Vol.152:らーめん 心繋


 「ラーメン王国」で知られている札幌市。札幌味噌を提供するお店が星の数ほどある中で、近年は道外でラーメンを学んできた店主たちが新たな流れを作り始めている。その新世代の中でひときわ輝きを放っているお店が今回取材する「らーめん心繋」だ。店主は東京の名店「BASSOドリルマン」での修業後、2013年に札幌市で独立開業。醤油ラーメンを看板にして、瞬く間に札幌を代表する人気店となる。

 イベントを通して何度か話したことはあるが、今回はじっくり話せるのでいろいろ聞いてみようと思う。"らーめん 心繋"玉山店主にKRK直撃インタビュー!


- 出身は?

「札幌です。」

 

- ラーメンは好きだったんですか?

「札幌ではサッカーやラグビーをしていたのでラーメンは全然食べていなくて、とにかく量を食べるって感じでしたね。ラーメンに嵌ったのは新潟で青島食堂とか食べてからです。」

 

- 新潟で??

「札幌での高校時代にラグビーをしていて、そのまま社会人の企業チームに入ったんです。それが新潟県のチームで、今で言う二部みたいなチームでした。新潟のチームでラグビーしながら仕事をしていました。」

 

- ラーメン屋をしようと思ったきっかけは?

「中越地震(2004年)で会社が駄目になってしまったんです。仕事はやれていたんですけど、ラグビーがやれなくなってしまって。元々はラグビーをやるためにその会社に来ていたので、もういる意味がないと思いました。その頃、だいぶラーメン食べ歩きをしていたので、『ラーメン屋をやってみようかな!』と考え始めました。あの地震が無かったら、ラーメン屋をせずにラグビーを続けていたと思います。」


- ラーメン屋をしようと決めてからは?

「新潟では土地勘が無いので、地元札幌に戻って少し修業してから東京へ行こうと思いました。飲食の経験も無かったので、まずは札幌で少し仕事に慣れる必要があると考えたんです。」

 

- 札幌での修業先は?

「忙しいお店で仕事に慣れようと思ったので、当時から人気だったてつやさん(らーめん てつや)で1年ほどお世話になりました。」

 

- それから東京のお店へ行くんですね。

「たまたま雑誌で見て『美味しそうだな~』と思って、某店(非公表)に決めました。そのお店では4年半ほどお世話になり、ラーメンの知識はそこで全て植え付けたって感じですね。」

 

- そのお店を離れた理由は?

「自分の独立のことを考えたら、麺の知識とか他にも足りないことが多いと気づきました。このままこの店にいたら失敗するなって思いました。

 それで東京で食べ歩いていた時に、ドリルマン(BASSOドリルマン)と出会いました。食べた時に『スゲー美味しいな~』と思いましたし、ちょうど募集もしていたんです。ドリルマンでは3年ほどお世話になりました。」

 

-  ドリルマンでは思っていた通りに学べましたか?

「そうですね。そして思っていた以上に厳しかったです。ラーメンを作るだけでなく、お客様に対する思いとか、その辺を凄く大切にしているお店でした。『美味しいものを作ることは3年ほどやっていたら誰でもできる。でも売れるもの、売れないもの、その差で違ってくる!』と毎日教わっていました。凄く勉強になりましたね。」


らーめん 心繋(2013年6月28日オープン)


- 札幌で独立って決めていたんですか?

「最初は東京でしようと思っていたんですが、土地勘とかいろいろ考えて、知り合いも多い地元札幌でやろうと決めました。1人で営業できる物件を探していたら、ここにたどり着きました。」

 

- 屋号の由来は?

「『ラーメンで心を繋ぎたいな~』とずっと思っていて、いろいろ屋号を考えていたんです。たまたま知り合いの人が『それでシンワ(心繋)を作るとかいいんじゃない?』と言ってくれて、それで決めました。」 


メニュー(2019年12月29日撮影)


- 提供するラーメンは修業時代から決めていたんですか?

「もう独立の1年前くらいから醤油主体で濃厚系とあっさり系って決めていました。ドリルマンからの影響が大きいですね。ドリルマンはダシ主体でシンプルなタレを合わせて味を整えるって感じです。」

 

- 味噌でなく、醤油をメインにした理由は?

「味噌はやっぱり"純すみ系"とかに勝てないので、醤油ラーメンで勝負しようと思いました。オープン時から醤油、醤油って言っていたので、醤油でいろいろしています。でも知り合いから『札幌なので味噌も置いておいた方がいいよ』とアドバイスをもらったので味噌も置いていますが、ウチは味噌は全く出ないですね。』


特製生姜醤油


- 現在の看板である生姜はいつから?

「生姜醤油はオープンから半年ほど経ってからですね。最初は限定をしていませんでしたが、お客様が徐々に増えてきて、そしてラーメン好きのお客様にも多く来てもらうために何か限定をしようと考えました。ドリルマンは基本的に限定をやらないんですが、その前の修業店(非公表)では限定を凄くやっていたので限定を作るのは問題ありませんでした。

 何をしようと考えた時に、自分が新潟時代に一番好きだった生姜醤油が頭に浮かびました。新潟時代に好きだったのは、生姜と背脂でした。燕三条もたまに限定でしますが、やっぱり生姜が一番評判良かったですね。すみれさんの味噌にも生姜が乗っているし、札幌には生姜の文化があるんですよね。」

 

- 生姜を限定からメイン商品に変えた理由は?

「オープン当初は煮干しの濃厚が流行っていたんですけど、徐々にシフトチェンジしていって『生姜がけっこう売れるようになってきたな~』となってきたので、それで生姜に変えていったんです。生姜ラーメンをしているお店はけっこうありますが、鶏ガラに生姜を乗せているだけってお店が多くて、ウチのようにメインで使っていません。ウチの生姜はタレとか全部に生姜を入れているので、他のお店の生姜とは根本的に違います。」

 

- 生姜ラーメンへの拘りが強いんですね。

「本来は生姜ラーメン専門にしたいくらいなんですが、最初からのメニューのファンもいますからね。最初の頃はいい醤油を集めていろいろしていたんですが、生姜ラーメンって"生揚げ醤油"や"たまり醤油"を使ったらいいわけでない。やっぱり良さが出ないんですよね。昔ながらの青島食堂ってイメージが頭にあるので、やっぱりチャーシューを煮たタレとかなんです。それに普通の醤油を合わせて生姜醤油のタレを作っています。いい醤油を入れてしまうと、ラーメンでなくて醤油ばかり目立ってしまう。そういう一体感に欠けるラーメンは作りたくないんです。ウチはどっちかと言えば足し算のラーメン。鶏豚の節みたいな感じなんですよね。」


- 店舗展開とかに興味は?

「興味ないですね。一時、人を増やしていた時期もありましたが、自分色が強くて人に任せられないんですよね。僕はラーメンを作るのが好きなので、1人で作っている方がいいなって思います。」

 

- 玉山店主が大事にしていることは?

「ラーメンを一生懸命作ること。毎日違うお客様が来ます。忙しくなってきても雑にならず、そこで四杯を作るんじゃなく、二杯を丁寧に作る。それはドリルマンでの修業時代にずっと教わっていたことです。その二杯の二人が四人になって、四人が八人になっていくんです。だから一杯一杯を大事に作っていくこと。今後何十年していても、そこだけは変えたくないです。」



 <店舗情報>

■らーめん 心繋

北海道札幌市豊平区月寒東5条8-5-12

公式ブログ:https://ameblo.jp/sapporo10/

twitter:https://twitter.com/toma1274

オープン日:2013年6月28日

 (取材・文・写真 KRK 令和元年12月29日)