました。」


【KRK動画】ふく流らーめん誕生の秘話とは?


- 最初から店舗展開は考えていたんですか?

「全然考えていなかったですね。ウチで働いてくれる仲間が増えたり、知り合いの人から話が来たり。いろいろ考えてやることにしました。」

 

- 総本家の方は?

「製麺とか仕込みとかできる場所ですね。ちょっと味を濃くしたりしてますし、総本家だけ特盛を学生さん限定でしたりしてます。」

 

- 自家製麺はいつから始めたんですか?

「寺田町の総本家を始めた頃から自家製麺を始めました。JUNK STORYにいた頃に製麺は学んでいましたから、基本的な知識はありました。今は全店、自家製麺で営業しています。」



- 新店の屋号にもなった人気メニュー「マゼニボジャンキー」は、いつから?

「本町店での営業中にお客様と話してる時に生まれたんです。本町店でまだラーメン2本だけで営業してる頃、常連さんに『まぜそばもやってよ~』って言われて、『いつでも作れますよ!』って返事したら、『じゃあ今作ってよ!』って頼まれて(笑)。その時、その場で作ったのがマゼニボジャンキーでしたね。それが人気メニューとなって、その頃からマゼニボジャンキーに特化した店を作ることは考えていましたね。お客様からの評判も良かったし。」


【KRK動画】今後の展開について


<店舗情報>

■ふく流らーめん 轍

住所:大阪府大阪市西区西本町1-8-2 三晃ビル旧館 1F

公式HP:https://fukuryu-wadachi.com/

facebook:https://www.facebook.com/wadachi.ramen/

twitter:https://twitter.com/wadachiramen

2014年3月18日オープン。

(取材・文・写真 KRK 平成30年2月)