Vol.191:拉麺ひらり


 今回取材するのは香川県高松市の「拉麺ひらり」。女性や家族客で連日賑わっている人気店だ。特に賄いから生まれたという名物「トマチリ」はメディアでも取り上げられることが多く、うどん王国のラーメン屋の中でも異彩を放っている。"拉麺ひらり"中村店主にKRK直撃インタビュー!


- 出身は?

「高松の屋島です。」

 

- 料理の世界へ入るきっかけは?

「高校時代のアルバイトでうどん屋とか建築関係のお手伝いとかしていたんですが、一番影響を受けたのは"ほか弁"のお店でしたね。昔は"ほか弁"じゃなくて"炊き立て弁当"と呼ばれていました。家のすぐ近くに"炊き立て弁当"のお店ができることになって、オープン時には店長と主婦の方と僕の三人でした。店長は掛け持ちしていて、主婦の方も夜は出れない。しばらく経ってから高校生だけど夜営業を一人で任されるようになり、最後のレジ閉めまでやっていました。その時に『こういう仕事、なんかいいな~』って思い始めました。その時の店長が『あんた、料理の世界に入った方がいいんちがうか?』と言ってくれていました。」


- 飲食に興味を持ってから?

「高校三年生になった頃、大学に行くつもりもなかったので求人情報を見ていたらホテルの求人がありました。当時は調理師学校を出ていなくても入れたので、そのホテルにそのまま就職しました。でも1年過ぎた頃に『あっ、僕はこれをずっとできないな~』と思いました。ホテルの料理長になれるのはたった一人だし、フランス料理の世界に何十年もいるには自分は才能が無いなって思ったし、僕は商売というものをしたいという思いがありました。それで当時の料理長に『大阪のどっかの個人店を紹介してください!』とお願いしました。

 

- 大阪を選んだ理由は?

「都会に行きたかったんですよね。僕は洋食屋をしたかったので、それで都島のビストロを紹介してもらいました。全然知らないところなので『都島?これどこや?』って感じでしたね(笑)」

 

- どのくらい修業を?

「そのビストロで4年が過ぎた頃に、オーナーからビルを建て替えてリニューアルすると聞いて、それならそろそろ高松に帰ろうと思いました。それで前の職場の料理長に連絡したら、高松の別のホテルを紹介してもらったのでそこで少し働くことに決めました。」


- 高松に戻ってきて?

「高松に戻ってそのホテルで働き始めたんですが、すぐにオートバイで事故をしました。大きな事故で首、頚椎から大事な神経が3本抜けてしまいました。」

 

- その時に料理の道は?

「あきらめましたね。医者からも料理の世界で続けていくのは無理だろうと言われました。自分の人生、方向を変えないといけないな~と思い、障害者枠で一部上場企業に紹介してもらって入社しました。」

 

- 仕事内容は?

「ちゃんと僕に合った仕事をくれるんです。事務職ですよね。リハビリセンターでパソコンを習っていたので、動かせる左手で簡単な入力作業。給料も良くて生活も安定しました。でも修業時代にしてきたことが全く生かせられないんですよね。だから『このまま事務職でずっといてもいいのかな?』と悩んでいました。」


- ラーメンとの出会いは?

「ある時、某ラーメン屋に偶然に行った時に衝撃を受けました。平麺、背脂、ダブルスープ、全てが初めての感動的な口当たりでした。それで嵌ってしまって、僕1人でも高松から通うようになりました。」

 

- それまでラーメンは?

「それまでは全く食べていなかったです。大阪に住んでいた時も近くの中華とかで食べるくらいでした。」

 

- 一杯のラーメンとの出会いで気持ちの変化があったんですね。

「そのお店で食べている内に、『スープさえ仕込めたらできるんじゃないかな?』と考え始めて、それから『もしかしたら麺もできるかも?』と思い、まずは製麺から入ったんですよ。新宿の蕎麦屋さんがパスタマシーンで作る麺って記事を本で読んだので、その蕎麦屋さんに連絡して泊まり込みでパスタマシーンでの麺作りを教わりました。」

 

- もう頭の中はラーメン屋開業へ向かっているんですね。

「もう決めていましたね。次はスープに入ったんですが、なかなかいいのができない。洋食での経験はあるんですが、ラーメンのスープは苦戦しましたね。」

 

- オープンに向かって順調でしたか?

「うどん屋で働いていた母親がそっちを辞めて僕と一緒にするという話になったので、当初はこの場所で僕がラーメンをして、母親がこの角の部屋でお好み焼き屋をする予定だったんです。図面が出来上がって厨房機器や食器も揃った頃に、ウチの母親が病気で突然亡くなってしまいました。もうきつかったですね。それで僕も店のことはほったらかしにして、パチンコばっかりして荒れた生活をするようになりました。そんな僕を見兼ねて、弟とか友達が『お前、そんなことせずにラーメン屋をしてみろ。失敗してもいいやろ!』と言ってくれたんです。それで2005年8月1日に、この場所でラーメン屋を始めました。」


拉麺ひらり(2005年8月1日オープン)


- 屋号の由来は?

「僕の名前の平(ひろし)で、『平の勝利』で『ひらり』にしました。」

 

- オープン時の商品は?

「塩、醤油、味噌。ラーメン居酒屋風だったのでタコわさとかも出していました。」


トマチリ


- 看板商品のトマチリが生まれたきっかけは?

「ラーメン居酒屋風だったので、メニューに鶏のトマト煮とかあったのでトマトソースを毎日仕込んでいました。当時のバイトの子が『このトマトソースでラーメンできないの?』って言うので作ってみると

もう不味くて(笑)。当時暇だったので『美味しいの作ってみるわ』と思って、時間ある時に試行錯誤して作り続けていました。それである時、『これいけるやん!』ってのができたんです。それならメニューにも載せようかってことになり(笑)、トマトとチリのラーメンで"トマチリ"と名付けてメニューの下の方に載せました。」

 

- 評判は?

「最初は誰もトマトのラーメンなんて食べてくれなかったですね。でも珍しいのでテレビや新聞社からトマトのラーメンの取材が来て、それからあっという間に人気商品になりました。来店するお客様はもうトマチリしか食べなくなって驚きましたね。」

 

- 中村店主が大事にしていることは?

「あきらめないでコツコツしていくことです。僕はもう右腕が動かないので、両手動く人に勝とうと思ったらコツコツ、ちょっとずつ同じことでも毎日継続することだけですね。」



◆店舗情報

拉麺ひらり

香川県高松市屋島西町2501-7

オープン日:2005年8月1日

 (取材・文・写真 KRK 令和2年10月10日)