Vol.206:ちっきん


 今回紹介するのは静岡県藤枝市の人気店"ちっきん"。朝ラー文化が根付いているこの地域で特に異彩を放っている「無化調らぁめんと餃子専門店」だ。年末年始の長期休業中に、前から面識のあった店主に取材をさせて頂いた。屋号の由来、商品について、そして独特の雰囲気を醸し出す店主についていろいろ聞けたらと思う。"ちっきん"知識店主にKRK直撃インタビュー!


 - 出身は?

「生まれたのは鹿児島県ですが、育ったのは神奈川県です。」

 

- 静岡に来たのは?

「中学3年の時に、父親の仕事の関係で静岡県藤枝市にやって来ました。こっちに越して来てから高校を選ばないといけないとなって『工業系が面白いかな?』と思って工業高校に入りましたが、授業で工場見学とか行くんだけど『自分には合ってないな〜』と思いました。」

 

- 藤枝と言えば「朝ラー文化」で有名ですね。

「当時は全然知らなかったです(笑)。一部の人には人気のようで『朝ラー、朝ラー』ってメディアでも紹介されたりしていますが、『朝ラーなんて行ったことないよな〜』と言う地元の人が大勢いると思いますね。」


- 飲食の仕事に興味を持ったきっかけは?

「高校の頃からオートバイに夢中になっていて、とにかくお金が必要だったからアルバイトばかりしていたんです。レストランで深夜まで働いたりしてて、その時に『飲食の仕事もいいな〜』と思い始めました。それで就職活動を始めた時に、学校の就職案内で地元の有名なラーメン屋『とうそん』の求人を見つけました。白味噌ラーメンと大きな餃子が有名なお店です。当時ラーメン店として株式会社だったりととてもしっかりしたお店だったので、『調理師になるならこんな会社がいいな!』と思いました。『とうそん』に就職できたことは、僕にとって人生最高の選択だったと思っています。」

 

- 「とうそん」では何年?

「『とうそん』で9年ほどお世話になり、その間に同じ職場で出会った女性と結婚しました。ですので独立時の選択肢としてラーメン屋というのが漠然と自分の中にありました。場所は奥さんの実家の近くでと考えていました。」


ちっきん(1999年オープン)


- オープンした年は?

「1999年で27歳の時でした。」

 

- 屋号「ちっきん」の由来は?

「自分の名前が『知識』だから、子供の時のあだ名が『ちっき』でした。それをどこかに入れたいなと思っていました。あとは皆んなで温かい所に集まって団欒するというイメージを出したいと思い、最初に浮かんだのが、ちっきと団欒を繋いで『ちっきだんらん』。ちょっと長いけど洒落てていいかなと思っていたんですが、やっぱり何かしっくりこない。その頃に本屋でキッチン関係の本が目に留まり、『キッチン』を『ちっき』にひっかけて『ちっきん』と決めました。『ちっきん』という屋号なので、『鶏を主に扱っているんですか?』とよく言われましたね(笑)。」

 

- 無化調や餃子はオープン時から?

「オープン当初は無化調はまだしていなかったです。餃子はありました。修行先『とうそん』が餃子で有名な店で、独立時に社長が餃子のレシピを教えてくださったんです。でも近くだったので修業先と同じ味にするわけにはいかないなと思い、自分で握り方とかアレンジして独自の餃子に作り上げていきました。」

 

- オープン時の商品は?

「味噌、塩、醤油、冷やし中華。その時はそのまま『とうそん』の味。今でも使っている味噌が同じだったりとか、『とうそん』からの一部の流れを継いでいます。しばらく経ってから『ちょっと自分の色も出していかないとな!』思って、和風ラーメンや野菜ラーメンとかしていました。中華風混ぜご飯、餃子、焼売。当時はまだ昼と夜の営業をしていました。」

 

- 集客はどうでしたか?

「まだインターネットが無い時代だったので、どうやってお客さんを掴むかとよく考えていました。営業時間を伸ばしたり、値段を安くしたり、セットメニューを増やそうかとかでしたね。」

 

- それから徐々に商品開発に着手していくんですね?

