Vol.30:らーめん香澄

2012年、阿波座に新しいラーメン屋がオープンした。今でこそ多くのラーメン店が集まるエリアになりつつあるが、夜になると人通りがガクッと減るビジネス街だから、当時は他にラーメン店があったか記憶に無いくらいのエリアだ。屋号は「らーめん香澄」。店主は大阪屈指の人気店「JUNK STORY」出身。出汁が効いた清湯を看板にし、評判も上々の人気店となる。しかし約2年後にメニューをガラッと変えてリニューアル。私の記憶ではそれを機に一気に一般層のお客さんに受け入れられる本当の人気店になったように感じる。今回、その辺りのことも店主に聞いてみようと思う。「らーめん香澄」尼崎店主にKRK直撃インタビュー! 


- 出身は?

「九州の佐賀県です。」

 

- どうして大阪へ?

「高校卒業してリフォームの会社に就職したんですが、出張研修で大阪の会社へ来ることになったんです。で、そのまま大阪支社の社員になりました。大阪を選んで来たわけでなく、会社の都合ですね。それが18歳の頃です。それから3年ほどいたんですが、その間に『大阪っていいな』って思い、仕事が変わってもそのまま大阪に住み続けることにしました。」

- ラーメンとの出会いは?

「最初の仕事で大阪に来た時、最初のG.Wで九州にちょっと帰ったんですが、その時に地元の友達と『ラーメンをハシゴしてみよう!』って話になって、博多で一風堂(公式HP)とか一蘭(公式HP)で食べたんです。当時、両店共、まだ店舗展開してなかった頃ですね。それで特に一風堂さんで『あっ、ラーメンってこんなに美味しかったんや!』って驚きました。一風堂さんの本店に並んで食べていましたね。」

 

-それから?

「それからはラーメンは頻繁に食べるようになりました。調べて詳しくなるわけでなく、通りがかったに店で食べるって感じでしたね。ただ、僕は一風堂でラーメンに嵌まったので、大阪で食べても『豚骨と細麺しか許せん』って気持ちがあって、『なんかスープが?』とか『麺がもっと細い方がいいな』とか思っていましたね(笑)。それでずっと豚骨細麺って思ってたんですが、ある時、玉五郎や(中崎町の)大勝軒で食べた時に『魚介入ってるのも美味しいな!』って思い、ストライクゾーンが拡がっていきました。それからいろんな系統のラーメンを食べるようになりましたね。塩元帥や龍旗信とか行っていましたね。」

- 当時、「ラーメン屋を自分でしたい」って気持ちは?

「魚介ラーメンを知った頃から、友達に『俺、ラーメン屋をやりたいわ』って言っていましたね。ラーメン好きだったので、『絶対、俺にできるわ』って勝手に思っていました(笑)。でも当時は工場で働いたり、パチンコ屋、飲食店、居酒屋で働いたり。結局ね、僕は動きがスローなので『身体を動かす仕事は無理だ』って思い、ラーメン屋のことも忘れようって思いました。それでウェッブデザインの勉強を始めました。『そっちの方が向いてるわ』って。そしてスクールに通い、いざ就職しようって時に、やっぱりラーメンが忘れられない気持ちが出てきて、『自分にはたぶん向いてないだろうけど、でもやるだけやってみよう』って思いました。」


- ラーメン屋さんで働き始める?

「3店くらいで面接受けて、いろんな事情で落ちてしまって。ただ、それは土日休みとか営業時間とか考えて受けてる店ばかりで、しかし全部落ちてしまったし。それで『やっぱり味の好きな店でちゃんと探そう!』って思いました。最終的に絞り込んで残ったのが『東成きんせい』と『JUNK STORY(公式HP)』でした。白湯が好きだったんですよ。鶏白湯とか。それで結局、JUNK STORYさんを受けることに決めました。ちょうどね、その頃に魚介白湯みたいな限定があって、白湯も清湯もあって全部美味しかったんです。それで面接を受けたら『アルバイトならいいよ!』って言ってくれて、働かせてもらうことになりました。JUNK STORYがオープンして半年後くらいですね。僕は一年くらい働いてたんですが、僕の最後の3ヶ月くらいでダルマさん(現:ふく流らーめん轍 店主)が入って、僕が辞めた後に入れ替わりで高岡さん(現:麺屋NOROMA店主)が入りました。なので師匠は僕が正式にJUNK STORYから独立した一番弟子って言ってくれています。JUNKのみんなとは仲良いですよ。たまに飲みに行ったりしています。」

- ラーメン屋で初めて働いて、どうでしたか?

