Vol.345:ラーメン 達磨食堂


 今回取材をするのは名古屋市の名店「ラーメン達磨食堂」。名古屋のラーメン激戦区で多くのファンから熱く愛されている人気店だ!来店するお客さんを悩ませる魅力的なネーミングの商品が揃っていて、そしてサイドメニューとして出しているカレーまでリピーターがいるらしい。私自身も「最初は看板メニューを!」と思ったけど「焼きラーメンとかも食べたいな~」とかなり迷った(笑)。カレーももちろん注文した。近場にあったらなんて嬉しいお店だろうと思ったものだ。店主とイベントを通して知り合ったので、名古屋に行くタイミングで取材をお願いした。「ラーメン 達磨食堂」日沖店主にKRK直撃インタビュー!


- ご出身は?

「愛知県です。」

 

- 元々ラーメンを食べるのが好きだったんですか?

「小学生くらいからスガキヤで育っていて、高校生になった頃から色んなお店へ食べに行くようになりました。」

 

- スガキヤはやっぱり名古屋では人気なんですね。

「ソウルフードですよね。放課後におやつ代わりでスガキヤへ行くことが多かったです。」

 

- 料理も好きだったんですか?

「大学時代は神戸にいて外食も好きだったんですけど、料理も趣味だったので自炊もしっかりしていました。うどんや蕎麦を自分で打ったりして食べていました。」



- この世界に入るまでの経緯は?

「前に働いていた会社を辞める時、自分の中では焼き鳥と日本酒とラーメン、その3つの中でどれをやろうかという感じでした。ラーメンは置いておいて、焼き鳥と日本酒を併せた居酒屋を30歳頃にやり始めました。居酒屋が軌道に乗った頃に、鶏はあるし焼いている豚もあるのでラーメンを作ろうと思い始めました。居酒屋は夜だけだったので昼にラーメンを出し始めました。」

 

- 当時の屋号は?

「自分の名前をローマ字にしてHiokiという屋号でしていました。場所は名古屋市東区の代官町でした。」

 

- ラーメンは自己流?

「ラーメンをしようと思ってからは3ヶ月くらい店に泊まり込みで作り込んで、納得いくのができたので始めました。ちょうどその頃に流行り始めていたダブルスープにしました。塩と醤油だけだったんですが、評判が良くて行列ができるほどになりました。当時は関東では麺屋武蔵さんやくじら軒さん、この辺りだと三吉さんが人気店でしたね。その後に如水さんが出てきました。」

 

- ラーメンにどんどん嵌っていくことに?

「昼はラーメン屋で夜は居酒屋。若いし情熱もあったので泊まり込みで仕込みとかやっていました。当時は『自分の作りたいラーメンはこれだ!』と名古屋コーチンの丸鶏を入れてみようとか採算度外視でした。ちょっとラーメン道が入っていましたね。道が入ると原価が合わないのでダメなんですよね。」

 

- ラーメンが評判良くなってからは?

「やるだけのことをやったのでもう一軒、中華そば Hiokiを出したんです。中華そば専門店でした。当時は居酒屋をそのままで、ラーメンの方を店舗展開していきたいと考えていました。2店舗あって通販も調子よかったんですが、もう寝る時間も作れなくてこれは駄目だなと思ったんです。それで居酒屋とラーメンの2店舗と通販など全部を統合したお店を錦のど真ん中でHioki総本店としてすることにしました。それが40歳の頃でした。」

 

- どちらをメインで?

「居酒屋をメインにして〆につけ麺を出していました。しばらくすると自家製麺に切り替えて、居酒屋なのに製麺機があるという不思議な店でした(笑)。製麺は製麺機を購入した時に大和製作所から少し教えてもらい、小麦のブレンドは自分でしていました。拘り出したら全て自分でやりたいという気質があるんです。」

 

- 居酒屋メインなのに自家製麺までしようと思った理由は?

「僕がラーメン屋をしていたことを知っているお客さんが多かったので、海外でコンサル(コンサルタントの略)して欲しいという依頼が幾つかあったんです。最初は中国とフィリピンでラーメン屋を出したいから面倒見て欲しいという話でした。海外に行くなら製麺所が無いので自家製麺をする必要があるというのがきっかけでした。」

 

- ラーメン一本へ気持ちが切り替わったきっかけは?

「海外店舗をコンサルしたり、日本でも1店舗手掛けたりしていたので当初はラーメン屋は自分でやるものではないなと思っていたんです。でも色んなことをしてきて、結局、人の褌でやるのは面白くないなと思い始めました。それで50歳になる頃に錦の店を閉めて、今のこの場所へ移転して全部自分ですることを決めました。ギュッと全部自分でしたかったんです。」


2019年2月9日オープン


- この場所は?

