Vol.25:まりお流らーめん


 第2世代、第3世代のラーメン屋が続々とオープンし熱狂的な盛り上がりを見せている奈良ラーメンシーンだが、無鉄砲より更に前から奈良の看板店として営業を続けている店がある。まりお流ラーメンだ。メディアへの登場回数も桁違いに多く、他府県のラーメン好きにとっては「一度は行ってみたい店」として聖地のようになっている店だから、奈良県のラーメン屋では「全国的に一番知られている店」と断言しても間違いないだろう。

 提供してるラーメンがまた凄い。"チョモランマ"、"霧島"、"富士山"。メニューだけ見てると「一体、何の料理の店なんだ?」と当惑してしまう。しかもカレーも人気らしく、カレーだけ食べに来るファンもいるようだ。"まりお流"にはラーメンファンをドキドキ、ワクワクさせる何かがある。冒険心のようなものも含まれているんだろう。だから営業開始前から行列ができ、長年、多くのファンに愛されてきている。 パワー溢れる数々のレギュラーのラーメンに加えて、週一で創作ラーメンも生み出してる店主は一体どんな方なんだろう?まりお流 福永店主にKRK直撃インタビュー!


- 出身は? 

「鹿児島です。鹿児島には大学を卒業するまでいました。その頃、音楽をしていてバンドの仕事、ギターですね。大学を卒業してフラメンコギターの修行の為上京しました。修行しながら飯を食う為にプロダクションに入りバンドの仕事をしました。それで全国を廻っていたんです。勿論行く先々でラーメンを食べ歩きましたよ。東京で知り合った嫁と結婚して子供も欲しかったし安定した生活が送りたかったので、東京の仕事はもう嫌だから『マンション付きの仕事を探してくれないか?』とプロダクションの社長に頼むと、『奈良、広島、パリ、ハワイのどれか選んでくれ』って言ってきたんです。僕はフラメンコギターやジャズ、ボサノバ、ラテンなども修行して歌えたし弾けたのでプロダクションの中でも特に重宝されていました。それで選んだのが奈良でした。」

 

- なぜ奈良に?

「京都が近かったから。大学の時に京都に旅行に来たことがあるんです。僕は元々は大学で建築関係の勉強をしていたので京都のお寺の建造物や仏像に魅了されましてね。鹿児島に帰ったら、夢にまで出るほど京都に憧れがありました。それで『奈良だったら京都の隣だな』ってことで奈良に決めたんです。」

 

- バンドの仕事?

「15歳頃~40代までしていました。中学三年生からギターと歌で弾き語りをして稼いでいました。奈良に来て10年経ったら、昼に大好きなラーメン屋をして、夜はギターの仕事をしていました。


 

- ラーメンに嵌まったきっかけは?

「父親が早くに亡くなって、母子家庭だったので家がとても貧乏だったんです。それで母親に6歳の頃に生まれて初めて連れていってもらったのが"よしや"というラーメン屋さん。そのラーメンがとにかく美味しくてね。『世の中にこんな美味い食い物があるんだ!』と感動したんです。それから『将来はラーメン屋と歌手になるんだ!』とずっと思っていました。どっちも夢が叶って実現できました。」

 

- ラーメン食べ歩きはいつ頃から?

「学生の時、車に布団を積んで1か月間とか全国のラーメン食べ歩きの旅をしていました。全国ですね。沖縄も何回も行ったし、北海道もかなり廻りましたね。当時はインターネットやラーメン本などまだ無い頃だったので情報が全く無かったので、とにかく自分で日本各地の町を歩いてラーメン屋を探していましたね。ラヲタというのは後でPCが発達してから出てきたんです。だから僕がラヲタの元祖なんですよ。奈良に来てからも日本各地、いろんな所へラーメンを食べる為だけに新幹線や飛行機で行っていましたね。

 

- 音楽はいつから?

「音楽は幼稚園からずっと色んな楽器を教わり練習してたんですが、中学2年の頃から本格的ギターに取り組みました。クラッシックから、フォーク、エレキギターと何でもやりました。バンドを組んでヘビメタをしたり、バンドが上達したら大学二年生まで鹿児島のディスコでプロとして演奏したりしました。3回生から本格的なプロミュージシャンになって、卒業するまで学費や生活費を稼ぐために音楽の仕事は何でもしました。」


- ラーメン屋はいつから?

