約1年ぶりに大阪の名門「麺哲」庄司店主に再び取材をさせていただいた。前回の取材時、「まだ全て聞けていないので第二弾もしましょう!」と約束していたがなかなかタイミングが合わず、今回やっと第二弾が実現した。前回は店主自身についての内容だったので、今回は庄司店主がラーメン屋に携わり始めた2001年以降についてしっかり聞けたらと思う。
庄司店主 前回記事
- 前回は庄司さん自身について色々お聞きしましたが、今回はさらに深くお聞きしたいと思っています。製麺をし始めたのはいつ頃になるんですか?
「実家のカラオケ屋の店長をしていた時に、ラーメンを作り始めました。僕はチャーシュー麺が好きだったので、中華そばじゃなくてチャーシュー麺として販売していました。その時に麺もスープも自分で作っていたんです。最初は父親が持っていたパスタマシーンみたいな田中式製麺機で製麺していたんですが、それで作っていても埒があかんということで、父親が『昔、うどん屋からもらったのがあるねん』と製麺機を出してきたんです。それが東京の製麺機屋「エビス麺機」の物でした。」
- 製麺は自己流で?
「手探りだけどイメージはあったんですよ。カラオケ屋でラーメンをしていた頃、最初はどの小麦粉も一緒だと思っていたんですが、粉にも色々あるんだなと気づいたんです。カメリヤやバイオレットのような一般的な小麦粉などはイメージに合わないわけじゃないけど硬さが出るなと感じました。しなやかさ、弾力が欲しいなといろいろ調べている内に、中華麺料理という雑誌に載っていた粉が目に止まって買ってみたんです。田中式製麺機でその粉をやってみたら凄い手応えを感じました。一生これでいけるわと思いました。それがプライムハードでした。しなやかさとか味とか本当に中華麺のために作られた粉だと思いました。」
- プライムハードは初耳だったんですか?
「名前は前から知っていました。漫画"美味しんぼ"の38巻だったかな? 作中で製粉業者が『プライムハードが中華麺の業者の中で一番人気ですよ』と言う描写があって、それを記憶していました。」
- それから大阪へ来て焼鳥屋さんをリニューアルし「秀次郎」をオープンしたんですね。麺にもさらに拘っていったんでしょうか?
「当初、秀次郎でも自分で麺を打ちたいと思いましたが製麺機が無かったんですよ。大阪中を探し回って松原のとある所に大成機械工業の三型がありました。あの時は遂に宝物を見つけたと感動しましたね。」
- 真空麺との出会いは?
「元々は高校の時に歯医者さんで真空かけてする作業があったので真空という言葉を覚えていました。その後、熊五郎の顧問をしていた時に京都の百年屋に関わっていたんです。その時に以前にお世話になった業者さんにお願いして製麺機の営業に来てもらったんです。色々な製麺機のカタログを持ってきてくれて、その中に真空ミキサーというのがありました。こんなコンパクトな真空ミキサーがあるんだと驚きました。それで熊五郎の社長に頼んだら買ってくれたんです。」
- 手応えは?
「それまでは普通のミキサーで製麺をしていたんですが、真空ミキサーのは凄い熟成が早いし、粉の手触りが全然違っていました。真空はお金がかかるからスタンダードにはならないと思いますが、真空を使ったことがある人間はずっと真空を使うことになると思います。常圧のミキサーでは物足りないと思うはずですから。」
- 自家製麺という言葉は当時から普通に?
「とっかり(大阪府摂津市)の親父(店主)に『手打ちじゃないと言わないとお客さんは分からないで!』と言われたことがありました。自家製麺を機械でしていると説明が必要だということでした。手打ちはもちろん良いと思いますよ。只、手打ちというのは日持ちがしないんです。手打ち麺でちぢれ麺が多いのは加水が高いからで、それは人間の手で捏ねくり合わせれる小麦の強さには限度があって、中華麺の通常の加水だととても人間の手ではできないんです。そして手打ち麺になると安定が難しく生産体制も普通にできない。ということで製麺機が発達して、製麺機での自家製麺という言葉が広まっていったと思います。」
- 大阪でラーメンを始めた頃、個人店で気になるお店は他にありましたか?
「2001年当時は正直ゼロでしたね。2002年になってから個人のラーメン屋が出てきて新しい時代になってきたと思います。出始めだから周りのラーメンに対する認知が全く無かったですね。豊中って場所はハイソな人が多かったから誰もラーメンを食べない土地でした。オープン当初は『ラーメンは食い物と違うからな』とお店でよく言われていましたから。」
- 当時、他のお店へ食べに行くこともあったんですか?
