Vol.115:麺屋 白神


 私が初めて関市に来たのは、約10年前だった。岐阜県には以前に一度だけ電車で来たことがあったが、車で岐阜県に来るのはこの時が初めてだった。理由は、車でしか行けないだろうなってラーメン店があったからだ。そのお店が「麺屋白神」だった。

 「富山湾の宝石」と呼ばれる白エビを使ったラーメンを看板に、その名声は遠い関西まで届いていた名店だ。大行列のお店に開店前から並び、関西にはまだ無かった系統のラーメンに驚き、麺もトッピングも驚くほどのレベル。当時の関西ではこんな魅力的なラーメンに出会うことはなかったので、「こんな遠い所に、これから何度も来ないといけないな!」と困ってしまったのを憶えている。

 あれから10年が経ち、このお店へ来るのも7回目になる。「麺屋白神」石神店主にKRK直撃インタビュー。


- 出身は?

「岐阜県関市です。」

- 料理の世界へ入るきっかけは?

「高校の卒業が近づいてきた頃、担任の先生から『卒業後、何をするんだ?』と聞かれても、僕は何も考えていなかったんです。田舎で飲食店をしていた母親が、その関係から岐阜市の和食のお店で働いている同じ田舎の先輩と知り合いだったんです。それで母親が『あの人も働いているし、そのお店が求人を出しているから働いてみる?』って勧めてくれたんです。当時は特にしたいこともなかったので、卒業後はその和食のお店でお世話になることに決めました。」

 

- それで料理の世界に入ったんですね。

「岐阜ではかなり有名なお店で、そのお店では4年間ほどお世話になりました。その後、家庭の事情もあって、(関市の)家から通えるところを探さないといけなくなり、関観光ホテルでお世話になることになりました。関観光ホテルでは10年以上お世話になりました。そこで習ったことが一番基本として多いですね。」



- ラーメンを始めるきっかけは?

「関観光ホテルで働いている間も、ずっと自分で独立して商売をしたいと思っていたんです。ラーメンというわけでなく、元々は和食で独立してお店をやりたかったんですが、一人で営業をできるお店と考えた結果、ラーメンというのが頭に浮かんできたんです。」

 

-  どこかで修業をしたんですか?

「どこかのラーメン店で働いて学ぼうかなとかも考えたんですが、あまり教えてもらいたいって思えるお店が無かったんです。それと、せっかく20年ほど和食をしてきたんだから、その経験・技術を下地でラーメン店をした方が独自性が出せるし、どこかで修業してそれが潰されてしまうよりはいいかなって思いました。」


麺屋 白神(2004年11月8日オープン)


- 屋号の由来は?

「白エビの白、僕が石神なので、合わせて白神です。」

 

- オープン時に提供していた商品は?

「最初から白エビを使うと決めていたので、業者とも取引させてくれって頼んだんですが、最初は全く相手にしてもらえなかったんです。結局、富山にも足を運んで送ってくれるってことになりました。白エビって4月~10月の漁なんですよ。だからその漁が終わってから冬場が心配だったので、店を始めた時は白えびを使っているとは謳わずに始めたんです。取引がどうなるか分からなかったですからね。

 オープン時は(白エビを使った)醤油と、しょっつる(魚醤)、清湯2本で始めました。」


オープン時に提供していた醤油ラーメン


- 白エビに目を付けたきっかけは?

「ラーメン屋を始める前に試作とかしていたんですが、ラーメンの基本が分からなかったんです。でも和食の経験はあるから、食材とか値段も知っていました。ただ単にラーメンを作ろうとしたら、売値以上の原価になってしまうので、それでは商売にならない。なんとか原価を抑えれて、特徴のあるモノが何かないかなってずっと探していたんです。

 白エビは身を剥いてパックにして"刺身用の白エビ"ってのが売っていて、和食時代にそれを使っている時にパッと閃いたんです。『殻や頭を取って身だけあるってことは、その頭とかはどこにいったんだろうな?』と思って、業者に電話して聞いたんです。すると、その当時、白エビの業者は産業廃棄物として処理していたんです。それで『これだ!』って思いました。とりあえず食材から入ったんですよ。自分が勝負できるのは何があるのかなって。それでたまたま白エビに目を付けることができたんです。」

 

- 白エビは漁が終わっても、安定して入手できるんですか?

「漁は4月~10月ですが、業者さんは獲れてすぐに冷凍するんですよ。冷凍しないと剥けないみたいなんです。そのままだと、身が引っ付いているから剥けないみたいなんです。冷凍されているので、ウチでも年中使えたんです。

 白エビってそんなに味とか香りが強いものでは無い。だからウチでもかなりの量を使っているんですけど、一般的な海老のような強い味がするわけでないので、お客様に『海老が入っていない』とよく言われるんです(笑)。ウチのスープは凄い量の白エビを入れているんですよ。」


富山湾の宝石「白エビ」


- 看板に「本格東京らうめん」と書いている理由は?

