Vol.89:MEN-EIJI


 "ラーメン王国"とも呼ばれる札幌。観光目的の1つとしてラーメンが大人気のエリアだから、札幌市内だけでもラーメン屋が星の数ほどある。多くの観光客の頭にあるのは、やっぱり"札幌味噌"だろう。そんな札幌で新たな風が吹き始めたのが、2006年11月だ。当時としてはかなり珍しい"魚介系"、そして"無化調"を売りにした店が現れた。屋号は(当時)麺eiji。私が初めて行ったのは2009年。メニューには札幌味噌が無く、当時札幌にほとんど無かったつけ麺があり、そして魚介豚骨ラーメンの"魚介出汁のジュレ"に目を奪われた。

 私の初訪問から約9年が経ち、今や札幌ラーメンの看板店的存在となったMEN-EIJIが、2018年3月に鴨だし中華そば専門店「DUCK RAMEN EIJI」をオープンした。このタイミングで札幌へ行く機会があったので、古川店主に少し取材の時間を作って頂いた。「MEN-EIJI」古川店主にKRK直撃インタビュー!


- 鴨だし専門で新店をしようと思ったきっかけは?

「昨年(2017年)、らの道の限定(らの道札幌5 達成者限定)で鴨だしの限定を一回やったんですよ。その時に作った鴨だしラーメンがとても美味しかったので、本格的にしてみようと思って業者さんに問い合わせてみたら、『お店一軒をするくらいの原料が無いんです』と言われました。それで一旦、あきらめていたんです。

 それからしばらく経って、僕がよく行ってるお店で鴨肉が出てきたんです。『やっぱり美味しいな~』と思ったので、お店の方に『僕、鴨のラーメンをやりたいんですよね!』と言ってみたら、その方が『僕の地元が滝川で、鴨の業者を知っていますよ!』って。それで紹介して頂いたのが、滝川市のアイマトン(株式会社アイマトン)という北海道で唯一、鴨を作ってる会社でした。話してみると『ラーメン屋さんには本来卸さないんだけど、EIJIさんにだったらいいよ』と言って下さったんです。それで美味しいのはもちろん、他では誰もできない、やりたくてもやれないお店をしたいなと思って、鴨出汁100%の鴨だし中華そば専門店にしようと決めました。」



- DUCK RAMEN EIJIの商品について説明してもらえますか?

「鴨の旨味って凄く細い深い穴みたいな味なんですよ。鴨なので焼いたりしても同じ原料なので、凄い深みがあるんですけどやっぱり味の幅が狭いんですよね。これを本来なら鰹などいろんなもので広げていくんですが、ウチは鴨だけ(鴨だし100%)ですからね。それで清湯(DUCK醤油)の醤油を今は8種類。甘いのだったり、酸味の強いのだったりをブレンドして味の幅を出しています。(試作の)最初の頃は醤油を巧く使えなくて、鰹や昆布を入れたりしましたね。それで美味しくはなるんですけど、『これで鴨だし専門店ってのはおかしいな』と思いました。これだと鴨そば、鴨南蛮とかと変わらなくなるなって。僕は今まで無かった"鴨だしのみ"に拘りたかったんです。」

 

- 清湯(DUCK醤油)に合わせてる麺も、とても特徴ありますね。

「凄く両極端で本当は同居できないような麺なんです。しっかり芯があって食感がありつつ、麺を啜って滑らかな食感。これを同じ麺で表現するために、本来、ラーメンの麺帯を作る時に皆さんが当たり前として絶対にしないといけないってことを僕はぶち壊してるんです。ヒントはでっかい機械を入れたんです。普通の製麺機だと一つのローラーが22cmくらいなんですけど、ウチのは50cmあるんですよ。要は50cmだから圧力が長くゆっくり強くかかるんですよ。その結果、麺と麺を重ねて強くする作業(複合)をしていないんです。いきなりなんですよ。ミキシングしたものをぐ~っと物凄くゆっくり、重ねないで圧力をかけていき、そのままカットしています。」

 

- 白湯は泡系なんですね。

「鴨ガラとネック、あとフィートって水掻きの部分を入れて白湯を作ってるんですが、意外と味が強くてくどいんですよ。くどいので回したんですよね。」

 

- "まぜそば"は?

