Vol.255:麺処 いつか


 約7年ぶりに広島県呉市へ来た。戦艦大和を作ったこの町で、今回取材するお店は「麺処いつか」。2015年1月にオープンして、今や県外からのリピーターもいる人気店だ。イベントを通じて店主と知り合ったが、対面で話すのは今回が初めてだ。「麺処いつか」示野店主にKRK直撃インタビュー!


- ご出身は?

「広島県呉市です。」

 

- ラーメンをする前はどんな仕事を?

「大学を卒業して呉市に戻ってきて、5年ほど高校生に英語を教えていました。それからイギリスへ行って現地の企業で働いていました。そのままイギリスで働き続けるか色々考えた時に、やっぱり現地の企業よりかは日本のモノをイギリスへ持ってくる方がいいんじゃないか、と漠然と思いました。」

 

- 日本のモノとは?

「パッと浮かんだのが、寿司屋とか居酒屋でした。だけど寿司は生の魚を手で握ったものなので、僕が住んでいたウェールズのカーディフという所では受け入れられないんじゃないか、と思いました。他に何があるかなと考えた時に、浮かんだのが定食でした。定食としてごはんと味噌汁とおかずをお箸で食べるという日本独特の文化ですね。今から15年以上前だったので、当時は定食屋さんが世界に行っていると聞いたことが無かったんです。それで定食屋さんでベンチャー企業みたいに海外へ出れたら面白いだろうな、と思いました。」

 

- 定食屋をするために?

「日本に戻ってきて東京へ行き、定食屋さんのベンチャー企業で働き始めました。面接の時に『僕は海外に出すために入社しました。』と伝えました。その時は会社の方も将来的にそういう方向でという話だったんですが、何年か経って本社勤務になった時に実際に海外に行く気が無いなと分かりました。それなら自分でやろうと思いました。」

 

- 経験が無いことに不安は?

「本社の商品開発の人達は銀座のフレンチ出身とかなんですけど、僕はバックボーンが塾の講師なので全く関係ない。だから飲食をするなら定食屋さん以外はできないと思っていました。でも自分が現場でしていた時に気づいたんですが定食屋さんっていろいろ仕込みが多いんですよね。営業的に考えても、個人店で小さい規模で定食屋さんは難しい。ある程度大きな箱でやらないと商売として厳しいだろうなと思いました。」


- そこからラーメンが浮かんだ経緯は?

「自分一人で独立できることは何なんだろうと考えていました。当時、家から池袋経由で麹町の本社に通っていたんですけど、ゴールデンウィークに仕事が忙し過ぎて帰省できない時に池袋でたまたまラーメン屋さんに入ったんです。そこが衝撃でした。ラーメン自体がというよりは、いかつめの男性がとても腰の低い接客をしていたのに衝撃を受けました。ラーメンも当時まだ食べたことが無かった鶏白湯のラーメンで『こんなラーメンもあるんだ?』と興味を持ちました。それをきっかけにラーメンに興味を持ち、仕事で店舗の立ち上げに行った先々でいろんなラーメンを食べていました。当時はまだラーメン屋をしたいとは考えていなかったんですけど、2年半くらいで700店舗ほど行っていました。」

 

- ラーメンにどんどん魅了されていたんですね。

「色んなラーメンがあるし、自家製麺をしている店がある。ドロドロなラーメン、つけ麺も初めて食べたし、夫婦でしているラーメン屋さんもある。その時に『ラーメン面白いなー。僕に向いているかもしれない』と思いました。」

 

- ラーメン屋をしたくなってからは?

「良い店があれば修行させてもらおうと思っていたんですが、従業員募集とかしているお店は資本系の大きなお店でした。僕が気に入ったお店はだいたい夫婦がしているような個人店だったので、そういうお店はあまり募集は無いんですよね。」

 

- なかなか修行先が見つからなかったんですね。

「それで時間が勿体無いと思って、自分で研究をした方がいいなと思い試作を始めました。商品開発部の同僚に焼き鳥屋出身の人がいたので、焼き鳥屋さんで出しているような鶏ガラスープの作り方を教えてもらいました。でもそのスープを市販の麺と合わせてラーメンを作ったら美味しくなかったんですよね。そこからがスタートでした。」

 

- 最初から全て自分で?

「自分は音楽を聴く時でも作詞作曲をしている人の音楽しか好きにならないというちょっと偏ったところがあるんです。人に作ってもらった曲を歌っていても、例えそれが良い曲であってもあまり響かない。歌詞の意味が分からなくてもその人が作ったものなら感じれるものがある。ラーメンも同じで、スープも麺も自分で作りたい。当時はまだ大変さが分かっていなかったので、僕は人に作ってもらったものを仕入れて出すというのはやりたくなかった。作詞も作曲も最終的に編曲も全部自分でやって受け入れられたらいいなと思いました。」

 

- いきなり自家製麺も?

