Vol.109:らぁ麺 すぎ本


 約1年ぶりに鷺ノ宮駅にやって来た。今回取材するお店は"らぁ麺 すぎ本"。店主は名門"支那そばや本店"出身で、あの"ラーメンの鬼"故佐野実氏の認めた最後のお弟子さん。独立後はラーメン界の最高権威TRY名店部門、そしてミシュランガイド東京 ビブグルマン部門の常連となり、今や東京ラーメンシーンを代表するお店として知れ渡っている名店だ。

 思い返してみると、私が杉本店主のことを初めて知ったのは、師匠である故佐野実氏のブログを読んだ時だった。「弟子の開店」という題名で綴られた文章には、飛び立っていく弟子への愛情が凄く感じられて、特に「お前はお前自身の味を出してくれ!開店日には食べに行くよ!」という言葉にはグッと心を掴まれたものだ。

 そんな杉本店主への取材だから、聞きたいことが山ほどあるので楽しみ過ぎてドキドキする。"らぁ麺 すぎ本"杉本店主にKRK直撃インタビュー!


- 出身は?

「東京です。」

 

- ラーメンは昔から好きだったんですか?

「ラーメンはずっと好きでしたね。以前『カラオケ歌広場』ってところでエリアマネージャーみたいなことをしていたんですが、仕事で都内のいろんな所へ行くんです。その頃に、行く先々でラーメンを食べていたんですよ。完全にラヲタでしたね。その頃はずっと年500杯とか食べていたんですよ。」

 

- お店の情報はどこで入手していたんですか?

「当時は超ラーメンナビでしたね。石神本やTRYとかも持ち歩いていました。」

 

- 自分でラーメン屋をしたいと思ったきっかけは?

自分で事業をやりたいと思い始めた頃、新宿でクリスピークリームドーナツが凄く話題になっていたんです。それで、その会社の創成期を見たくて、その会社に入ったんです。クリスピークリームドーナツに入って2年くらい経った頃に、自分は何をしたいんだろうって考えていました。そして好きなラーメンをしたいと思いました。」


- ラーメン屋をしたいと思って?

「当時、横浜に住んでいました。ラーメンを食べるのは好きでしたが、作ったことがなかったんです。それで『どこかで勉強しないとな』と考えた時、『佐野実の下でやりたい』と思ったんです。」

 

- 理由は?

「家も横浜だったし、"支那そばや"も好きだったんです。ガチンコ(ガチンコラーメン道)のイメージがあって怖い、厳しいってイメージだったじゃないですか?僕は厳しいところが良かったんです。これで駄目なら駄目だってほどやりたかったんです。楽そうなところだと意味が無かったんですよね。当時、勢いがあった"ほん田さん"とか"せたが屋さん"も考えたんですけど、『佐野実のところでやって駄目なら、俺は駄目なんだろうな』ってところまでしたかったので、わざと厳しそうなところを選びました。それで(支那そばやに)電話して働きたいと言うと、明日面接に来てと言われました。」

 

- 話の展開が早いですね(笑)

「店長みたいな人が面接をするのかなって思っていたんですが、お店へ行くとマスター(佐野実氏)がいたので、「え~!?(驚)」ってなりましたね(笑)。面接も2~3分で、『お前、ラーメン好きなのか?じゃあ、いつから来る?今の仕事を辞めて、働きに来い!』って。僕は給料とかも聞きたかったんですが、そんな間もなく(笑)。その時、クリスピーでまだ働いていたので3カ月くらいは辞めれなかったんですが、それまで待ってくださいました。」

 

- すんなりと入れたんですね。

「(佐野さんは)なんかフィーリングで決めるみたいです。ファーストインプレッションを大切にしているって感じです。」



- 支那そばや本店で働き始めて、どうでしたか?

「今は違うんですけど、毎日15時間とか立ちっぱなしなんですよ。意気込んで入ったんですけど、先輩とかも怖いし、『あっ、これは無理だな』と思いましたね。面接の時に、(佐野さんから)『3年やれ。3年したら応援してやるから』って言われていたんです。でも『3年は無理だな』ってすぐに思いましたね。

 だからみんなが3年でやることを1年でやろうと思って、例えばネギ切るのとか新人だとすぐにやらせてもらえないじゃないですか?だからみんなより早く来て、スーパーで買ってきたネギを切って捨て、切って捨てをして練習していました。店のをやらせてもらえなくていいから、自分ができるようになればいいと思ってやっていました。そうしている内に、体が慣れてきてけっこうへっちゃらになってきたんですよ。そうすると、辞めるって思っていた気持ちが次第になくなっていきましたね。」

 

- 独立に向けて順調だったんですか?