「鴨といえば脂。でも、それだけでは面白くないなと思って、フレンチの方向へ持っていって、オレンジの果肉や果汁、葡萄の果汁、赤ワイン、マスタードとか加えています。面白い味に仕上がっていますよ。」

 

- 一番人気は?

「清湯(DUCK醤油)ですね。」


DUCK 醤油


- 古川店主について、少し聞かせて下さい。ラーメンを始めるきっかけは?

「ラーメンをする前は、水道、配管士とか、他にもいろいろしていました。ある仕事では、道内を6日間で廻るのを何ヶ月も繰り返すって生活を1年半くらいしていました。その頃、僕はコンビニで食事をするのが嫌だったので、だいたいドライブインかラーメン屋だったんですよね。それで地域ごとにこんなにラーメンが違うんだなって気づいたんです。札幌ラーメンって本当に札幌にしかないんだな。旭川に来たらなんでこんなに魚っぽくなるんだ。釧路だけなんでこんな麺なんだって。ラーメンって面白いなって思うようになったんです。」

 

- ラーメンに嵌まっていったんですね。

「それで興味を持って、試しに旭川の山頭火に食べに行ったんです。まだ本店しか無かった頃だと思います。山頭火で食べて『うわぁ、すっげー美味い!』って感激したんです。それでどうやって作ってるんだろうと思って厨房を見てて、それを想像で家で自作してみたら、山頭火より美味く作れたんですよ(笑)。よくある若いやつの勘違いなんですがね(笑)。その時は『俺は才能ある!』と思ったんです。これはいけるって。」

 

- それでラーメン屋をすることに決めたんですね

「僕の中では、ラーメン屋のイメージは忙しく動き回ってる。僕がやりたいのは繁盛店なので、仕事をできなければ意味がない。一番忙しくて、バンバン動かないといけないのはどこだって考えたんです。それで頭に浮かんだのが、空港のラーメン屋さんでした。千歳空港のラーメン屋さんが北海道で一番忙しいだろうと思ったんです。それで実際に(空港のラーメン屋で)働き始めたんですが、案の定、1日2,000食とか売るんです。マシーンですね。ホント、ただ作り続けるだけ。やっぱり予想通りというか、凄い先を読んで仕事をできるようになりました。」


- それから次のステップへ向かうんですね。

「空港の店である程度できるようになったので、次は『札幌で一番有名な店で、一番上に立とう!』と思いました。空港の店で体力がついたので、次はお客様の前でラーメン作る修行をしないとって。それで選んだのが"らーめんてつや"でした。あの頃、(てつやは)札幌では断トツでしたね。集客、勢い、クオリティも。」

 

- そんな人気店にすぐに入れたんですか?

「食べに行ってみると"アルバイト募集"と書いていたんです。その頃、茶髪でロン毛、喜平ネックレス、紫色のダブルのスーツを着ていたんです。既に結婚していた奥さんに『この格好で面接は大丈夫かな?』と聞いたら、『大丈夫、大丈夫』って(笑)。それで面接に行ったら、今でも付き合いある当時の店長に『駄目だお前、帰れ!』と言われました。それで僕は『話も聞かないで帰れって、どういうことですか?』と言い返して、その店長と言い合いになったんですよ(笑)。(店長に)『向いてない!』とか言われたので、『使ってもいないのに分からないだろ!』と言ったら、(店長に)『じゃあ、やってみろよ!』と言われて、それでお世話になることになりました。」

 

- 実際に働き始めて、どうだったんですか?

