今回取材するのは、食の街「鶴橋」で2026年3月15日にオープンした話題の新店「中華そば 鯵右衛門」。複数の実力店で修行を重ねた澤江店主の確かな技術と、鮮魚系という攻めのスタイル。その圧倒的な完成度は、オープン直後から感度の高いラーメンファンの間で確かな期待へと変わっている。「中華そば 鯵右衛門」澤江店主へKRK直撃インタビュー!
- ご出身は?
「兵庫県の加古川市です。」
- ラーメンをするまでの経緯は?
「ラーメンをする前は某大手携帯キャリアのショップスタッフをしていました。その時に今の姫路麺哲の名定オーナーがお客さんとして来られたんです。めちゃお洒落で車もBMWに乗っていて只者じゃないオーラを出していて『この人は一味違うぞ』と思っていました。その頃は自分の将来に不安を感じている頃だったので、何度目かにお会いした時に『どうしたらオーナーみたいになれるんですか?』と名定オーナーに尋ねたんです。」
- お客さんに?(笑)
「はい(笑)。それ以降は色々と話をさせていただくようになりました。名定オーナーがまだ姫路麺哲をしていない頃でした。しばらく経ってから、名定オーナーが麺哲の庄司マスターと同級生だったのでその繋がりから姫路麺哲を立ち上げることになりました。」
- たしかオープンは2015年でしたね。
「姫路麺哲のために豊中本店のスタッフが店長として姫路へ来ました。僕も名定オーナーと仲良くさせてもらっていたのでレセプションに呼んでもらっていました。そしてオープンして数ヶ月経った頃にいきなり串カツ屋に呼ばれて『ラーメン屋をやってみないか?』と声を掛けてもらいました。僕は次のバイト先への出勤前に突然呼ばれて行ったので髭剃りとワックスを持ったまま串カツ屋へ行ったんですが、名定オーナーがそれを見て『やっぱりお前は見込みあるわ』と言ってくれたんです(笑)。僕も名定オーナーと仕事をしてみたいなと思っていましたので姫路麺哲で働こうと決めました。」
- ラーメン屋で初めて働いてどうでしたか?
「ラーメン屋の仕事がキツ過ぎてすぐにやめようと考えましたね(笑)。初っ端から平ザルの麺上げを見せられて『こんなの無理だろ』と思っていました。それから3年半ほど姫路麺哲でお世話になりました。」
- 独立志望はあった?
「姫路麺哲へ入ったときは全くなかったんですが、一年目くらいから独立したいと思い始めました。その頃には完全にラーメンに覚醒していて、仕事が楽しくて仕方なくて夜中まで残って色々と研究したりしていました。」
- 麺哲の庄司店主からも色々教わったんですか?
「オープン時、半年ほど姫路麺哲へ顧問として来られていました。その後も電話で色々と教わっていました。分からないことがある時は、店長と豊中麺哲へ行って庄司マスターに質問したりもしていました。その時に今に繋がる大事なアドバイスをいただいたんです。」
- どんなアドバイスを?
「当時、麺哲で鯵を卸して箱寿司にする鯵箱というメニューがあったんです。庄司マスターはその時に『料理に携わるなら魚を捌けないといけない。魚を捌く練習をしなさい』と僕に言ってくれたんです。それからは営業後に残って夜中に魚を捌く練習をずっとしていました。ボンマルシェというスーパーで鯵を購入して、店長や庄司マスターにも色々と教わりながら練習していました。」
- その頃にもう鯵に目をつけてたんですね。
「鯵箱がずっと頭に残っていて、鯵を捌いていると身は食べれますが頭と骨だけがどんどん余ってくるんですよ。ある時に姫路麺哲のスープと鯵を混ぜたらどうなるんだろうと作ってみると『鯵ってこんなに美味い出汁が出るんだ!』と驚きました。スーパーに行っても鯛のアラとかは並んでいるのに鯵のアラが並んでないのは何故なんだろうと不思議に思いました。それが今からもう9年くらい前の話ですね。」
- 働きながらずっとラーメンの研究も続けていたんですね。
「東京や大阪の気になるラーメン屋へ食べに行ったりもしていました。近くにあった麦右衛門さんにも休みの度に食べに行かせてもらっていました。姫路麺哲の者と名乗って挨拶していましたので、麦右衛門 宮本店主からは鯵の煮干しやブラウンエース(混合粉)などを頂いたりしていました。宮本店主のこともとてもリスペクトしています。」
- 3年半ほどで姫路麺哲から離れたのは?