「鹿児島時代、20歳頃から自作で豚骨ラーメンを研究していました。豚骨ラーメンのドロドロした物は店でやるまでずっと自作で研究し続けました。奈良でラーメン屋を始めたのはたぶん25年前くらいです。最初は法連町でしたね。」

 

- オープンの頃のラーメンは?

「それがね。工事が間に合わなくてね。大窯で試作する暇も無いくらいギリギリにオープンしたんです。それでオープン当初は豚骨の業務ダレを使って開店しました。醤油たれもとても美味しいのを見つけて使いました。なぜ業務ダレでしたのかって言うと、『味の安定のため』と、肉屋さんが『こんな大量の骨はいつか産業廃棄物で取ってくれなくなるよ』と言ってたからです。30cmの寸胴で数十年間自作をしていたんですが、まだ大量に作ったことは無かったんです。工事の遅れでオープンもギリギリだったし、まずは安定をさせるのが必要だったのです。それで業務ダレを使って、とにかく濃いのを出そうと。当時、ドロドロのスープは鶏白湯では天下一品さんがありましたが、豚骨の濃いのがまだ日本に無かったんです。それでオープンの時はドロドロのを作っていましたね~。そしたら近隣の住民から『店からの熱で暑い。夜に眠られない』など苦情が多く出てきました。それで煙突を工夫して、換気扇も大きいのをつけてって。大変でしたね。鬱になりかけましたから(苦笑)。

 今みたいに"超"と名が付くほどとろみは無いけど、美味しいラーメンを出していたんですよ。醤油ラーメンは当時、醤油をスープにぶっこんで炊いていました。タレで合わすってことじゃなく、高山ラーメンのようにスープに醤油を入れて一緒に弱火で沸騰しない様に炊いていたんです。『オペレーションが慣れるまではこれでしよう』と思っていました。早く出せますからね。初めて物凄く濃いラーメンを食べたって人達のリピートや口コミで、オープンからずっと大行列でしたから。業務用タレはアレンジして技術を磨いたら豚骨ラーメンを数十種類作れます。業務用タレは僕たちに不可能な可能性を与えてくれます。そのまま使うのでなくてアレンジするのです。より美味しく新しい作品を完成させるのには何でもありでね。美味しかったら何でもありですよ。勿論基本のたれはオリジナルで10種類以上は常に作っています。」

- オープンは?

「祝いのフラワースタンドが凄い数でしたよ。バンド活動の繋がりで100本近いフラワースタンドが店の周りに並び、祝い金だけで70万ほど頂きました。僕は当時、奈良で唯一の芸能人でしたからね。」

 

- 屋号の由来は?

「フラメンコギターの芸名ですよ。"マリオ福永"で活動していましたから。だから僕の方がゲームのマリオよりずっと古いんですよ(笑)。今でも皆さんから"先生!"と呼ばはるのは、僕がギターの先生だったからです。」



- 一度目の移転の理由は?

「最初の法連町で7年ほどしてましたね。それから押熊へ移転しました。当時ね、音楽の方で目を掛けていたある女性アイドル歌手を売り出すためにプロミュージシャン仲間で作ったマリオブラザーズと言うバンドで彼女を売り出すために頑張っていたんです。スポンサーのプロダクションもほぼ決まり、『よし!東京でメジャーデビューや!』と盛り上がった直前でそのアイドル候補を破門にしてガッカリする出来事があったんです。とにかくガクッて落胆してね。それで音楽に未練が無くなりやめることにして、店も押熊に移転しました。その頃は法連町の店もお客さんが多過ぎてキャパがいっぱいいっぱいだったので、押熊にとにかくデカい店を作ったんですよ。一階が100人、2階が60人くらい座れるデカい店でした。」

 

- その店では?

「全国各地のラーメンや創作ラーメンもやっていました。その頃から既に"つけ麺"をしていました。"ラーメン3兄弟"って一人前に豚骨、醤油、味噌のつけだれ三種類を全部つけて、釜揚げで麺を出してね。つけ麺は関西でウチが一番早かったんですよ。それからこの場所で3年ほどしましたが、今の場所に移転することになりました。」

 

- 2回目の移転で今の場所に?