「中国でコンサルした友人の持ち物だったんです。名古屋の人は車で移動する人が多いので駐車場があればお客さんは来てくれると思いました。それに中川区は当時からラーメン激戦区だったので、食べ歩きしている人が沢山来てくれると思いました。」

 

- 屋号「ラーメン 達磨食堂」の由来は?

「フィリピンでコンサルしたお店がラーメンダルマという屋号でしていて、気に入っていたのでその名前を使わせてと頼みました。当時は少し色気があって(笑)、ラーメン専門店だけどカレーとかも出したいなとか考えていたので食堂としました。」

 

- カレーも好きだったんですね。

「ここで店を出す時はカレーをするか、ラーメンをするかで迷っていたほどです。結局、製麺機があったのでラーメン屋をするしかないなと決めました。ネパールの留学生の子たちがよく来ていたので、カレーを毎日作っていた時期があったんです。それで女将から『ちょっとお店で出してみたら』と言われて出してみたら評判が良かったんです。それ以来、カレーもずっと出しています。」



- こちらへ移転してきて生まれた看板メニューについて教えて下さい。

「新たなラーメンは二郎とタンメンを足して2で割った感じにしたいと思いました。この辺りは湾岸に近くて倉庫や工場が多いので、労働者の方へ向けて塩分高めで炭水化物多めの商品として開発しました。」

 

- ホルモンも巧く取り入れていますね。

「高畑に屠場が昔あったのでこの辺りは焼肉とホルモンの店が多いんですよ。移転してくる時に何か良い食材がないかなとこの地域で探している時に、丸幸さんという有名なホルモンの食材屋さんを見つけました。少しもらって使ってみるととても良かったので、ホルモンを卸してもらうことになりました。」

 

- 他のメニューも魅力的なのばかりですね。

「錦のお店で昼に出していたのが今も出している焼きラーメンなんです。当時はもやしだけでしていたんですけどウチのオリジナルのラーメンダレで炒めて人気だったんです。この地域には"はなび本店"があるし"人生餃子"もあるので汁なし文化が根付いているんです。それでウチでも台湾で汁なし焼きラーメンをやってみようとなりました。」

 

- そういう流れだったんですね。

「女将が『Instagramも流行ってきているからインスタ映えも意識してくれ』と言ってきたので(笑)、唐辛子の真っ赤な部分も入れて炒めて真っ赤な感じにしました。正に"映え"な感じに仕上がってSNSで人気に火がつきましたね。」



- 最近、他店との朝ラーコラボも積極的にしているようですね。

「昨年に鮪ラーメンを月一でしていたんですが、鮪屋さんが閉めてしまったんです。それでどうしようかと考えていた時に、新栄の歴史さん(歴史を刻め 新栄店)とコラボしようという話になりました。歴史を刻めにジャックされたということで『達磨を刻め』でしました(笑)。」

 

- それでコラボを続けてみようかと?

「それで味を占めました(笑)。朝ラーも自分のところだけだとネタが続かないので、色んな店に来てもらった方が楽しいですからね。若手からベテランまで声かけると皆さん『やるやる』と言ってくれたんです。」

 

- 知り合いが多いんですね。

「遅咲きのルーキーなので最初は友達もいなくてずっと一匹狼で、10年間ほどはラーメン業界の交友関係から外れていたんですよ。業界の飲み会に参加するようになってから知り合いが増えましたね。」

 

- 今後はこのお店だけで?

「店舗展開などは今までに経験してきたのでもうやらないですね。今は全部自分の手の届く範囲でするのが一番いいと思っています。」

 

- 日沖店主が一番大事にしていることを教えてください。

「僕は情熱だと思います。作る情熱が枯れてしまったらラーメンを作れなくなると思っています。ラーメン屋って過酷な商売じゃないですか。麺を打つしスープも炊く。厨房は暑いし片付けもある。これだけのことをやっているのにこの評価ってのがあります。恐らく好きでないと個人店は続かないと思います。情熱を持った人も多いですけど、枯れてしまった人も多く見てきました。特にラーメン道が入ってしまった、自分もその一人だったんですけど、突き詰めたラーメンをやろうとするとどこかで心が折れるんですよね。だから僕は折れないように自分のやりたいことを限定で表現しながら、通常メニューでは長く続く飽きないラーメンを作っていけたらいいなと思っています。」


◆店舗情報

ラーメン 達磨食堂

愛知県名古屋市中川区上脇町2-116

https://x.com/DarumaHioki

instagram https://www.instagram.com/daruma.hioki/

オープン日:2019年2月9日

 (取材・文・写真 KRK 令和7年8月3日)