Vol.140:炙り鯛だしらーめん・つけ麺 サクラ


 今回取材するのは、「はなやま」「サクラ」「ハナヤマZ」の3店舗を率いる「海の恵みカンパニー」松田代表。2003年に富雄(奈良市)でオープンして以来、他に無いものを追求し、奈良ラーメンシーンを長く支えてきた方だ。多忙な松田代表に、久しぶりに取材する時間を作っていただいた。他誌の取材で何度かお会いしているが、今回はさらに深く斬り込んでみようと思う。「海の恵みカンパニー」松田代表にKRK直撃インタビュー!



- 出身は?

「奈良県です。」

 

- ラーメン屋をするきっかけは?

「最初はラーメンとは絞っていなくて、いろんな所でアルバイトをして『何が自分にはいいかな?』と考えていました。自分で店を持つというのが目的だったので、小資本でできる、一人でできる、話題になりやすい、そしてオリジナルの商品が出せる、そういう条件で絞っていった結果、ラーメン屋をしようとなりました。」

 

- ラーメン屋をしようと決めてからは?

「食には興味あったので話題になった店に行ったりとかしてましたが、でもラーメンのことはあまり知らなかったので、調べようといろんな本を買って研究しました。そして自宅で自作も始めました。何も知識が無かったし、インターネットもまだ普及していない頃だったので本からの情報しか無かったですからね。

 それから、約2年間、いろんなラーメンを作って検証していきました。何をするとこうなるのか、何と何を合わせたらどうなるのか、いろんな組み合わせを検証していましたね。ドロドロのも作ったし、超あっさりのも作っていました。オリジナルのものを見つけないといけなかったですからね。元々、僕はずっと何かを探求するのが好きな性格だったんです。当時は、朝3時から郡山の市場で働いて、帰宅してからラーメンの研究をして、そして夜20時頃に寝る。そういう生活を2年間ほど毎日していました。その時の経験があるので、あらゆるスープが作れるので今でも凄く役立っています。」


やまと支那そば 華山(2003年オープン)


- 2年間の研究の末に辿り着いた最初のラーメンとは?

「華山の塩ラーメンです。今も『ハナヤマZ』で出している塩ラーメンです。当時、関西で塩ラーメンが美味しいと言われているお店をいろいろ食べ歩いたんですが、感動するようなのには出会わなかったんですよ。それなら自分が劇的なのを作ったらいいなと思いました。

 ベースは鶏で、タレの方に凄く拘りました。香りが欲しかったので香りを出すようなタレ、ただ単に塩味の動物系の味がほんのりするようなものでなくて、けっこうガ~ンと来るような匂いのものを目指しました。」

 

- まだ激戦区になる前の「富雄」を選んだ理由は?

「富雄で始めたきっかけはホントにたまたま。不動産屋さんが『ココが空いてますよ!』と教えてくださって、大きさと家賃、駅からも近い、条件が合ったのでここに決めました。当時の富雄にはラーメン屋はまだ『きぶんやさん(和歌山ラーメンきぶんや)』しか無かったですね。」

 

- 屋号「やまと支那そば 華山」の由来は?

「商品も他に無いものを作りたかったし、お店の内観、和食店のような雰囲気のラーメン店は当時は関西には無かったんですよ。器は僕の陶芸家の友人にハンドメイドのものを作ってもらいました。そういうコンセプトだったので、屋号をどうしようかと考えていました。

 華山は、株式相場の格言で『人の行く裏に道あり花の山』があります。人と同じことをしていたら大きな利益は得れない、という意味で、その格言からそこから華山と決めました。」

- オープンしてから順調でしたか?

「最初はやっぱり厳しかったです。『一体、何屋さんなのかな?』って外観でしたからね。半年くらい静かでしたよ。16年前ですからまだSNSで口コミが拡散されるとかも無い時代ですからね。でも興味ある方たちが少しずつ来店してくださって、ちょっとずつお客さんが増えていきました。」

 

- 関西で流行るずっと前から「鯛干し」や「つけ麺」を提供されていたのは?