「空港では作り続けていただけなので、最初は接客が全然できなくて、店長に『お前はバイトより仕事できないな!』とよく言われていましたね。」

 

- "てつや"での仕事は、思ってた通りだったんですか。

「はい。間違ってなかったですね。その頃にてつやさんで教わったこと、一本のラインってのは今も僕の中では変わっていないです。21歳頃に入って教わったこと、お客様に対してだったり、商品に対してだったり、食材に対してだったり、ずっと変わっていないですね。てつやでは7年半くらいお世話になりました。」


- 次のステップは?

「山頭火で食べた時から、『いつか日本一のラーメン屋をするためには?』といろいろ考えていたんです。東京で一番の店で僕が一番上に立ったら、北海道に戻ってきて自分の店をして成功しないわけがないって思ったんです。」

 

- 東京へ行くんですね。

「ラーメンナビだったかな?当時、そのサイトのランキングの全国一位がA店(非公表)だったんですよね。最初、客として食べに行って、いろいろ動きとか見て『ここで働こう!』と決めて、後で電話して面接して採用して頂きました。

 

- A店では?

「A店では1年半ほどお世話になりました。A店で働くことによって、自分の店を持つってことの自信を持たせてくれました。確信に変えさせてもらえましたね。

 ある時、A店の店主さんに『古川君、物件を決めてきたから店長やってよ』と言われたんです。当時、A店には4人のスタッフがいて、その中から僕にこの話が来たってことで、僕の中では『上に立った!』と思ったんです。一番上にいかないと意味がないってのが僕の最初の設定だったので、その時に気持ちの中で『ここまで』って感じたんです。それで店長になる話を断ったんです。(店主さんに)メチャクチャ怒られましたね。それから話し合いました。僕は以前に"てつや"で店の立ち上げとか経験してて、ちゃんと軌道に乗せるには2年くらいかかる。その2年は自分の店に使いたいんですって言いました。それでA店を離れることになりました。」


麺eiji(2006年11月5日オープン)


- 北海道へ帰ってきて、いよいよ自分のお店ですね。

「自分の店では札幌ラーメンは出さないと決めていました。あの頃の僕の知識では、旨味調味料無しで味を作るには乾物が必要だったんです。ということで、結果的に魚介系になったんです。もう12年前なんですけど、札幌で魚介系なんて流行らないと言われてた頃で、どこにも無かったですね。でも、僕はちゃんと作ったラーメンでお客様に喜んでもらいたい。僕が登場することによって、ちゃんと作ったラーメンをお客様に憶えてもらえたら、ちゃんと作るラーメン屋が増えていくんじゃないかなって思っていました。それで本当の意味で、札幌がラーメン王国になるんじゃないかなって。」

 

- オープンしてからどうでしたか?

「苦戦しましたね~。札幌のお客様が食べたこと無い味だったので、なんで麺が白いんだ、黄色い縮れ麺じゃないんだ、なんで野菜乗ってないんだ、ボリューム無いのに高いなって言われていましたね。1年半ほどは本当に1日で14人とかで、土日でやっと30人。大変な時期でした。一緒に働いてくれていた"かおり(奥様)"も暇過ぎて、お客様が入ってきたら『キャー(驚)』って悲鳴を上げていましたからね(笑)。それくらい暇だったんです。」

 

- 僕が初めて(最初の店に)来たのが、2009年12月でした。入口に飾っていたミラーボールと、魚介のジュレがとても印象に残っていますね。

「本当は噴水にしたかったんですよ。溢れる才能みたいなイメージで。でも噴水が無理だったので、ミラーボールにしたんです。自分に才能があるって意味ではなくて、違いを出したかったんです。新たな提案というか、今まで無いものがここから出るんだって意味を表現したかったです。

 ジュレは銀座三越の地下のプリンを食べた時に、これはいいなと思ったんです。ジュレは東京のA店で修行していた頃から限定でしていました。僕はもちろんラーメンも普段食べますが、ラーメンから『あっ、これいいな!やってみよう』ってことは無いんですよ。普段はラーメン以外の店によく行きます。基本的には、ラーメン店以外で食べている時に新しいアイデアが浮かぶことが多いですね。



- 古川店主といえば、札幌での自家製麺の先駆者というイメージですね。

「自家製麺をするきっかけってのは、グッと遡って"てつや"時代なんです。てつやさんは自家製麺はしないけど、製麺所に入って粉を触って自分でしてたんですよ。製麺所で機械と職人を使って、もっとこうしてくれって自分でしてたんです。その時に(てつやさんが)僕に言ってたのは『いいか、ラーメン屋になるんだぞ。スープ屋じゃ駄目だぞ!』って。その時、僕は『そうだよな。麺のことを知らなければ美味しいラーメンなんて作れないよな』と思ったんです。」

 

- 自己流なんですよね?