「他のお店でも経験を積んでみたいと思い、名定オーナーに相談して辞めさせてもらいました。それから大阪でも働いてみたいと思っていたので金久右衛門 深江橋本店へ入らせてもらいました。金久右衛門でも3年半ほど学ばせてもらいました。」
- その後に細見商店でも働いているんですよね?
「金久右衛門で味噌の限定をする時に勉強のため細見商店へ何度も行っていたんですよ。仕事の合間なのでコックシューズを履いたままだったので、細見さんが声掛けてきたんです(笑)。それで金久右衛門と名乗って連絡先を交換して、それからは細見さんと晩飯行ったりラーメン産業展へ行ったりと仲良くさせてもらっていたんです。それで僕が独立へ向けて金久右衛門から卒業した頃に、細見さんから『一年だけウチで働いてくれないか?』と話がありました。独立へ向けて最後の資金を貯めることだけでなく、細見商店の技術も気になっていたので一年だけ働くことに決めました。」
- 名店を渡り歩いていた修行時代に自分のラーメンは出来上がっていた?
「鯵のラーメンでやりたいと決めていましたが、まだお店については全然決まっていませんでした。」
2026年3月15日オープン
- 屋号「中華そば 鯵右衛門」の由来は?
「姫路時代に麦右衛門の宮本店主から色々とアドバイスをもらっていましたし、麦右衛門さんのようなラーメン屋をやりたいなと尊敬もしていました。そして金久右衛門の大蔵社長にもとてもお世話になっていたので、右衛門というのは絶対に屋号に入れたいと思っていました。鯵右衛門だけだと何の店か分からないので中華そばを付けました。」
- 場所を大阪にしたのは?
「当初は兵庫県の家族の近くでするか、土地柄を気に入っていた大阪でするかでかなり迷っていました。最終的に人が多くて良い食材が手に入る大阪に決めました。市場の近くでしたいと思っていたので、中央卸売市場のある福島と鶴橋の両方で物件を探していて、鶴橋のこの物件が見つかりました。」
- 鶴橋との関わりは?
「金久右衛門で働いている時から、魚の限定をする時に鶴橋の市場でよくお世話になっていました。」
- 鯵は安定して仕入れできる?
「お世話になっている鮮魚店(鮮魚店さこん)からなるべく安定して仕入れしてもらえることになっています。なんせラーメン界を見ていても鯵の鮮魚のラーメンを通年でしている店はたぶん無いと思うので、自分が切り拓いていくしかないなと思っています。営業が止まるのは避けたいので鯵の煮干しを使ったメニューも加えていく予定です。」
- 看板の中華そばが誕生したのは?
「イメージが出来上がったのは姫路麺哲の時ですが、金久右衛門の時に限定で出させてもらっていたんです。お客様の反応も良くて全汁率もかなり高かったんです。」
- 麺もかなり拘っているんですね。
「切刃16・18・20番での乱切麺です。庄司マスターが『これ面白いから使いなよ』といきなり持ってきてくださったんです。次の日も『一杯作ってくれ』と試作を食べに来てくださって『最初からこれだけの麺を打てるならやれるよ』と言ってもらえました。庄司マスターと名定オーナーのお陰で自分はラーメン界にいます。とても感謝しています。」
- 今後の展開は?
「鯵の煮干し系、つけ麺も予定しています。つけ麺は麺を替えていきます。新鮮な魚が手に入る鶴橋という立地をフルに生かして、ラーメンだけでなく鯵フライなども出していく予定です。今考えているのは鶴橋というブランドを磨いていき、鶴橋発祥のラーメンまでいきたいんです。珍しい鯵の鮮魚を使ったラーメンは鶴橋という市場があるお陰で作れるラーメンです。もっと鯵感を増やして、エグいギリギリまでいくけどエグくないくらいまで持っていきたいです。とにかく鯵を極めたいですね。」
- 最後に澤江店主が一番大事にしていることを教えてください。
「ラーメン屋のポジションから社会貢献をしていきたいです。鯵のアラというのはまだ食材としてはあまり認められていなくて、ほとんどの鮮魚店では捨ててしまう食材なんです。それが鯵のアラを使えるとなると一つのラーメン屋が世の中に貢献できることになりますよね。それができたら凄く満足感が得られると思います。業者にも貢献し、鶴橋に来る人も増えることに繋がれば嬉しいですね。」
◆店舗情報
中華そば 鯵右衛門
大阪府大阪市生野区鶴橋2-14-10
https://www.instagram.com/ajiemon1026
オープン日:2026年3月15日
(取材・文・写真 KRK 令和8年3月23日)