「僕がラーメンをやろうかなって考えていた期間が6~7年ほどあったんです。岐阜の関市でラーメン屋をするために、『どういう商品だったら、岐阜の人に受け入れてもらえるんだろうな』ってずっと考えていました。

 その時期に弟が東京に住んでいたので、たまに弟のところへ行っていました。それで、ある時に東京で初めてつけ麺を食べたんです。麺もボリュームあって、つけ麺だからスープの味も濃い。『これだったら東海の人にも受けるんじゃないか?』と思いました。それから何度も東京へ通って、いろんな店でつけ麺を食べて研究していました。つけ麺だけでなく、東京にいればいろんなラーメンが食べられる。あんな風にいろんなラーメンが食べられるお店を作れたら面白いだろうなって思って、それで"本格東京らうめん"って付けたんです。」


旧製麺機(~2019年1月)

新製麺機(2019年2月~)



- 最初から自家製麺で始めたんですか?

「この地域の麺屋さんに聞いたらとても高かったんですよ。誰か分からない人間が聞いても、いい値段にしてくれるわけないんですよ。だから最初から自家製麺にしました。」

 

- 麺は自己流で?

「試作の時に、既に自分で麺を作ったりはしていたんです。粉・かん水を買って、足踏みをして、パスタマシーンで作っていました。製麺機を買う時には、メーカーさんにも教えてもらいました。

 それから日本ラーメン協会で製麺セミナーがあり、そこで「志那そばや」佐野さん(故佐野実氏)に教わる機会がありました。その後、神奈川の本店へ私だけ連れていってもらい、直に教えていただきました。」


- 2004年に店をオープンしてから順調でしたか?

「最初は酷かったですね。全然お客様が来なかったですからね。11月のオープンから清湯2本で始めて、12月頃からつけ麺の提供を始めました。」

 

- つけ麺へのお客様の反応は?

「珍しいのでつけ麺が売れるだろうなって思っていたんです。お客様につけ麺の食べ方を説明したりしていましたが、でも全く分かってもらえなかったですね。ほとんどのお客様がつけ汁をそのまま麺にかけてしまっていました。『浸けて食べる』と説明していても、みんなスープをかけてしまうか、つけ汁の中に麺を全部入れてラーメンにして食べてしまう方ばかりでしたね。」

 

- 諦めかけたことは?

「やめようとかは思わなかったけど、最初の年とかは、店の中に雪が積もりましたから(苦笑)。換気扇から入ってくるんです。お客様が全く来ないから換気扇もつけずに待っているだけで、換気扇が逆に回って外の冷たい風が入ってきて。最初の頃は本当に酷かったですね~。」


えびそば


- 今の看板商品「えびそば」を始めるきっかけは?

「2006年くらいだったかな?まだ清湯でしていた時に、テレビで初めて紹介してもらったんです。東海テレビでしたね。それで売り上げがドーンって上がったんですが、一カ月後に元に戻るどころか、それより落ちたんですよ。それで『これは清湯では無理だな』って思いました。」

 

- 商品のリニューアルをするんですね。

「どうしてもつけ麺でって想いがあったので、その時からスープは別だったんです。つけ麺を作れる濃いスープで、ラーメンも濃い方に変えて"えびそば"と名付けました。」

 

- えびそばの効果は?

「一気に来店者が増えて、『こんなに受けるんだ!』ってビックリしましたね。口コミで拡がったみたいです。それから雑誌にも載るようになって、どんどんお客様が増えていきましたね。」


- 私が2009年に初めて来た時、えびそばだけでなく、軟骨チャーシューにも驚きました。

「一番最初につけ麺のスープを作っていた時に、『もう少しスープに粘度を付けられないかな?』と思い、業者に相談していろんな部位を取り寄せて試していたんですよ。その中に軟骨があったんです。それで軟骨をスープのダシとして使っていたんです。

 ある時、スープをとり終わって、軟骨を捨てる時にトロってしてるし、『あれ?これ食べれるんじゃないかな?』と思ったんです。それで本来捨てていた軟骨を味付けて炊いてみたんですよ。炊いてみたら、『けっこういけるな!』と思いました。後から知ったんですが、これが沖縄のソーキだったんですよね。その時は知らなかったんです。」

 

- 軟骨チャーシューへのお客様の反応は?