「忙しいのは覚悟してたんですが、飲食で働いた経験もあったのでそんなに抵抗は無かったですね。とりあえず賄いが毎日楽しみで、僕的に毎日食べても飽きないって(笑)。僕は動きがスローなので、迷惑かけないように早めに出勤したりしてましたね。半年くらい洗い場に入って、それからホールとか。」

 

- 独立志望はいつから?

 「最初からありました。JUNK STORYの面接で聞かれた時に『できるだけ早く独立したいと思っています!』って言っていましたから。とにかく『できるなら早くしたい』って気持ちでした(笑)。最初は『修行せずに店をやろう』って思ってたくらいです。でも『まてよ。修行して嫌になって辞めてからでもできるわ』って思ったんです。でもJUNK STORYでは本当に良い環境で働かせてもらったので、1年間続けることができました。それで9ヶ月目の頃、師匠から『定休日を使って、自分のラーメンをしてみるか?』って言われて。それで40~50食くらいの限定ラーメンをさせてもらいました。自分で初めて麺場をやって、スープもやって。鶏に煮干しと昆布って感じで『煮干し醤油ラーメン』って感じでしたね。そんなにニボニボしてなくて、中華そば的なラーメンを清湯でやりました。」

 

- 手応えは? 

「たぶんあまり良い出来じゃなかったのに、当時の自分的には勝手に手応えを感じていて(笑)、『こういう感じやったらお店できるやん』って思ってしまい、師匠に『3ヶ月後くらいに独立します』って言いました(笑)。この時に勘違いで先走った分、独立後の1~2年ほどはやっぱり苦労しましたね。」


らーめん香澄(2012年5月7日オープン)

- なぜ夜になると人通りが無くなる阿波座を選んだ?

「昼だけでやりたかったので、阿波座の物件が空いた時にそこが特別に良かったわけでなかったんですが、中華料理店の居抜きで、冷蔵庫とかもあって安く入れる感じだったんです。でも阿波座の物件の受け渡しがいろいろ事情があって遅れてしまった時に、今の2号店の中崎町の物件もちょうど空いていて、どっちかを選ぶって状況になったんですよ。結局、予算の面も含め、いろんなことを考えて阿波座に決めました。」

 

- 屋号の由来は?

「屋号についてはずっと迷っていて、最初は自分の名前でしたかったんです。でも僕の名前が『まこと』なので、まことって他にもあるのでかぶってしまうので。それである日、いきなり『香澄』ってのを思いついたんです。香りがいい、澄んだスープで『香澄』。『メッチャいいやん』って。で、師匠に言うと、『普通やな』って言われましたね(笑)。」



- 香澄のラーメン?

「最初は金久右衛門さんみたいに数種の醤油を出して『醤油専門店』を思い描いていたんです。『鶏白湯もしたいな』とか考えていました。でもけっこうスープに材料を詰めていたので、試しに塩ダレでも作ってみたら塩の方が美味しかったんです。それでオープンの直前に『塩でいこう!』って決めました。師匠に『塩でいきます!』って言うと、『えっ?塩なん?』って言われましたね(笑)。」

 

- いよいよ自分の店をオープンして?

「最初は塩だけで始めました。オープンして3日間くらいはバーッと100人くらいお客さんが来てくれました。それが2週間経ったら50人ほどになり、2ヶ月後くらいにはもうメッチャお客さんが減っていました。それで醤油も慌てて始めましたね。やっぱり『選択肢が1つだと辛いな』って思ったので。でもお客さんも増えず、当時は辛かったですね。でもいろんな方に『1年間は辛抱しないとあかんで!』って言われてたので。その頃、テレビの取材も何度か来たんですが、放送後にお客さんが一気に増えて、数日ですぐに元に戻るって繰り返しでしたね。底上げするわけでなく、元の数に戻るだけの繰り返しでした。」


2014年4月14日、メニューを完全リニューアル。

- メニューを完全リニューアル?

「オープン1年半くらいでイベント(らの道)に出させてもらって、あの時は「ちょっと底上げしたのかな?」ってなったんですよ。でもやっぱり2年経って、まだ『自分の飯代は出るけど』って感じだったので。それである時、東京で凪さん(公式HP)のラーメンを食べて衝撃を受けたんです。凪さんのラーメンで『煮干しラーメンやりたい!』って思いましたね。僕は燕三条とか食べたことなかったんですが、『背脂はあった方がキャッチーだな』って思い、後から背脂も加えたんです。元々は煮干しのラーメンとか自分が好きだったので、オープン前に煮干しラーメンの試作もしていたんですが、麺が今のような縮れた麺が無かったんですよね。」

 

- それから?

