Vol.77:つけ麺 丸和


 2018年になって衝撃の知らせがやって来た。2009年に初めて出会って以来、私が遠い名古屋まで通い続けている東海の名店"つけ麺 丸和"久留宮 店主が"第一線から勇退する!?"というのだ。私が丸和へ通い始めた頃(2009年9月)は、まだ大阪でさえ"つけ麺"を提供している店がほぼ無い時代だった。何度も日帰りで名古屋まで行き、"つけ麺 丸和"でつけ麺を頂いてた私なので、もう居ても立っても居られない気持ちになり、久留宮店主に"取材させてください!"と連絡させて頂いた。

 大勝軒の山岸氏と共に"つけ麺の祖"として周知されている偉大な師(義父)を持ち、東海ラーメンシーンを今日まで力強く牽引し続けた巨星の足跡をきっちり形として残したい。"つけ麺 丸和"久留宮 店主にKRK直撃インタビュー!


- 出身は?

「名古屋です。ずっと名古屋で育っています。」

 

- ラーメン屋をしようと思ったきっかけは?

「昔はラーメン屋をしようなんて全然思っていなかったんです。実家が米屋をしていたので僕も米屋で働いていたんですが、同時に違う事業もしたりしていました。その仕事の関係で埼玉に行くことがあって、その地で女房と知り合って結婚することになりました。女房の実家が"丸嘉"(埼玉県坂戸市)というラーメン屋で、女房の両親が昭和44年からしてるお店でした。」

 

- 奥様のお父さん(丸嘉 店主)が、"つけ麺 誕生"に深く関わった嘉六さんだったんですね。

「当時、僕はそのことを何も知らなかったんですよ。お義父さんも何も話さなかったですから。結婚してからも全然知らなくて、知ったのが本当に2004年になってからでしたね(笑)。」


つけ麺 誕生 秘話(YouTubeより)


- 2004年にやっと(笑)知ったきっかけは?

 「ある日、お義父さんとテレビを観てた時に、偶然に山岸さん(山岸一雄氏:東池袋大勝軒 創業者)が出ていたんですよ。その時、お義父さんが『一雄は凄いな~。有名になっちまったな~』と言ったんですよ。それで僕が『知り合い?』って聞いたら、『俺の後輩だよ』って。それで初めて知ったんです。その時に『つけ麺は俺が賄いで最初に食べてたんだよ~』と言ってて、僕は『嘘つけ~』とか言ってましたね(笑)。お義父さんの修行先は丸長の総本山"荻窪丸長"です。戦前、中華料理屋をやる前の蕎麦屋の時代からいたそうです。」



- 丸長や大勝軒のことを知ってから?

「それならラーメンをやってみようかなって思ったんです。頑張ればいけるかもしれないって。お義父さんは最初『もう俺は忘れたよ。やめとけ、やめとけ。ラーメン屋は大変だぞ!』と言ってましたが、僕が本気でやり始めることを分かってくれた時に『正清に教えてもらってこい』と言ってくれました。(女房の)実家が埼玉県坂戸市でして、ちょうど坂戸市で父の後輩だった甘利正清さんが"坂戸丸長"をしていたんです。それで坂戸丸長でしばらくお世話になることになりました。」

 

- 坂戸丸長では?

「甘利さんは営業後、23時~3時まで仕込みをしていて、その仕込みが全く寸分の違いもないのに驚きました。その頃、甘利さんはもう70歳過ぎていたんですが、この時間にチャーシュー切る、この時間に魚、この時間に製麺やるってホントに5分として違わない。そして朝8時~11時頃までに100杯ほど売るんですよ。70歳過ぎてるおじいちゃんが!それを見ていて、僕もこういう店をしたいなと思いました。」


つけ麺 丸和(2007年9月7日オープン)


- 屋号の由来は?