 「オープンした頃で初めて来るお客様ばかりだったので、当時は限定出しても全然売れなかったんです。だから『このまま残ってしまうんだろうな』と思いながら、軟骨を炊いて限定として提供したんです。すると、メッチャ売れたんですよ!限定初日に、一番最初に来店したお客様がいきなり注文して、それからも注文が続いて、『何これ?』って驚きましたね。」


二代目 白神

爆王



- 店舗展開するきっかけは?

「ウチの最初のコンセプトが、『いろんなラーメンを岐阜の人に味わってもらいたい』だったので、ここだけだと限界がありました。それと、この本店が地元のお客様が来ないお店だったんですよ。駐車場を見ても岐阜ナンバーが少なかったので、『遠くからのお客様ばかりのお店が続くわけない』って不安になりました。地元で愛されるお店を作らないと、僕はラーメン業界で生きていけないと思いました。それで、地元の人が来店しやすいお店として作ったのが、二代目白神です。」

 

- そして次は爆王ですね。

「和食をしていて、まだ将来ラーメン屋をするって全く考えていなかった頃、僕は味噌ラーメンばかり食べていたんですよ。そういうのを思い出して、もし自分が飲食をやっていなかったら、今でもずっと味噌ラーメンばかり食べているんだろうな~って想像したんです。そう考えていたら、味噌ラーメンの店を作っても面白いだろうなって思いました。」


◆麺屋白神 卒業生

つけめん・まぜそば 麺喰:愛知県尾張旭市(2011年5月28日)

麺座かたぶつ:愛知県瀬戸市(2012年3月8日)

ニボチャチャ!!ラーメン あらき軒:岐阜県羽島郡(2015年10月5日)

ラーメン イロドリ:岐阜県岐阜市(2016年10月5日)

麺切り 白流:岐阜県瑞穂市(2018年4月25日)


- 優秀な卒業生が多いのも有名ですが、教え方に何か秘訣があるんですか?

「それについてはよく聞かれるんですが、僕は一切教えないんです(笑)。もちろん、弟子から何か聞かれたら答えますよ。僕は教えないけど、いるメンバーで競わせるようにはしています。それが一番かと思います。

 師匠がちょっとのミスも許せなくて厳しく注意をしたりしていると、言われた弟子は委縮してしまって動けなくなり、さらに仕事ができなくなる。飲食ってけっこうそういうのが多い。

 

- 独立に向けてのアドバイスとかは? 

「ほとんどの弟子がラーメン屋をしたいってウチに来るけど、どういう商品でしたらいいか分からないって人がほとんどなんです。ウチはいろいろ限定もしているので、限定を提供した時にお客様の反応を見れます。だから弟子にも積極的に限定を任せて作ってもらうようにしています。僕が作った限定から、弟子の多くは独立した時に出すラーメンのヒントを得たりしています。そのままじゃなく、自分でどういう風にアレンジしていくか。とりあえず好きなように作らせるんですよ。細かいことをガタガタ言いそうになることもあるんですが、でもそれを言っていると弟子が潰れてしまうんですよ。自分は甘いなって思うこともあるんですがね。」

 

- お弟子さんの修業期間にルールは?

「面接の時に『最低3年は頑張れ』って言いますけど、3年経ったらOKという意味ではない。ちゃんと仕事ができるようになって、自分のお店をするためのアイデアが出てきて初めて認めることにしています。」


- 石神店主が大切にしていることは?

「今、一言でラーメンと言っても様々なものがある。原価的に見ても、安いものから、めちゃめちゃ原価かけているラーメンがある。全部ラーメンなんです。ウチは最新の技術を取り入れてとかも考えてはいますけど、基本、ラーメンはB級グルメなので1000円を超えるようなことはやらないと思っています。ラーメンをA級にしたいって人もいますけど、A級になったらラーメンって無くなるような気がするんです。B級グルメだから、こんなに人気ある商品なんじゃないかなって思っています。

  でも僕はラーメンの魅力を伝えたい。僕が作る限定商品は、原価で考えたらいつも1200円とかの世界なんですよ。だけど、それをそのままの価格で売っても、僕はラーメンじゃないって思っている。だから杯数限定とかで、常連さんとかに楽しんでもらいたいってサービスの気持ちと、自分やスタッフの勉強も兼ねてやっています。だから、まだ全然考えていませんけど、もし次に新しいお店をするとしても、誰でも気軽に来店できるような価格で、美味しいラーメンを提供するお店をすると思います。」



 <店舗情報>

■麺屋 白神

住所:岐阜県関市2-144-6

twitter:https://twitter.com/hakushin123

オープン日:2004年11月8日 

 (取材・文・写真 KRK 平成31年1月19日)