 「『塩よりこういう煮干し系の方が好きなのに、いつまでも塩を続けていてもな~』って悩みました。元々、塩より醤油が好きだったのに、塩がオープン前にたまたま良いのができたから、塩をメインで続けてたんですよね。それで、やっぱり『自分が元々好きだった煮干しでやろう!』ってリニューアルを決めました。」

 

- 麺は?

「試作段階では某製麺所さんの麺を使って限定で煮干しを出していたんですが、ちょうど棣鄂(公式HP)の社長さんが食べに来てくれて、『縮れた麺ができたので使ってください』って。その麺を使ってみると『こっちの方が美味いわ』って思い、棣鄂さんの麺を使うことに決めました。」

 

- 今までのメニューを完全に無くしたのは?

「今までの常連さんが離れるって不安もあったんですが、何となくメニューを増やすよりは、『自分自身が本当に好きなラーメン』でお客様により良いものを出せるように、新しいメニューに絞ることを決めました。」



- リニューアルして、お客さんの反応は?

「新しいメニューに変えたら、その月からすぐにお客さんが増えました。それからテレビ取材が来た後も、お客さんが増えても、そのまま下がらないって感じでとにかく順調でした。お客さんの反応は食べ慣れてない味で『あの麺が珍しかった』とか麺の量も増やしたので満足感も増したようです。阿波座エリアのサラリーマンの皆さんにとても評判が良くなりました。」


らーめん香澄 中崎町店(2015年11月20日オープン)

- そして2015年11月、2号店オープン。

「 JUNK STORYから独立する時、最初から店舗展開は考えていました。2号店は白湯で、3号店はつけ麺でって考えていました。ただ、最初の店を営業していく中で苦労の連続で全然できそうになかったんです。しかし僕はスタッフに恵まれていて、スタッフが『新しい店をやりましょう!』って後押ししてくれました。」

 

- 今度は中崎町で?

「ちょうど中崎町の物件が空いたんです。実はその頃、日本橋の物件で『肉そばモリゾー』って店をすることを決めていたんですよ。濃い醤油に太縮れ麺でチャーシューがドカドカのってるってのを。僕、最初は塩ラーメンとか『出汁や!出汁のラーメンや!』って思ってたんですが、煮干しにリニューアルしてお客さんがとても喜んでくれてるのを見て、考えが変わったんです。それで『肉そばやりたい』って。まぜそばでチャーシューをドカドカ入れてるのが阿波座のお客さんにとても評判良かったんです。でもこの中崎町の物件で『デカ盛り系』で営業してた前の店が閉店したばかりだったので、『ああいう系統はこの場所には合ってないのかな?』って思い、最初に考えていた鶏白湯でやってみようって決めました。」


- 人材育成は?

 「僕は怒ったりは得意じゃないですし、『もっとこうしろ!』とか言うのに抵抗あるんです。ちゃんとできてなくても、この人は自分の店を選んで働いてくれてるって気持ちがあるので、叱るって形じゃなくて話し合うって感じが僕のスタイルですね。それで辞める人もいなくて、今は上手くいってる感じです。」

 

- 今後、店舗展開は?

 「つけ麺はまだ巧くできていません。つけ麺と味噌は僕の中では苦手で、まだまだですね。今はまぜそば、『肉そば専門店とかやりたい!』って思っています。このロゴ(画像参照)、僕の似顔絵なんですが、これを使って『まぜそばモリゾー』ってのをやりたいですね。あとはこの間、限定で出してみたんですが、濃い醤油味で中華そば的なのも考えているんですけど。」

 

- 場所は大阪に拘る?

 「僕の師匠同様、僕も近場でしたいので、南森町とか福島とかですね。今の2つの店から遠くない所でやりたいです。」

- 大切にしてること?

「最初は自分のプライドとか、職人ぶってしまって『自分のスープが』とか思ってしまっていた時期もあったんですが、最近はスタッフとか、自分とか、お客さんとかが『ラーメンでハッピーになったらいいな~』って思っています。『なんぼ美味しいラーメンを作っても、お客さんに喜んでもらわないと意味ないな~』って。だから『美味しい!』って思ってもらうのが目的だったり、お客さんが喜んでいっぱい来てくれたら、スタッフにも還元できるし、自分もハッピーになれる。味の拘りってよりは『みんなに喜んでもらう』ってのが一番大事だと思っています。自分の信じた方へ行こうかなって思っています。」



<店舗情報>

らーめん香澄

大阪府大阪市西区京町堀2-12-13

店ブログ:http://ramen-kasumi.sblo.jp/

 

(取材・文・写真 KRK 平成28年6月)