「大勝軒さんのこととか聞いていたので、(今となっては)笑える話ですが、『それなら俺がお義父さんを有名にしてやる!』と思ったんです。山岸さんは有名ですが、当時は嘉六なんて誰も知らなかったので、それで屋号に"つけ麺"と書くことでお義父さんのことを知ってもらえるって。メニュー名も"嘉六つけ麺"にしました。」

 

- 丸和は?

「元々、ウチの実家の米屋が"丸和"という屋号でした。最初、丸嘉とかも考えたんですが、『まぁ、丸和でいいだろ~』という感じで、最終的には”つけ麺 丸和”に決めました。」

 

- オープン当時のメニューについて

嘉六つけ麺、丸和つけ麺、中華そば、オープン当初はずっとその3つだけでした。」

 

- 嘉六と丸和、2種類にした理由は?

「嘉六は大勝軒、丸長系のベースでやろうってこと。でも名古屋なので薄いのだけでは売れないんじゃないかって不安に思いました。やっぱり濃いのもしないといけないってことで生まれたのが"丸和つけ麺"。最初はもっとシャバシャバだったんですけどね。関東でいろいろ食べた時に『ここまでやるんだ~!』と刺激を受けて濃度も上げていきましたね~。」

 

- 最初から自家製麺だったんですか?

「つけ麺でやる以上、自分で作る麺でやりたいという想いが強かったんです。自分でどうしても作りたかったんです。横山製粉さんを紹介してもらい、内麦を使うようになりました。当時高いけど、やる以上、オリジナル感を出してやりたいなって思っていました。


嘉六つけ麺


丸和つけ麺

- オープンしてから、順調だったんですか?

「最初の頃は心が折れそうな頃もありましたけど、ここで頑張ろうという気持ちで作り続けていました。いつかこの地域で有名なラーメン屋を抜いてやるってギラギラしていましたね。必ずつけ麺で一番になってやる!って。」

- 名物の1つになってる石焼鍋はいつから?

「オープンの時から石焼鍋で出していました。僕が自分で考えたんです。当時からTETSUさん(つけめんTETSU)が鉄球入れたりとかしてたのを知っていましたので、『自分も何かオリジナルのものがしたいな~」と考えていました。それで"石鍋のらーめん"があると聞いて、新潟の方まで視察に行ったんです。それでつけ麺をのつけ汁を石鍋焼で提供することに決めました。本当は器で出した方がスープの味は焦げ臭くならないし美味いんですけど、やっぱり最初にやるからには何か違うことをしたかったんです。今はけっこういろんな店で石焼鍋を使うようになっていますね。」

 

- 私が丸和さんに初めて来たのが、2009年9月なんです。

「ウチの味もスープを濃くしたりして、ガラッと変わり始めた頃でしたね。関東の方で"とみ田さん"や"TETSUさん"などを食べ歩いてきて、ガラッとスープも変えていってたんです。そしてなぜか分からないんですけど、あの2009年頃から急にお客様が増えてきて忙しくなってきました。仕込みが追い付かなくて、フラフラになりながらやっていました。」


- 第1線を退かれて、今後の予定は?

「今はもうスープしたり、誰かが欠員したりしたら手伝うって感じですね。僕のやりたいことをやっていきます。女房とも京都に観光で行ったりしているんですよ。」

 

- 2代目(息子さん)に、丸和のここだけは受け継いで欲しいってことは?

「僕の時もそうでしたが、最初の頃って思うようにならない時があるんですよ。そんな時、お客様から『あいつは一生懸命やっているから、また来てやろう』と思ってもらえる人柄が大事。息子には『人柄をちゃんと作っていけ』と教えています。いらっしゃいませ!またお越しください!って。人柄でお客様が来てくれるように、しっかり頑張ってもらえればと思っています。」



<店舗情報>

■つけ麺 丸和 春田本店

住所:愛知県名古屋市中川区春田1-150-1

公式ブログ:http://blog.livedoor.jp/tukemen08/

公式Twitter:https://twitter.com/maruwa_tukemen

2007年9月14日オープン。

 

(取材・文・写真 KRK 平成30年3月)