私が初めて焼津市を訪れたのが2016年5月。駿河湾に面した漁港の町に来た理由は、"麺's 食堂 粋蓮"のラーメンを食べるためだった。そして2年後に再び訪れた時、そのラーメンの進化に衝撃を受けて、店主とも少し話をさせていただいた。
あれから店主とは交流が続いていたので、今回、静岡へ行く用事があったので取材する時間を作って頂いた。"麺's 食堂 粋蓮"紙谷店主にKRK直撃インタビュー!
- 出身は?
「生まれたのは京都なんですが、育ったのは焼津ですね。」
- この世界に入ったきっかけは?
「僕は中学の時はどうしようもなくて、卒業した時、母の知り合いの蕎麦屋の大将が『フラフラしているならウチに来ないか?』と声をかけてくれたんです。それがきっかけでしたね。その親方と出会っていなかったら、自分は料理の世界にはいなかったと思います。その親方がどうしようもなかった自分を上手く面倒みてくれたんですよね。そのお店では5年ほどお世話になりました。当時はまだ自分のお店を持ちたいって気持ちはなかったですね。」
- そのお店を離れて、次は?
「蕎麦屋を離れた理由は、子供ができたんですよ。20歳の時でした。それで蕎麦屋ではちょっと収入面で大変だったので、夜中にしている焼津のラーメン屋で働き始めたんです。夜の仕事の方が給料が良かったんですよ。」
- いきなりラーメンが登場するんですね(笑)
「働いていると『ラーメンって面白いな~』と思いましたね。それで『料理をもっと勉強したいな!』と思って、次は中華料理屋に行ったんですよ。いろんな技術を学びたいと思ったんです。そこからいろいろ嵌っていきましたね~。頭の中ではずっと『ラーメン屋をやりたいな~』と思っていました。」
- すぐにラーメン屋を始めなかった理由は?
「それから私生活でもいろいろあって挫折した時期もあって、飲食を一旦離れてトラック乗ったり、建築の仕事をしていたこともありました。でもラーメン屋をしたいって気持ちがやっぱり強くなってきましたね。」
- 最初にしたお店は?
「最初に中華風居酒屋みたいなのをしたんですよ。屋号が『ドラゴンキング』(笑)。一杯飲み屋で中華料理とラーメンを出していましたね。その時はまだ無化調じゃなかったです。」
麺's 食堂 粋蓮
- そして今の場所へ移転ですね。屋号の由来は?
「『いろんな麺料理を出したいな!』と思い、"麺'食堂"にしたんですよ。そして睡蓮の花って泥の中から咲くじゃないですか?自分は一回、本当に底に落ちたことがあるので、『もう一花咲かせたいな!』という想いも込めて"睡蓮"。少し漢字を変えて"粋蓮"で決めました。」
- オープン時に提供していたラーメンは?
「醤油と塩を、一応、無化調で清湯。ベースは今と似たようなものですが、どんどん進化させていきましたね。最初の頃は、豚骨や鶏白湯とかいろいろやっていました。
- ラーメン専門店になるきっかけは?
「食堂なのでいろんな料理を出していて、炒飯とか餃子も人気でしたね。でも、人気が出てくると手が回らなくなったんですよ。厨房が狭いし、餃子を焼いていると火元が無くて他のスープが温められない。それでだんだん削っていき、ラーメン専門になりました。」
- ラーメン作りは全て自己流ですか?
「前にお世話になっていたお店は昔のラーメン屋さんでしたから、ほとんど自己流です。だんだんレパートリーを増やしていって、長年やっていると次は足していたものを引き算していくようになってきました。引き算をして、やっと今の形になりました。」
- オープンしてからの評判はどうでしたか?
「オープンした頃は、ブログやtwitterなどで『スープがしゃばい』とか言われることが多くて苛々していましたね(笑)。それでバンバン丸鶏とか入れていくようになって、ガラの量も増やしていったりとか。」
丸鶏醤油らぁ麺
- 現在の看板商品は?
「丸鶏がウチの店のエースになっています。自分が作りたい丸鶏は、ちゃんと鶏の旨味があって醤油の良さをバン!って出せるようなスープ。流行っている水鶏系とかは特に意識していなくて、自分は基本、旨味を詰めたい人間なんですよ。だから丸鶏メインで、他のガラ、豚や昆布とかも入っています。無化調でやっているので、いろんなところから旨味を持ってこれるようなラーメンを作りたいと思っています。」
- 醤油にはかなり拘っているんですね。
「どの温度帯でも醤油を感じれるラーメンを作りたい。高い温度でも、温度が下がってきてもちゃんと醤油の香りがする。そのために何種類かの醤油をブレンドしています。醤油はキリがないですね(笑)。今は簡単に取り寄せできるので、いろいろ試しています。今、気に入っているのは小豆島の鶴醤です。初めて使った時は衝撃を受けましたね。」
- 紙谷店主が大事にしていることは?
「やっぱり身体にいいもの、安心して食べられるものを提供するってことですね。この前も"食育"で幼稚園の卒園する子供たちにラーメンをごちそうしたんです。自分たちの商売ってたくさんの命をもらって商売をしているじゃないですか?そういうのを子供たちにも教えてあげて欲しいって頼まれたんです。そういう機会がいただけるのも感謝ですね。」