「当時はまだラーメンに対する僕の理解が足りていないと思ったので、お店に『大阪で当店より美味しいラーメンをご存知の方ご一報ください。勉強のために食べに行きます』と張り紙をしていました。」
- 反応は?
「メチャありましたよ。多くのラーメン屋を教えてもらって、僕も知らないから全ての店へ食べに行きました。中華のラーメンが多かったですね。他にも2002年に発売されたあまから手帖"ラーメンの自在"という本に出ていたお店には全て食べに行きました。」
- 目に止まったお店はありましたか?
「感動したのは輝さん(麺や輝)でしたね。その時に森店主に『このスタイルなら十三の担担が一番好きです』と伝えました。ちょっとジャンルが違いますが、当時は同じジャンルだと思っていました。」
- 十三の担担を高評価していた理由は?
「担担さんにはラーメンマニアの方に教えてもらってすぐに食べに行きました。最初は分からなかったんですが、数回食べている内に『シンプルだけど結構工夫されているラーメンだな』と思い始めました。ピンの商売(店主1人で切り盛りする商売)と考えると、担担はピン中のピン。麺哲の弟子たちにも『できればああいうスタイルを目指すために我々は試行錯誤をしているんだ』と教えていました。ラーメン屋さんというモデルがあったとしたら担担は最高のモデルだと思っています。」
- 麺を他店へ卸すことについては?
「僕の麺を気に入ってくれた知り合いには教えたり卸したりもします。只、あくまでも自分のための麺なので製麺所というのをしようとは思いませんでした。知らない人がウチの麺を欲しいというのは嫌なんですよ。製麺所と名乗るとそういうのもしないといけなくなりますからね。僕は納得いかない仕事はしたくなかったんです。」
- 京都の麺屋棣鄂さんとは付き合いも長いようですね。
「元々、麺屋棣鄂の方が麺野郎へよく来てくれていたんです。ある時、『真空ミキサーを導入したから今度よかったらうちへ見に来てくれませんか?』と招待してくれたので当時の工場へ行ったこともあります。めちゃデカい製麺機があって驚きましたね。打った麺をすぐに冷蔵庫へ入れていたので、真空ミキサーの麺は常温でしばらく置いて熟成させてから冷蔵庫へ入れるのが大事とアドバイスしたのを覚えています。アドバイスしたのはそれだけでしたね。
その後、しばらく経ってから『麺野郎のつけ麺みたいな麺を打ってもいいですか?』という話になって、どうせなら麺哲と麺屋棣鄂はライバルという図式を作ったら面白いとなり、MTG(麺哲超え)という麺が生まれました。麺屋棣鄂さんとはずっとライバルであり親戚みたいな関係性です。」
- 今、新たに挑戦していることはありますか?
「大阪麺哲で細麺を極めたいと思っています。博多麺とかじゃなくて、はんなりした関西らしい細麺。持ち上げよくて歯応えあって味もあってという麺です。麺というのは細ければ細いほど形状に余裕がないんです。そう思った時に細い麺を極めたいと思いました。
もう一つはちぢれ麺。縦切り、逆切りとも言う、一般的に言えば家系ラーメンで多い手法があります。厚みを大幅に出して平打ちだけど縦の幅が長い麺を打ってみたいんです。理由は製麺機で手揉みというか、手打ち風の麺ができたら一番の理想だと思っているからです。先程も説明したように本当の手打ちだと安定させるのが難しい。でも手作り感が強い麺を機械で作れたら大量生産ができるので安定もします。ちぢれ具合が普通の切り刃の厚みで切るよりも縦切りにした方がいいと思います。だから家系の麺は加水が低いのに縮れている。切り刃に負担をかけて押し出されるから若干のウェーブがかかるんですよね。」
- 色々と興味深い話をありがとうございました。最後に今日一緒に来た釈京子さんと庄司さんの対談で終わりたいと思います。
「宜しくお願いします。」
◆店舗情報
大阪麺哲
大阪府大阪市北区曾根崎2-10-27
https://www.instagram.com/mentetsu_toyonaka_oosaka/
オープン日:2014年7月26日
麺哲 豊中
大阪府豊中市岡上の町2-2-6
オープン日:2003年10月16日
(取材・文・写真 KRK 令和8年1月30日)