「華山をオープンした頃はまだ鯛干しを使っていなかったんですが、途中から知って『面白いな~』と使い始めました。その頃は関西ではどこも鯛干しをまだ使っていなかったですね。関東でもフレッシュな(鯛の)ガラを使っているお店はあったんですが、鯛干しを使っているお店はまだ無かったと思います。

 つけ麺に関しては、当時、お店に通ってくれていたマニアの方が『今、東京ではつけ麺が流行ってきている』と教えてくれました。それで自分でいろいろ試作して、自家製麺を始めたタイミングでつけ麺を始めました。当時は関西ではつけ麺を出しているお店は数軒だけでしたね。他店と違ったことをする方が面白いと思ったんです。」

 

- 前から聞きたかったことなんですが、私が初めて華山に行ったのが2008年3月です。まだSNSも無い頃に「無断撮影禁止」と書かれた紙が貼ってあったのがとても印象に残っています。何かトラブルとかあったんでしょうか?

「今でもそうですけど、公共の場所ですから。例えばそこに知らない人の顔が写っていると、そのお客様に迷惑をかける。撮る時に『写真を撮らせてもらいます。』と一声かける。それくらいは必要があるんじゃないかなと思っていました。」


大和つけめん 春日


- 私の記憶では2008年には既につけ麺専門で「春日」というお店を二毛作営業でしていましたね。当時の関西では「つけ麺専門店」も無かったし、「二毛作営業」をしていたお店も記憶にありません。

「関東で二毛作営業をしているお店があったので、『ウチ(華山)でもしてみようかな?』と思ったんです。つけ麺は(華山の商品とは)全く違う商品なので、限定で出すよりは屋号を変えてする方が面白いかなと思いました。それで土曜の昼だけ、つけ麺メインのお店『春日』として営業することに決めたんです。」

 

- 麺も自己流なんですか?

「麺も自分で週一回製麺をして、いろんな麺を試しましたね。細いのから、平たいの、縮れたのとかね。」


炙り鯛だしらーめん・つけ麺 サクラ(2010年7月15日オープン)


- セカンドブランド店「サクラ」のきっかけは?

「華山をオープンしてからあっという間に7年ほど経った頃、スタッフが増えたのでもう一店舗しようかとなりました。2店舗目をしたいという気持ちは前からありました。」

 

- 屋号「サクラ」の由来は?

「鯛って春に産卵するんですよ。魚の旬って脂がのって一番美味しい時で、それが春。その時期の鯛って海から上がってきたら物凄く綺麗なんですよ。ピンクとブルーに光っていて桜のように見えるので、その時期の鯛を桜鯛と呼ぶんです。そこからサクラと決めました。

 サクラで『鯛干し』を謳って凄く評判がよかったので、華山の屋号も変えることにしました。以前から華山をカザンと読む人も多かったので、平仮名で『鯛だしそば・つけ麺 はなやま』にしました。」


潮の風吹くラーメン ハナヤマ Z(2013年11月1日オープン)


- サードブランド店「ハナヤマZ」の"Z"の意味は?

「アルファベットの一番最後の"Z"は、"究極"とか"最終"って意味があるんです。例えば自動車のフェアレディZとかありますよね。だから『ハナヤマから進化しましたよ!』とか、そういう意味です。」

 

- 「潮の風吹くラーメン」と付けた理由は?

「魚をコンセプトにしようと始めたお店だからです。」


- 最後に松田代表が大事にしていることを教えてください。

「食事して幸せを提供できたらいいかなって思って、ラーメンを作っています。一杯のラーメンですけど、『ここのお店来てよかったな!』と友達や家族と話してくれたら、それが嬉しいですね。」



 海の恵みカンパニー

公式HP:https://umino-megumi.com/

 

本店:鯛だしらーめん・つけ麺 サクラ

奈良県橿原市葛本町808-1 グリーンタウン北八木

オープン日:2010年7月15日

 

奈良店:鯛だしそば・つけ麺 はなやま

奈良県奈良市鳥見町1-1-4 広徳マンション1F

オープン日:2003年

 

田原本店:潮の風吹くラーメン ハナヤマZ

奈良県磯城郡田原本町大字千代843-1

オープン日:2013年11月1日


 (取材・文・写真 KRK 令和元年7月12日)