「家族の病気の悪化などあり、実家から5分くらいの場所に移転する必要がありました。押熊の店はよく流行っていたんですが、家族のことがやっぱり大事ですからね。」



- 今の場所に来て?

「人が3人くらい住める潜水艦の様な浄化槽や蒸気釜など、厨房器具や内装に凄いお金をかけましたね。15年前くらいですかね?僕、あんまり何年にオープンとか気にしてないんですよ。何周年記念とか興味ないんですよ(笑)。前しか向かない。」

 

- 屋号変更したのは?

「それまで"まりお"という屋号でしていたんですが、ある女子学生のお客さんが『おっちゃん、まりおって店名は不味そうやで』って(笑)。それでいろいろ考えたんですよ。僕の名字、福永なので福永流とか、でもなんか堅いし。それで妻が岩崎だったので『岩崎でしようか?』とか。でもずっと"まりお"で営業してきたので、昔からのお客さんを又この店に引っ張ってこないといけないから『まりおを残そう』てことで、"まりお流らーめん"にしたんです。」

 - その頃のラーメンは?

「もう全く変わってきていましたよ。以前から濃いかったですが、本当に超濃い~のを作ったのはこっちに来てからですね。鶏白湯は天下一品が元祖ですが、ドロドロの豚骨ラーメンというのは僕が元祖だと思います。当時は日本全国、メチャクチャ濃厚な豚骨ラーメンはどこにも無かったですからね。」

 

- 福永店主の拘り?

「普通、豚骨ラーメン屋は豚骨しか入れないけど、鹿児島は鶏と豚なんですよ。だから鹿児島出身の僕はそこに拘るんですよ。だから鹿児島のラーメンはスープはシャバシャバでも鶏のグルタミン酸と豚のイノシン酸が混ざり合って旨みが分厚いんですよ。」

 

- 料理の技術は?

「昔から趣味が料理だったんです。そしてバンド時代、日本各地のいろんなホテルとかで和食に中華、イタリアンやフレンチのシェフと仲良くなって演奏の合間の休憩時間は楽屋代わりの厨房に入っていろんな人に色んなことを教わってきました。勿論お返しにギターを教えましたよ。いろんな人から学んだ積み重ねが今に生かされているんです。料理番組は全局全ての番組を録画していました。」



- メニュー名は?

「全て自分で考えています。鹿児島の名所の名前が多いですがね。」

 

- 創作ラーメンは?

「毎週あっさりとこってりと2種類を出しています。滅多に同じのを出さないんですよ。創作は原価が高いのであんまり儲からないんですが(笑)、知的財産として僕の中に残っていくもの。

 テレビで"料理の鉄人"みたいなラーメンバトルみたいなアドリブ対決がもしあれば、僕が出場して全て勝ち残って日本一になりたいと思っています。ラーメン作りは戦国武将の戦いだと思っています。戦は勝たなければ意味がありません。だからコラボなどはやりません。喧嘩ですから戦略は隠して敵の意表を突かなくてはね。ラーメンWakerでも殿堂店に選んで頂いたんですが、僕はテレビで実際に一流店がバトルする舞台で日本一になりたい。僕には技術があるし、経験もある。又他人と違って変わった脳みそも備えています。今まで1000種類以上のラーメンを作ってきている。従来からあるラーメンをアレンジしてるだけってラーメンでなくて、僕のは材料からスープから根本的に変なことばかりしてる(笑)。誰もやった事のない生まれて初めて食べる味が"まりお流"なのです。」

 

- レギュラー?

「一番売れてるのは"まりお背脂とんこつ(濃度7)"です。僕も好きですね。臭くてね、ホンマに九州ラーメンって感じのラーメンなんですよ。」



- カレーも凄い人気ですよね?

「カレーは大学の時に家で自作ラーメンを作っていた頃、毎日友達を呼んで食べてもらっていたんですよ。それでドンドンと煮詰まっていき、友達も『毎日でラーメンは飽きた』って頃に、『残ったスープを捨てるのは勿体ないから、こりゃカレーにするしかないな』ってことで豚骨スープでカレーを作ったんです。その時に『俺がラーメン屋をする時は、ラーメンと一緒にカレーもしよう』と思っていたんです。だから最初の法連町の時代からカレーも提供していましたから。」

 

- 新作の予定は?