「ネットでいろいろ調べて、製麺機を買ったんです。でも置く場所が無かったし、電圧も足りない。どうするって困りましたね(笑)。それで僕が住んでたマンションの2階が空いたので、そこに製麺機を置いたんですよ。その頃、お店が8坪、その2階が16坪。お店よりでっかい場所に製麺機を置いて、それから『麺ってどうやって作るんだ?麺ってどうやってできてるの?と悩みました(笑)。いろんな業者さんから粉を買って作っても、全然麺にならなくて(笑)。」

 

- 営業しながら、製麺の試作も続けていたんですね。

「あの頃は11時~23時まで営業してたので、営業終わって片づけてから、製麺室に午前1時頃に入ってしていましたね。1日3回、15㎏ほどは使っていましたね。3回して、ほぼ全て捨ててってのを半年ほどしていました。大変だったけど、楽しかったですね。」



- 今後の目標は?

「北海道内で地域の食材に特化した商品作りを2年ほど前から積極的にしています。例えば"A町のBを使ったラーメン"とかですね。その結果、A町に行ってみようってお客様も出て来たりしています。地域の生産者さんとかも巻き込んで、お客様が楽しめて、生産者も儲かる、僕らも儲かるっていい流れを作っていけてると思うんですよね。今後はそういうものを、もっと世界的にしていきたい。

 具体的にいうと、この鴨のラーメンを鴨のメッカというか、台湾とかに持っていくとどうなるのかなって。これを持っていくと、北海道の鴨ラーメンが向こうで磨かれるはず。そして、その磨かれてきたラーメンをまた北海道に戻す。北海道の人達もまた新しいものとして、EIJIの鴨ラーメンを楽しめる。例えばEIJIのラーメンを東京へ持っていく。北海道の食材を使ったEIJIのラーメンを東京の人に食べてもらう。そこで東京で揉まれたEIJIのラーメンをまた北海道へ戻す。そういう良い流れを作っていきたいと思っています。」



- 海外進出も狙っているんですか?

「今、ゆっくりですが、僕が教えたアメリカ人とサンフランシスコでラーメン屋をしようと動いているんです。そこにEIJIのラーメンを持って行って、カリフォルニア州で磨かれたラーメンがまた北海道にいつか戻ってくる。ラーメンだけでなく、EIJIのスタッフも一緒に廻っていろんな経験をしたりして、良い意味での循環ができたらいいなと思っています。」

 

- 先は長い!まだまだ途中なんですね。

「全然、途中ですね。最終的には、TOYOTAみたいにしたいです。TOYOTAにはパッソがある。センチュリーもある。レクサスもあるよってラインナップ。EIJIでもそういう商品群を作っていきたい。ラーメンに対して、『はい、ウチはこういうブランドがありますよ!』と言える。そういう風になりたいです。」


【KRK動画】MEN-EIJIの紹介


◆店舗情報

MEN-EIJI HIRAGISHI BASE

北海道札幌市豊平区平岸2条11丁目1-12

公式HP:https://81-plus.com/

Twitter:https://twitter.com/duckrameneiji

 

Facebook:https://www.facebook.com/meneiji/

オープン日:2006年11月5日

 

DUCK RAMEN EIJI

北海道札幌市東区本町1条9-3-30 三角点通りパーラー太陽苗穂店横

 

オープン日:2018年3月28日


 (取材・文・写真 KRK 平成30年6月1日)