Vol.95:麺FACTORY JAWS


 2014年7月、大阪市中央区の交通量の多い道沿いに新たなラーメン店が現れた。屋号は"麺FACTORY JAWS"。今でこそ珍しくなくなってきたが、漢字とアルファベットを合わせた屋号は、当日としてはかなり斬新だったように思う。店主が天六の某人気店で店長をしていた方という事前情報も得ていたので、オープン日にワクワクして食べに行かせてもらった。自家製麺と謳っている外観、ハワイアンが流れるカフェのような空間、そしてつけ麺がメニュートップにあるのも当時としてはかなり珍しかった。

 あれから約6年ぶりだろうか。久しぶりに食べに行ってみると、気持ちが入ったつけ麺の美味さに驚き、いつの間にか大阪つけ麺のトップランナーとして揺るぎない地位に上り詰めていたこの店に興味を持った。今回、知り合いを通して取材オファーし、話をする機会を作っていただいた。店主とは初対面、そして初トークになる。こういう状況が一番ワクワクする。"麺FACTORY JAWS"伊藤店主に、KRK直撃インタビュー!


- 出身は?

「京都の北部、綾部市です。福知山と舞鶴の間くらいですね。人口3万人くらいの町です。」

 

- この世界に入るきっかけは?

「地元(綾部市)で自動車板金屋で働いていたんですよ。当時はその仕事で独立をしようと考えていたんですが、先輩達の話を聞いていてもなかなか厳しそうだなと思っていました。そんな時に、たまたま大阪の吹田市のラーメン屋で働いていた友達から、『今度独立するから、俺と一緒にラーメン屋をしないか?』と連絡があったんです。車の方はあきらめ気味だったので、それでラーメン屋を一回やってみようかなと思いました。」

 

- それで地元を離れて、大阪へ来たんですね。

「友達が独立して(大阪の)天満で店を出して、僕もそのお店で働き始めました。でも僕が働き始めて1年くらいで、そのお店が潰れてしまったんです。その時は25歳くらいで、親にも『俺、ラーメン屋をするから!』と言って出てきてたので、店が潰れたからすぐに地元に戻るというのはプライド的にも許されなかったんです。」

 

- 大阪に残るために、次の仕事が必要だったんですね。

店が潰れた時、お金も本当に無くなってしまってたんですよ。当時はすき家の牛丼を食べるのが精一杯でしたから(笑)。それで求人を探していたら、"麺や輝"というお店が募集をしていたんです。当時はまだ輝のことを全く知らなかったんですが、面接を受けてみたら枠が空いていたので働かせてもらうことになりました。」



- 輝で働き始めて?

「最初、中津店の方で働かせてもらいました。中津店で1年間ほどいろいろ教えてもらって、それから天満の"麺や 天四郎"の店長を任せてもらうことになりました。輝系列は店長が味をけっこうアレンジさせてもらえるので、とても勉強になりましたね。天四郎では約2年ほど働かせてもらいました。」

 

- 独立志望はいつから?

「輝に入る時から『3年後に独立したいです!』と伝えていました。輝は『3年はお店のために貢献してくれ。その後は独立しようが、そのまま働いてくれようが応援するよ』って形なんです。」

 

- ㊙情報通から聞いたんですが、輝に入ってすぐにクビと言われたとか?

「そうなんですよ(笑)。最初に働いていた友達の店がメッチャ暇だったので、輝 中津店では僕は全然ついていけなかったんです。料理歴も全然無かったし、当時の店長にも何度も注意されていて、もうふてくされていたんです。そういう僕の態度を森社長が何度か見ていたようで、ある日、森社長からクビと言われたんです。」

 

- それは大変ですね。

「クビと言われても、僕の中では『本当にクビにはならないやろ?』と思っていたんですが、新しい人がちょうど入ってきて、ちょっと現実に戻されたんです。それから考え方も360度変えて、全てをプラスに考えるようになりました。(社長に)『もう無理や』と言われたので、無理やと言われたら余計やらないといけないとプラスに考えて頑張りました。その頃は周りの仲間の支えがあったのも大きかったです。」

 

- 独立に向けての準備は?

「友達のお店の失敗を間近で見ていたので、生きていくために中途半端なラーメンを作っても成功しない。ラーメンをもっと追求していかないと巧くいかないと考えていました。当時は店で働きながら、空いた時間にラーメン食べ歩きをメッチャしましたね。大阪の食べログ上位をほぼ行って、東京のお店にも行っていました。全て自分の独立に向けての勉強でした。」

 

- 当時、印象に残ったお店は?

「みつ星製麺所の最初のお店(福島区)のラーメン、紡さん(麺や 紡)のラーメンには感動しましたね。それと"たけ井さん"や"とみ田さん"の豚骨魚介のつけ麺ですね。甘~い感じでお客さんが喜びそうだなと思いました。」


麺FACTORY JAWS(2014年7月21日オープン)


- 店の場所は悩みましたか?

「最初、肥後橋の方に決めようとしていた物件があったんですが、どうかなと悩んでいたので占いに行ったら『やめとき』と言われたんです。それでこの場所は嫁の実家もすぐ近くだったし、見に来た時に『ここ、いいな!』と感じたんです。それで契約を決めてから、一応、占いに行ったら『いいと思います!』と言ってもらえたんです(笑)。」

 

- 店のイメージ?

「元々、僕は京都の北部、田舎の方に住んでいてすることが無くて、当時、友達がしていたサーフィンに僕も嵌まっていました。最近はできていませんが、20歳頃からずっとサーフィンをしていましたね。それで独立に向かって動いている時に趣味も入れようかなと思って、店の内装もハワイアン風、明るい雰囲気でカフェっぽくしようと思いました。」

 

- 最近、内装をリニューアルした理由は?

「カウンターだけだと、ファミリーの方が来店し難いんです。僕は回転ばかり考えずに、お客様同士がいっぱい話せて、楽しく明るい雰囲気のお店にしたいと思ったんです。それで今回のリニューアルでテーブル席を増やしたんです。それによって特に週末、お客様同士の会話の量が凄く増えましたね。」



- 屋号は自分で考えたんですか

「輝から卒業する時の飲み会で、『屋号を何にしよう?』とみんなで悩んでいた時、木下君(現・いかれたNOODLE Fishtons店主)がほぼ決めてくれました。当時は横文字の屋号は珍しくて、よく『JUNK STORYの系列ですか?』と聞かれていましたね(笑)。」 

 

- ラーメンを泡系にしたのは?

「途中からですね。かしやさんとかが(泡系)をやっていて、『あ~、これ美味しいな!』と思いました。泡系で一番衝撃を受けたのは"みつ葉さん(奈良県)"ですね。」



【KRK動画】屋号の由来、お店の商品について


 <店舗情報>

■麺FACTORY JAWS

住所:大阪府大阪市中央区上本町西2-1-11 楠本ビル 1F

Twitter:https://twitter.com/factoryjaws

Facebook:https://www.facebook.com/menfactoryJAWS/

オープン日:2014年7月21日

 (取材・文・写真 KRK 平成30年7月4日)