「オリンポスってのを考えています。チョモランマが地球で一番高い山でしょ?しかし火星には太陽系で一番高いって言われてる『オリンポス山』があるんです。この前もテレビでこの新作について話したんですがね。もうほぼ完成してるんですが、『もっと凄いのができるんじゃないか?』と思い、更に試作してる最中です。」

- 黒小麦?

「黒小麦は日本中でウチしか使っていないと思います。岐阜県の山の中の農家で作ってもらっています。黒小麦は以前はチベットから輸入できていました。その当時はラーメン屋とかパン屋で黒小麦は使われていたんですが、中国が黒小麦を穀物に格上げして、『穀物を一切輸出しない』ということになって。それで黒小麦は日本に全く入ってこなくなったんです。しかし日本で黒小麦を作ってる人が一人だけいたんです。その人に『僕に作った黒小麦を全て譲ってください』と頼んだんです。そのお方は快く引き受けて下さって、毎年辛い作業に耐えて黒小麦を作っては粉にして僕に送って下さっています。

 他の農家で黒小麦を作らない理由は、黒小麦は背丈が高いので刈りにくいらしいです。それに1本の穂からちょっとしか獲れなくて、収穫時が梅雨時なので晴れて渇くまでなかなか刈れない。そしてなんせ肌に黒小麦の穂や茎がくっつくので痒いらしい。収穫の時、物凄く痒いらしい。こんな辛くて儲からない事など誰もしませんよ(笑)。もし黒小麦に拘る黒小麦ヲタクみたいな変人がいたら、他に黒小麦を作ってる可能性もありますがね。チベットでは未だに大量に作っているらしいですが、輸出禁止で日本にはまず入ってきません。

 ウチでは黒小麦に更に香りの高い小麦の全粒粉を混ぜて麺を作っています。"チョモランマのプレミアム"や"つけ麺"用に使っています。小麦の香りが凄いんですよね。歯応えも独特です。黒小麦麺を湯がき終わって香りを嗅いだ時、『麺の中に入りたい』って思うくらい(笑)、とても良い香りがするんですよ。」


- お弟子さんは?

「ウチで働いてもらっているのは、ほとんどが社員だし弟子です。ウチから独立した弟子といえば、てっちゃん(麺屋一徳 店主)くらいかな?彼のラーメンは美味しいですよ。彼は彼の好きなラーメンがあるから"こってり"はやらないですがね。"もり~ん"や"ラーメン軍団(現・重厚軍団)の石田さん"も弟子みたいなものですがね。みんな頑張り屋さんだし、根性があります。」

 

- 新しい展開?

「今、通販(通販HP)に力を入れています。そのまま瞬間冷凍したカレーがよく売れていますね。ラーメンもここで作ったのと全く味が変わらないものを売っています。従来の通販って豚骨で味が全く変わってるのが多かったんですが、いろいろ研究してしたら「味が変わらないもの」が作れたので通販を開始したんです。

 カップ麺は全部断っていますよ。カップ麺はいろんな店のが発売になっていて流行ってるけど、決して店と同じ味じゃないですよね。僕は金に魂は売らない。だって、僕がギターひいて手取り2千万くらいの時、それを捨ててラーメン屋を始めたんですよ。家族の反対もあったけど、『俺はラーメンがしたいねん』って。僕は金に僕のラーメンは売りませんよ。でも僕が試作して僕のプロデュースした物と同じ味が作れるメーカーさんがいたら協力します。歴史に残る位美味しい本物に近いインスタントラーメンが作れるメーカーさんの技術者がいないものですかね。」

 

- 今後?

「僕ももう歳ですからね。昨日も魚釣りから帰って寝ないでそのまま働いたりしているくらい、まだ体力はありますが(笑)、だいぶ落ちてきてるとは思う。いずれは後継者を育てて、店をしてもらうことになると思う。」



<店舗情報>

まりお流らーめん

奈良県奈良市尼辻町433-3

公式サイト:http://www.marioramen.com/

通販サイト:http://store.shopping.yahoo.co.jp/marioramen/

公式Facebook

店Twitter:https://twitter.com/marioramen

 

(取材・文・写真 KRK 平成28年3月)