Vol.76:煮干そば 藍


 2015年11月、京都に煮干し系の新店が突然現れた。Facebookで繋がってる友人の投稿でその存在を知ったのがオープン前日!全然情報が無かった新店だったが、なんと店主は東京の名店"中華そば しば田"出身!"しば田"と言えば、東京でもトップの知名度を誇る名店だ。ラーメンブーム真っ盛りの関西に、関東から黒船来襲って思ったほど衝撃を受けた店の出現だった。

 翌日にすぐに店へ行き、関西とはまた違ったアプローチで作り上げた煮干しラーメンを頂いた。あれから3年が経ち、久しぶりに店主と話してみたいと思ったので時間を作っていただいた。今日までの日々について、いろいろ聞いてみようと思う。"煮干そば 藍"谷田店主にKRK直撃インタビュー! 


- 出身は?

「東京の中野です。」

 

- ラーメンにハマったのはいつからですか?

「ルーツ的には10歳頃。もっと前だったかな?おじいちゃんに玉川の釣りによく連れていってもらってて、その時に新宿経由で小田急線に乗っていたんです。桂花ラーメンってのが新宿にあって、そこのターロー麺(太肉麺)にハマったんです。それがラーメンにハマった最初でした。

 その時代ってラーメンってものがまだ少なかったですね。実家が中野だったので環七沿いなんですよ。それで中学三年の頃に"環七ラーメン戦争"みたいなのが勃発して、そこはほとんど食べ歩いていましたね。ラーメンが一番の主食って感じでした。僕は桂花ばかり食べてましたし、今でも東京へ帰ったら行きますね。」

 

- いつかラーメン屋をしたいって気持ちはあったんですか?

「当時はまだ無かったですね。料理をやる環境が無かったですから。料理をやるようになったのは、24歳頃からパックパッカーで何年間も世界を廻っていた頃ですね。旅先で自炊するようになってからです。DJ活動しながら世界を廻っていました。」

 

- DJ活動ですか?

「音楽は18歳頃からしていて、23歳までは事務所に入って東京で活動していました。でも喰えなかったんですよね(笑)。それから世界中を廻るようになりました。"電波少年(当時の人気TV番組)"の影響もあって、チャレンジ精神みたいなのもありましたね(笑)。夜行電車やバスで世界中を旅していました。」



- その頃、ラーメンは?

「旅から帰国してバイトとかしてた時、何か手に職をつけたいなと思いました。その時に『ラーメンやってみようかな』って。それで当時大好きだったお店(非公表)が吉祥寺にあって、ここで働けたらいいなって面接受けたら50人の希望者がいたんです(驚)。そこは美味しかったですからね~。それで50倍の中で受かったのが、僕と柴田さん(現・中華そば しば田 店主)の二人だけだったんです。」

 

- 初めてラーメン屋さんで働き始めて?

「そのお店では約1年間お世話になりました。半年ほど皿洗いで、それから1ヶ月間おしぼりで練習ってのをやってました。そして入って7ヶ月目くらいから現場に立たせてもらいました。」

 

- 当時、独立希望はあったんですか?

「その時は無かったですね。まだまだ旅をしたい国が多かったですし(笑)。だから旅のためにラーメン屋以外でもバイトしてお金を貯めていました。音楽も同時進行でしていたので忙しかったです。」

 

- そのお店から離れてからは?

「正式に某店を辞めてから、バンクーバー(カナダ)へ行ってワーキングホリデーのビザで1年間ラーメン屋で働いていました。その後、中南米を旅しててお金が無くなってしまって、ニューヨークのラーメン屋で働けるって情報があったのでニューヨークへ向かいました。ニューヨークに着いて翌日にはすぐに働かせてもらいました。ちょうど一風堂ニューヨーク1号店ができた頃ですね。」

 

- 再び旅をするための資金作りだったんですか?

「その辺くらいからですね。人に使われることに凄い嫌悪感というか楽しくなくなってしまって。『自分でラーメン屋をやりたいな~』と思い始めました。その頃は旅の間にも国内のいろんな名店で働いてるんですよ。正式に卒業してないので名前を言えないんですけど(笑)。だから僕は公開できるキャリアが少ないんですよ(笑)。」



- その後、帰国してからは?

「某ホテルでホテルマンと兼業でキッチンで働いたり、秋葉原のハンバーグ屋の料理長をしたりしていましたね。でもフラフラしてて、ハンバーグ屋も辞めたいな~って思ってたんです。その頃に、柴田さん(現:中華そば しば田 店主)から電話があったんです。」

 

- 柴田さんからの電話の内容は?

「『独立して店を始めたんだけど、手伝ってくれる?』って電話でした。僕が旅をしてる間も柴田さんは某店(非公表)で修行を続けていて、もうトップでした。某店の週一回の限定は柴田さんが任せられて作っていたので、柴田さんの引き出しは尋常じゃないですよ。」

 

- そして”中華そば しば田”で働き始めることに?

「やっぱり『自分でラーメンやりたいな~』と思っていましたから、"中華そば しば田"に入って半年くらいで独立しようと思いましたね。柴田さんにも早々に『ここ出たら独立しますね』と伝えていましたから。」

 

- 自分の店について、だいたいイメージは浮かんでいたんですか?

「僕、"中華そば しば田"の煮干しそばが好きだったんですよ。僕はジロリアン(ラーメン二郎が好き過ぎる人たち)だったし、家系も好きだったんです。でも30歳を超えてくるとやっぱりきつくなるんですよね。それで僕の中で”中華そば しば田”の煮干しが衝撃で、自分で店をするならこういう感じかな~と思っていました。それから都内の圓さん(煮干鰮らーめん 圓)とか食べたりして、自分で家で試作したりしてましたね。」


煮干そば 藍(2015年11月28日オープン)


 - 場所はいろいろ候補はあったんですか?

「海外に居過ぎたので、日本らしい場所でやりたいなと思ったんですよね。東京や大阪ってアメリカナイズされてるじゃないですか?だから東京は絶対ないと思ってましたね。候補としては、鎌倉、京都、沖縄って思ってました。沖縄は音楽の友達が多くいたんです。京都でゲストハウスに泊まりながら物件を探していて、ある日ここを見つけてピン!と来たんです。」

 

- 屋号の「藍」の由来は?

「"中華そば しば田"でずっと1日200杯くらい皿洗いしてた頃、中華そばの丼が赤で、煮干そばが青だったんですよ。青を洗ってる時にフッと下りてきたんですよね~。『自分で店やるなら、屋号は藍がいいな~』って。狙ってつけたわけでなく、本当にフワッて思いついたんです。それで外人さんとも交流したいってことで、英名がIndigoだったのでちょうどいいなと思って決めました。

 

- 壁のアートは何か意味があるんでしょうか?

「音楽やってた頃の先輩の岩切章悟さん(公式HP)に描いてもらいました。"流動"って動いてるような絵を描いてもらって、お客様が流れるようにって意味です。鯨とかオーダーしたわけでないんですが描いてくださいました。」



【KRK動画】提供してるラーメンについて


<店舗情報>

■煮干そば 藍

住所:京都府京都市左京区吉田下阿達町29-1

twitter:https://twitter.com/noodle_indigo

facebook:https://www.facebook.com/DriedSardineNoodleIndigo/

2015年11月28日オープン。

(取材・文・写真 KRK  平成30年2月)