「オープン当初はまだ店内喫煙OKでアルコールとかの規制も厳しく無い時代でしたが、ある時期からアルコールの規制が厳しくなってきました。それでウチもなあなあの商売じゃなくてしっかりしていこうと思い、禁煙にしてアルコールも提供しないことにしました。そんなことをしていたらお客さんが一気にいなくなりましたね(笑)。でも自分も意地になっていて、商品でお客さんを呼べるようにならないといけないと考えていました。」

 

- どんなところから始めたんですか?

「一から十まで自分の手造りでしたいと思い、最初に浮かんだのが自家製麺。試作では良かったけど、お客さんからの評判はあまり良くなかったんです。自分なりによく考えてみると、スープが麺に勝ってしまっていることに気づきました。当時はまだ化学調味料を使っていて、自分の作った麺と合っていなかったんです。それで特に知識も無いのに無化調でしてみようと決めました。無化調だとダシを強くしないといけないんですが、何からしたらいいか分からない。鰹節とか昆布とか入れ過ぎたら魚介寄りになってしまって全く違う味になる。自分もそうなんですけど、化学調味料慣れしているお客さんに、『体がいいから食べてね!』と言っても誰も食べに来てくれないんです。オープン4年目の頃でしたが、挑戦の連続でしたね。それから味の調整とか繰り返して、徐々にお客さんが増えてきました。客層がガラッと変わりましたね。」


- ラーメンから一度離れた理由は?

「オープンして7年目の頃です。子供達と時間が合わないので、子供達が小さい内はラーメンから離れて家族の時間を大事にしようと思いました。ラーメンから一度離れて客観的にラーメンと付き合い、自分の作りたいラーメンを考え、そして子供達が大きくなってからまた夫婦でラーメン屋をしようと考えました。それでラーメン屋をやめて、サラリーマンを3年くらいしていました。」

 

- 再びラーメンに戻ったのは?

「サラリーマンもなかなか自分に合わなくて悩んでいた頃、偶然にこの物件(現店舗)を見つけたんです。『ここなら今あるお金でできるな~』と思い、それで奥さんに『やっぱりラーメン屋をしていいかな?』と相談し、再びラーメン屋を始めました。もう夜はやらないと決めて、最初は朝から昼、週末だけ夜をして、日曜は休みという営業スタイルでしていました。」


◆メニュー(2020年12月27日撮影)


- 看板商品「120%煮干し」誕生のきっかけは?

「自分のラーメンでは朝ラー文化に染まっている人達にはなかなか受け入れてもらえなかったんです。それで何とかしないとって考えて浮かんだのが煮干しラーメン。僕は鰹出汁系が得意でなかったし、母親の煮干しの味で育ったところがあるんです。苦味とか香りとか煮干しの嫌なところが出ないように、頭とハラワタを取って昆布と合わせてダシを取りました。そしてインパクトも欲しいから香り油を合わせました。最初に試食した時に『煮干しと昆布だけでこんなに美味しいものができるんだ!』と自分の想像を超える味に驚きました。それで自分の想像の100%を超えていたので、120%という形で自分の気持ちを表現しました。今でもびっくりしてくれるお客さんが大勢います。今時の濃い煮干しが好きな人たちが求めている味とは違うかもしれませんが、自分の想いを込めた120%は残していきたいです。」

 

-トマトラーメンもオリジナル商品ですか?

「はい。独立後にオリジナルで作ったものです。刻んだトマトを入れて、提供寸前にさっとトマトを煮て提供するんです。このやり方が一番美味しい。トマトらしさ、果肉感を残しつつ、ラーメンらしさもある。ちょっと酸味があるトマトを使うのが一番いいです。」

 

- 知識店主が大事にしていることは?

「心のこもったものを多くの方に食べてもらいたい。自分たちの商品に誇りを持てるものを作っていきたい。生活していかないといけないのでお金儲けも必要なんですが、何か抜けてしまうと足元が段々崩れていく。心のこもったものを上手に作って、それを食べに来てくれる人が喜んでくれる。そういった商品作りをこれからもしていきたいと思っています。

 いつもそうなんですけど、美味しいお店が多いのになんでお客さんがウチに来てくれるのかなと考えています。でも自分がもしラーメン屋でなくて一般の人だったら、ちっきんに食べに行くかなと思っています。」



◆店舗情報

ちっきん

静岡県藤枝市田中2丁目13-6

公式ブログ:http://chikkin.blog.fc2.com/

Twitter:https://twitter.com/chikkinramen

 (取材・文・写真 KRK 令和2年12月27日)