約6年振りに島根県松江市に来た。今回取材するお店は「麺や 拓」。店主は大阪の名門「麺や輝」からの第一号卒業生。大阪で「麺や拓」として独立開業し、Wスープで話題になり各メディアで絶賛されていたのをよく憶えている。そして大阪で店舗展開もして不動の地位を築いていた中、店主が突然に出身地である島根県へ戻ったことには驚いたものだ。
今回、定休日なのに取材する時間を作っていただいたので、島根からなぜ大阪のラーメン屋で修業、そして人気絶頂時に島根に戻った理由、など聞かせてもらおうと思う。「麺や 拓」森口店主にKRK直撃インタビュー!
- 出身は?
「島根県の隠岐の島出身です。」
- 大阪へ来るきっかけは?
「高校卒業後、大阪に出てきました。調理がずっと好きだったので、調理師学校で学ぶためです。」
- 目的は地元でいつか自分のお店を?
「その時は自分で店を持つとか考えていなくて、自分が好きなことをしようと思っていただけです。手に職を付けたいと思っていました。当時は調理か介護、その二つで悩んで調理を選びました。」
- 学校に入ってからは?
「調理師学校での1年間にいろいろ壁に当たって『調理はもういいかな〜』と考えることもありました。でも調理の世界に行かなかったら、何のために親にお金を出してもらって大阪まで来たんだと思いました。それで大阪の中華料理屋さんに就職しました。」
- 当時、ラーメンは?
「島にいる時もですが、学校に通っている間もラーメンを食べることはほぼ無かったですね。」
- 初めて飲食で働いて、どうでしたか?
「いい先輩に恵まれて多くのことを学べましたが、中華料理店に入って思ったことがありました。メニューが凄く多いんです。仕込みとかも大変ですし、厨房でやることも多い。僕の性格には合ってないなと分かりました。それで向いてないからやめようと決めました。そのお店では1年ほどお世話になりました。」
- 自分のしたいことがまだ見つからないんですね。
「中華を離れてから、知り合いに紹介してもらった居酒屋でお世話になっていました。成り行きでとりあえずやるかという気持ちでしたね。でも当時付き合っていた彼女(現在の奥様)と将来のことを考えるようになってきて、夜の仕事はどうなのかなと思うようになりました。それで居酒屋から離れて、パン屋さんとか介護の仕事とかいろいろして、何が自分に合っているのか模索していました。」
- いろいろ模索して?
「僕の中では『やっぱり調理しかない!』となりました。メニューが多い店は自分に合っていないと分かったので、それならラーメンかカレーだなと思いました。絞り込んでのめり込めるというのが合っていると思いました。」
- ラーメンをすると決めてからは?
「ラーメンの情報が全く無かったので、本屋でラーメン本を買っていろいろ食べ歩きを始めました。兵庫、大阪、和歌山など、けっこう広い範囲を食べていました。」
- 修行店との出会いは?
「食べ歩いている中で一番衝撃を受けたお店が『麺や輝』(サイト内記事)でした。一回自分で食べに行った時に驚いて、帰宅して彼女に『凄い店を見つけたので、もう一度確認のために一緒に食べに行ってくれない?』と頼みました。それで一緒に食べに行ったら、彼女も『ここは凄い!』と言ってくれました。それでここで働きたいと思いました。」
- 当時はまだ「麺や輝」の弟子制度も無かった時代だったと思いますが?
「募集の貼り紙も無かったんですが、電話して面接してもらいお世話になることになりました。まだ店舗展開もしてない頃ですね。」
- ラーメン店で初めて働いて、どうでしたか?
「全く知らなかったので、『ラーメンってこうやって作るんだ!』と新鮮でしたね。当時はラーメンとご飯しか出していない頃でした。」
- 以前に森代表に取材した時に、森口さんが一度離れてからまた戻ってきたと聞きましたが?
「最初の何ヶ月かで一度辞めたんです。彼女と結婚のことも考えていましたから、当時の給料では生活をしていくことも難しいと思いました。加えて、今考えると超浅はかな考えなんですけど(笑)、もうラーメンを自分で作れると思ってしまっていたんです。それで島根の実家に帰って自作を始めました。何ヶ月か自作をしていたんですが、数ヶ月しか学んでいない人間に美味いラーメンを作れるわけもないんです。全然ダメだとなったんですが、でも自分にはラーメンしかない。ラーメンだったら『麺や輝』しかないと思いました。それで失礼なんですが、ダメ元で大将に『もう一回雇ってもらえませんか?』と電話しました。絶対無理と思っていたんですが、大将は『じゃあ、また来てよ』と快く迎えてくださいました。」
- 輝に戻って、それから2号店(中津店)の店長を務めるんですね。
「その頃には自分で全部こなせるようになっていたので、中津店を任せてもらうことになりました。もちろん初めてのことばかりで大変でしたね。」
- 独立への経緯は?
「輝の社員も増えてきて、後進も育ってきている。『もう自分は出ていって、自分でした方がいいかも?』と思い始めました。大将にどう言ったかは憶えていないんですけど、僕から大将に独立したいと伝えたと思います。」
- 屋号「麺や拓」の由来は?
『麺や輝』が大将(森 輝人)の名前からなので、自分の店も僕の名前『拓郎』から決めました。」
- オープンしてどうでしたか?
「最初は輝の名前で多くのお客様に来てもらえましたが、1ヶ月後くらいからは全くでしたね。急降下でした。味も全然定まっていなかったです。それで『このままだとダメだな』と思っていろいろ考えて、今のスープ2個を合わせる(ダブルスープ)という形ができました。」
- 当時、ダブルスープで話題になっていましたね。
「そのダブルスープ製法ができてからちょっとずつお客様も増えてきて、その年の年末くらいに多くのメディアに取り上げて頂きました。昔はテレビや雑誌の反響は大きかったですね。」
- 大阪で順調に成長している中、突然に島根に戻った経緯は?
「当初は島根に戻るってのはだいぶ後の話と考えていました。でもラーメン業界の流れが早過ぎて、『ちょっとこれ、ついていけないな。このまま大阪でやっていけるのかな?』と考え始めました。今もそうですけど、どんどんラーメン屋が増えていて美味しいお店ばかり。僕は性格上、限定など新しいものを作っていくのではなく、今ある商品を少しずつアップデートしていくというタイプなんです。あとは家族ができて、子供たちが大きくなってきている。そして島根にいる親が段々と歳をとっていく。周りの状況が少しずつ変わってきて、もう島根に戻った方がいいなと思いました。」
- 大阪の店は?
「頑張ってくれていた当時の店長に話をすると、『やりたいです!』と言ってくれたので譲ることになりました。」
- 島根に戻って松江で店をすることを選んだのは?
「米子市、出雲市、松江市と物件を見てまわって、この松江の物件に決めました。」
- 大阪とは違った商品を提供しているんですね。
「鶏が好きになってきていたので、鶏白湯メインですることにしました。そして松江で店をするにあたって『なるべく山陰の食材でラーメンを作りたいな!』と思い、醤油とか鶏ガラとか山陰の良いものを探して使っています。」
- 森口店主が大事にしていることは?
「僕は凄いことをしているわけではないですが、今日のベストをお客様に提供できるように毎回心掛けています。」
◆店舗情報
麺や 拓
島根県松江市学園2-27-28 丸新ビル1F
公式HP:https://menyataku-matue.crayonsite.net/
twitter:https://twitter.com/menya_taku
instagram:https://www.instagram.com/taku_menya/
(取材・文・写真 KRK 令和3年4月4日)