Vol.133:らぁ麺 麦一粒


 北アルプスの雄大な眺めや田園風景で多くの観光客を魅了する安曇野。そんな長閑な地域に一軒のラーメン屋が2017年9月にオープンした。屋号は「らぁ麺 麦一粒」。関東の名店で腕を磨いてきた店主が作るラーメンはすぐに話題となり、遠く関西までその名はすぐに伝わってきたほどだ。

 長野県へ行く機会があったので、取材をする時間を作っていただいた。安曇野に来るのも初めてなので取材の日が来るのを待ちわびていた。"らぁ麺 麦一粒"高根店主にKRK直撃インタビュー!


- 出身は?

「千葉県です。」

 

- ラーメン屋を目指す前は何をしていたんですか?

「実家が床屋だったので高校を卒業してから理美容関係の道へ進みましたが、2~3年ほどで挫折してしまいました。当時は何がやりたいということもなく、そのままダラダラと時間だけ過ぎていく生活が続いていましたね。」

 

- ラーメンを好きになったきっかけは?

「元を辿ると、随分前になりますがラーメン本のTRY大賞の第1回を偶然見つけて、友達と『こういう本で選ばれてるお店は実際どんなものなんだろう?』と思って、興味本位で新宿の武蔵さんと中野の青葉さんへ食べに行ってみたんです。それで『あ~、これは美味いな。凄いな!』と驚いて、それをきっかけにラーメン食べ歩きを始めました。今思うと偶然に見た本がよかったんだな~と思いますね。それから千葉だけでなく、関東全域のお店に食べに行くようになりました。」

 

- 当時、自分で作りたいという気持ちは?

「まだ全くなかったですね。自分は作る側じゃなくて食べる側だなと思っていましたね。」


- 作る側になるきっかけは?

「幼馴染の栗山(現・「くり山」栗山店主)が大勝軒に勤めていたんです。ある日、栗山から『板橋の大勝軒が人手が足りなくて困っている。手伝ってくれないか?』と連絡があったんです。『ラーメン好きだし、いいかな~』と思い、それで板橋の大勝軒に入ることになりました。」

 

- 初めてラーメン屋で働いてどうでしたか?

「大将と女将さんが凄く感じがいい方達で、店の雰囲気もよかったんです。偶然入ることになったんですが、ラーメン屋で働く最初のお店としては良いお店だったな~と思いますね。大勝軒では1年半ほどお世話になりました。

- 独立志望はあったんですか?

「その頃には自分でラーメン屋として働いていこうと思っていたので、その目標のためにどこで修業をするべきかなと考えていました。このままでは駄目だと思っていたので、今度は自分で働きたいと思うお店を探そうと決めました。

 それから食べ歩きを再び始めて、ここで働きたいと思ったのが天神下にあった頃の大喜でした。いつ食べても、何を食べても美味しいお店でしたね。それで働きたいことを伝えると『半年くらい待ってくれ』と言われたので待ちました。」

 

- 大喜での仕事はどうでしたか?

「いろいろ学べましたし、上下関係、競争も凄かったですね。元々、僕は負けん気とかあまり無いタイプだったので、大喜に入ってから競争心とかが芽生えたと思います。その頃は大喜のラーメンが一番好きだったので、自分のお店でも大喜のようなラーメンを作るんだろうな~と思っていましたね。」

 

- 大喜では何年くらい働いていたんですか?

「合計で5年ほどお世話になりました。途中、3年目の頃に、栗山(くり山)がお店を始めて『人がいないから手伝ってよ!』と言ってきたんです。大喜ではまだ製麺を教えてもらっていなかったので『また戻ってきます!』と伝えて、休職するという形で栗山のお店に入ることになりました。それから『くり山』で2年半ほど働いて、再び大喜に戻って製麺を学びました。」

 

- 自分のお店にも動いていたんですか?

「当時、都内で物件を探していたんですが全然無かったですね。その時に栗山から『物件を探しているだけなんだったら、またウチに来てよ!』と頼まれて(笑)、また『くり山』でしばらく働きました。そういうのもあって僕は修業期間が長いんですよ。一つ言えるのは、どこも素晴らしいお店だったので辞めたいと思ったことが一度も無かったんです。」


- ターニングポイントは?