「試作の段階でうどんの作り方みたいな本を買ってきて自家製麺に取り組んでいました。途中からパスタマシーンを購入して作っていましたね。加水量とかも全然分からないし、試行錯誤しながら取り組んでいました。大体巧くいかないので、その度にメモを取ってどこがいけなかったのか検証していました。だんだん自分の作っているものが改善されてきて、自分で苦労しながらしていった方が何かトラブルがあった時に柔軟な対応ができるだろうなと思いました。豚骨をしたり魚介系だけとか。」

 

- 試作はどのくらいの期間?

「結局、3年以上かかりましたね。」

 

- 自店でしたかったラーメンは?

「僕が一番したいラーメンは鶏の淡麗系なんです。関西で言えばロックンビリーS1さんや極汁美麺umamiさん(当サイト記事)のようなラーメンが理想だったんです。凄い鶏を感じて、淡麗なのですっと入ってくるけど香りがパッと出てくるようなものがしたかったんです。」


- 場所はいろいろ考えましたか?

「最初、東京でするつもりで物件をずっと探していました。山手線沿線、亀戸とかも探したけど良い物件になかなか出会わない。それである業者さんに相談したら『東京は飽和状態だからねー』と。競争が激しいという現実もありますし、自分の親の健康状態のこともあったので全部重なったんです。その時に『このタイミングで広島に帰らなければ一生帰ることがないだろうな』と思いました。広島から10年以上も離れていました。その時は物件も決まっていないし何も決めていないのに勢いですぐに会社を退社しました。」

 

- 広島に戻ってきてからは?

「1〜2年くらい物件探しをしていてもいいかなと思っていたんですが、たまたまこの物件に出会いました。この場所は元々カレー屋さんだったんですが、そこの娘さんが僕の塾の教え子だったんです。『もう店を閉めるのでよかったら見に来る?』と連絡がありました。見に来てすぐにここでやろうと決めました。」


2015年1月26日オープン


-  自店の商品は悩みましたか?

「この物件でするならどういうラーメンがいいかなと考えました。当時の広島市や呉市にはまだラーメンの文化があまり無かったし醤油豚骨ばかりだったので、僕が一番したかった淡麗系でするのはちょっと怖いなと思いました。それで店の前を歩いている人達を見ていると若いOLさんが多かったんです。それで鶏の濃厚系でしてみようかなと思いました。」

 

- 屋号「麺処いつか」の由来は?

「試作の段階で3年ほどかかってしまい、その間に商品開発部の同僚達はどんどん独立していて僕だけ取り残された感じでした。結局、『いつかいつか、いつかやろう』というのが自分を甘えさせている言葉になっていました。屋号としてはひらがな3文字がいいかなと思いましたし、"いつか"という言葉は使い方によっては怖い言葉、自分を甘やかす言葉、だから屋号にしていたら忘れないかなと思って決めました。」



- オープン時の商品は?

「鶏そばだけです。」

 

- オープンしてお客様の反応は?

「最初は良かったんですけど、1ヶ月ほど経つと全然お客様が来なくなり、1日で10人だけの日もありました。その日は雨だったんですけど、バイクに乗っている時に雨で濡れてなのか涙なのか分からないくらいでした。そこから徐々にお客様が増えてきて、気が付いたら地元の方ばかりでなく関西弁の人、標準語の人が来たりとかでしたね。」

 

- つけ麺も後から加わるんですね。

「オープン前から頭の中で決めていたラインナップなんです。1月にオープンして、つけ麺を出したのがその年の夏です。やっぱり自家製麺をすると決めた時点で、麺をより味わってもらえるつけ麺を考えていました。出し始めた頃はスープ割りとか誰も知らないから言わないので、スープ割りを楽しんでもらうために割りスープをポットに入れて商品と一緒にお出ししていました。」

 

- 一番したかった淡麗系は?

「もし清湯をするなら別の店でします。この店ではこの商品のみ。清湯と白湯、どっちもしていると結局、何屋さんか分からなくなってしまいます。オープン当初は冷麺してくれとかも言われましたけどね(笑)。」


- いつかこのラーメンを持って海外へ?

「このラーメンなのかは分からないですね。実際にできるかも分かりません。今、日本のラーメンブームで出店先のルートがある程度決まっているじゃないですか?アメリカならニューヨークとか。僕が行きたいのはそういう決まってルートとは無縁な、全く日本のことを知らない土地。そういう所でラーメンを作って『日本にはこういう食べ物があるんだ!凄いね!』とか言ってもらえるような環境でしたいと考えています。」

 

- 示野店主が一番大事にしていることは?

「大事だと思うのは、提供する商品を自分でしっかり理解して何でも説明できるということだと思います。麺を仕入れたり業務用スープを使ったりだと、実際はどうやって作っているか説明できない。『どういう考えでこの麺になったんですか?』と尋ねられても説明できない。全部説明するには、自分で全部作らないといけないと思ってやっています。」


◆店舗情報

麺処 いつか

広島県呉市中央2-4-18 藤井ビル 1F

公式HP:http://itsuka-style.com/

Facebook:https://www.facebook.com/mendokoro.itsuka/

オープン日:2015年1月26日

 (取材・文・写真 KRK 令和4年4月6日)