「僕がいた時は(佐野さんは)まだお元気で週3回くらいお店へ来ていたんですよ。僕が入って1年くらい経っても、なかなか製麺はやらせてもらえないんですよ。せっかく"支那そばや"に入ったのに麺をやらせてもらえないし、給料とかも安かったので、1年経った頃に『辞めます』と言ったことがあるんです。独立を考えていたので、このままだと貯金もできない。1年やって僕の中ではある程度できるつもりになっていて、『これ以上勉強する必要もない』って佐野さんに言ったんですよね。」

 

- 佐野さんに直接ですか?怖いものなしですね(笑)。

「今思えば恐れ多い(笑)。『製麺はやっていない。厨房のことはある程度できるようになったし』と言ったら、佐野さんに江戸銀って寿司屋に呼び出されたんです。僕は何度か見てきたんですが、佐野さんって弟子が辞める時に止めないんですよ。だから僕もそんな感じなんだろうなって思って寿司屋に行ったら、『お前はもう少しウチにいろ。お前は今どっかに行っても勉強になんかならないぞ』って言われたんです。そんなことを言ってもらえると思っていなかったので驚いてしまって、もう『分かりました』って言いました。」

 

- すんなりと(笑)

「けっこう硬い意志で『何を言われても俺は辞めるぞ』って決めて行ったんですけど、やっぱり佐野さんにそう言われたら。で、その後に「じゃあ、お前に製麺やらせるから!」って言ってもらえました。」

 

- 佐野さんに直接教えてもらうこともあったんですか?

「それから製麺をやらせてもらうようになって、厨房をやりつつ製麺に行くようになりました。佐野さんはだいたい製麺室にいるので、厨房にいると直接教わることがないんです。でも製麺するようになってからは、世間話しながらいろい教わるようになりました。麺のことはもちろん、『スープ作る時、なんでああするんですか?』とか話せるようになりました。」

 

- "支那そばや"では何年修業したんですか?

「結局、4年くらいいたんですよね~。1年目の時、『だいたい仕事をできるようになった』と思っていたことが、ずっと続けている内に『できているつもりだった』ということに気づいてくるんですよ。作業だけ覚えても仕方ないって。だから4年いても全く苦にならなかったですね。」

 

- そして独立ですね。

「自分から佐野さんに言いました。1年目の時に辞めるって言った時、『次は引き留めないぞ』って言っていたんですよね。3年経った頃に伝えて、それから物件を探しながら僕の代わりを育てないといけないし。だから辞めるって言ってから1年ほどはいましたね。」

 

- 佐野さんからの言葉で特に印象に残っているのは?

「一番覚えている言葉は、独立する時に『お前は俺と同じラーメンはできない。でも俺より美味いラーメンはできるから頑張れよ』って言われたことですね。当時は意味がよく分からなかったんですが、今思えばなんとなく理解できるんです。」


らぁ麺 すぎ本(2013年12月15日オープン)


- 屋号の由来は?

「杉本じゃなく、"すぎ本"にしたのはなんか柔らかいイメージ。あと、僕はほん田さん(麺処ほん田)が好きだったのでお手本にさせてもらいました。だから、看板も白黒で、屋号もシンプルなのがいいなって。」

 

- この場所を選んだのは?

「一人でカウンターでやりたいと思っていたんですよ。昔の"69'N'ROLL ONE"みたいな、8席くらいで黙々と一人で作っているってのでいいかなと思っていました。最初、横浜に住んでいたので横浜で探していたんです。ある日、不動産屋からこの物件を紹介してもらった時は、『鷺ノ宮ってどこだ?』って。読み方も分からなくて(笑)。それで見に来てみると、『駅から近いな。急行止まるし、広さも家賃もイメージくらいだな』って。土地勘とか無かったけど、早くやりたかったので『ここでいいかな』って決めました。」

 

- 店のイメージ?

「あまりお洒落な感じは目指さなかったですね。なんかこう、ジャパニーズなんとかみたいなじゃなくて、やっぱりラーメンじゃないですか。ラーメン屋らしくありたいと思っていましたから。僕は無化調でトリュフなんとかじゃなくて、ラーメンらしくありたい。だから無化調とかわざわざ謳っていないし、食材とかも言わないようにしている。あくまでもラーメン屋でいたいと思っています。」



- 遂に自家製麺も始めたんですね。

「今年(2018年)の4月から始めました。もちろんオープン時から自家製麺って思っていたんですが、製麺機を置く場所がなかったんですよね。隣のお店が閉店したタイミングで大家さんに相談して、店舗拡張工事をして製麺機を置くスペースも作りました。」

 

- 佐野さんが使っていた製麺機を受け継いだんですよね。

 「この製麺機はラーメン博物館の倉庫にずっとしまっていたものです。自家製麺を始めるって"しおりさん"(佐野さんの奥様)に相談に行った時に、しおりさんが『あなた、あれ使う?』と譲って頂きました。以前にラーメン博物館のお店だけで(支那そばや)本店が無い時期があって、その期間にラーメン博物館で使っていた製麺機です。"支那そばや本店"が復活した時に大きな製麺機が入って、この製麺機は倉庫にしまわれていたんです。」



- 杉本店主が大事にしていることは?

「僕のテーマがあって、お客様に受けるとかじゃなくて、作る時に軸にするのが『自分が食べたい方』に行くんですよ。お客様を見て作っているとブレてしまう気がするんです。10人いたら10人違うじゃないですか?だからブレないようにしようと思った時、自分が好きな方へしようと思いました。例えば、これを入れるかどうか迷った時、自分がどっちを食べたいか。その時、お客様の顔がチラつかないようにしています。特定の誰かの評価に左右されず、自分が食べたいと思うものを作っていこうと思っています。」


 <店舗情報>

■らぁ麺 すぎ本

住所:東京都中野区鷺宮4-2-3

twitter:https://twitter.com/ramen_sugimoto

 (取材・文・写真 KRK 平成30年12月29日)