「再び『くり山』に戻ってきた頃は、もう自分の店に向かって休みの日に自作を続けていたんです。その頃に再び食べ歩きも始めたんですが、とても衝撃を受けたお店と出会い、もう他のお店に行かなくなってしまったんです。(そのお店に)毎週食べに行っていたので、ある日、店主から名刺をいただいて『同業だったら営業が終わってからまた来なよ!』と声をかけて頂きました。正式な弟子じゃないので名前は非公表でお願いします。それからいろんなことを教えていただきました。その時に『自分が独立する時はこのラーメンだ!』と決心しました。食べに行っていた時は、何か技術を盗めないかと一つ一つの動作をじっと見ていましたね。」



- 安曇野へ来るきっかけは?

「妻の実家がここ、松川村(長野県北安曇郡松川村)なんです。最初は東京で開業しようと物件を探していましたが、妻が家族の関係で松川村に戻らないといけなくなったんです。娘も小さかったし家族全員でというのが一番だと思ったので、自分も長野県に一緒に来ることに決めました。子供を育てる環境としても、この場所がいいかなと思いましたね。」

 

- 店の場所は悩みましたか?

「やっぱり市街地に出すべきだと思って、最初は松本市で居抜き物件を中心に探していたんですけど全然無かったです。『またこれで(独立開業が)何年も延びてしまうのはまずいな~』と焦っていた頃、たまたまこの場所を見つけたんです。更地だったんですけど建物も中古で建ててもらえるものがあって、駐車場もあるし。それで妻と話し合って、ここでやろうと決めました。」


らぁ麺 麦一粒(2017年9月29日オープン)


- 屋号の由来は?

「オープンの2カ月前でもまだ屋号を決めれていなくて悩んでいた頃に、業者を通して抑えていたはずの食材が『その量はちょっと無理です』と急に言われたんです。ラーメンの軸になる食材だったので『これはまずいな~』と慌てて、いろんな人に電話してどうにか確保できたんです。『これでなんとか店を始められるな~』とホッとした時に、材料の大事さを身に染みて感じました。その時に、『材料を大事に使おう。麦一粒でも無駄にしないようにしよう。』という気持ちを込めて、屋号を麦一粒と決めました。もしそういう問題がなかったら、『ラーメン高根』にしていたと思います。」



- お店の商品の紹介をお願いします。

「醤油らぁ麺には、現時点で醤油は生揚げの濃い口2種類、再仕込み2種類、生揚げの薄口1種類、溜り醤油1種類、その6種類をブレンドして使っています。鶏はガラを3種類、丸鶏2種類を使っています。毎日同じようにしていても違ってきます。本当にちょっと変えるだけで出方って変わるので、毎日が試行錯誤している状態ですね。

 塩らぁ麺は天日塩を中心に6種類の塩を使用しています。大喜の『とりそば』のような万人に食べてもらえるものを目指しています。」

 

- 高根店主の大事にしていることは?

「自分が食べ歩いていた頃、そしてラーメン屋になろうと思った頃も全てラーメン屋さんからの影響が強いんですよ。なので自分もいつか誰かに影響を与えられるようなラーメン屋になりたいなと思っています。そういうお店になれるように、一つ一つの仕事を丁寧にするのも大事。いろいろ取り組んでいこうと考えています。

 完璧というのは存在しないと思うんですが、完璧を求める姿勢というのを大事にしていきたいと思っています。時々、『あっ!今日いいな。今日は美味しいな~』とか思う時もあるんですけど、その日の内に『ここをこう変えたらもっと美味しくなるな!』とか考えているんです。常に次の新しく変わるものを求め続けていきたいですね。まだまだやることっていくらでもあるし、ちょっと変えるだけで凄く変わるので、本当に楽しいです。」


 <店舗情報>

■らぁ麺 麦一粒

住所:長野県北安曇郡松川村赤芝7002-3

twitter:https://twitter.com/mugihitotsubu_

オープン日:2017年9月29日

 (取材・文・写真 KRK 2019年7月1日)