Vol.36:豚骨中華そば がんたれ


 歴史ある名店が混在する和歌山市。その隣にある岩出市に2015年1月、新たなラーメン店がオープンした。驚いたのは店主はあの無鉄砲グループ赤迫代表の愛弟子で、無心などで店長の経験もある本格派。そしてオープンの日には赤迫代表自らが応援に和歌山まで駆けつけて一緒に厨房に立っていた!その店の屋号は「豚骨中華そば がんたれ」。気合の入った表情で作り出すラーメンは、濃厚豚骨に強めの醤油ダレ!とにかく濃い!!所謂和歌山系とはまた違う豚骨だが、すぐに和歌山県民の心を掴み人気店となる。

 どういう流れで和歌山に来たのか?無鉄砲との関係は?いろいろ聞きたいことが山ほどあるので、少し話せる時間を作って頂いた。"豚骨中華そば がんたれ"板谷店主にKRK直撃インタビュー!


- 出身は?

「一応、関東になるんです。親が転勤族だったので、親と一緒にいろいろ転々としていました。名古屋にもしばらくいましたね。一番長かったのが関東ですね。関東にいる頃はバンドをやっていました。」

- どんなバンドを?

「叫んでただけなんですけどね(笑)。17~18歳頃からバンドしていて、ライブハウスにも出ていて、ずっとバンドばっかりでしたね。もう調子に乗っていて洋楽かぶれだったので『俺たちが日本のロックシーンを変えてやるぜ!』って勢いでやっていました(笑)。それから29歳の頃かな?ある程度バンドをやって『もう十分かな?』って思い始めました。その時は結婚もしたかったので、『結婚を機に環境を一気に変えてしまおう』って。それで嫁が大阪出身なので、そのまま大阪へ来ました。」

 

- 大阪での新しい生活では?

「僕自身が今まで好きなことだけやってきたので、『自分が好きなことでごはんを食べていけたらいいだろうな』って考えて、その時に頭に浮かんだのが"ラーメン屋"でした。」

 

- 突然、なぜラーメン屋が??

「関東にいる頃、ラーメンが大好きだったので年間500杯ほど食べてました。実は高校2年頃まではラーメンが凄く嫌いだったんですよ。当時、関東はラーメンブームだったので行列店とかあって、それを『意味わからねえな?』って笑ってたんです。」

 

- 気持ちが変化したきっかけは何だったんですか?

 「地元にラーメン屋が一軒できたんですよ。元祖一条流がんこラーメン8代分家って店です。その店で食べて『あ!ラーメンって美味しいかもしれないな?』って思ったんです。今までちゃんとバシッと作ったのを食べたことなかったんですよね。そこから一気にラーメンにハマっていきましたね。それから当時、かなり流行っていた支那そば屋さんや武蔵さん、斑鳩さんとか多くの人気店を廻っていました。」


ターニングポイント

- そして大阪へ来て?

「とりあえず大阪へ来て、すぐに弥七さん、総大醤さんなどに食べにいきましたね。そして当時、よく"超ラーメンナビ"を使わせてもらっていたんですが、そこで"無鉄砲"の評価が断トツで高かったんです。名前は関東にいた頃から知ってましたが、実際には食べたことなかったんです。それである日、無鉄砲 大阪店へ食べに行きました。」

 

- どうでしたか?

「濃いかったですね(笑)。当時、濃いってラーメンは家系くらいしか知らなかったので、無鉄砲のラーメンの濃さが衝撃的で、『これは何だ?ウマ!』ってなって。そしてスタッフの動きを見てるとけっこう忙しく動いてはったんですが、それでもみんなきっちりお客さんを見てるなってことに気づきました。なんでこんなに流行ってるのかを知りたいなってのもあって、大阪店のアルバイトとして働かせてもらうことに決めました。」

- 無鉄砲で働き始めて?

「すぐに『これはやばいぞ!なんだこの大変さは?』って(笑)。無鉄砲は当時から接客はがっちりしていたので、店長からのプレッシャーも凄かったし(笑)。フロアーを1年半ほどしてました。」

 

- どんどんラーメンに嵌まっていくんですね。

「赤迫師匠に声をかけてもらったのが1年半が経った頃です。つけ麺博で『人出足りないから誰か呼んでくれ』って。そこでいろいろ話させてもらって、それで『お前、豚骨やってみないか?』って言ってくれました。それからは無心で時々、スープを炊く練習とかさせてもらうようになりました。赤迫師匠に『お前やってみないか?』って言われると信頼されてるってことだと思うんです。要は『そこまで頑張れるか?』だと思う。赤迫師匠は常連さんの口コミなどを通して、『頑張ってるな〜』と見てくれているようです。」

 

- 無心に移って?

「まだ赤迫師匠がいらっしゃったので、師匠が麺上げていて僕がスープをいじらせてもらったり盛り付けなどをさせてもらっていました。」

 - 独立志向はいつから?

「無心で店長を始めた時までは『自分で店を持ちたいな』と思っていました。3~5年くらい修行してから自分の店を持ちたいなって。でも無心の店長してる内に責任も出てきますし、途中からは『最終的にこの店を買い取らせてもらえたらありがたいな』って気持ちに変わってきましたね。」

 

- そこから再び自分の店へ向かうようになったのは?

「いろいろありましたね。大きなきっかけは親父の死だと思います。親父は僕が自分の店を持ちたいってのを知っていて、ガン末期の頃だったのに自分で動いて商工会議所とかに問い合わせてくれたりして、どうやったら自分の店を持てるとか僕に内緒で調べてくれていたんです。僕、全然知らなかったんですよ。親父が亡くなって初盆の時に母から"ひろしラーメン"ってまとめられてた資料を渡されたんです。体を悪くして『これからどうしていこうかな?』って迷っていた時期でした。それでやっぱり自分でやらないと駄目だなと思いました。親父は僕が就職活動とかしてる時に、『つまらない気持ちでサラリーマンするくらいならやるな。自分が好きなことをやって、やり切ったなって思った時に何か新しい道を見つけたらいい。それまでは自分のやりたいことをきっちりやった方がいい』と言ってくれていたんです。」

- 無鉄砲での修行はどのくらい?

「7年間ほどです。途中で体を壊して1年間ほど離れていた時期もありました。その時、サラリーマンをしていたんですが、やっぱりラーメン屋の方が全然楽しいなって。生きた心地がしなくて、腑抜けになってるな俺って。それで無鉄砲で再び働かせてもらうようになりました。」


豚骨中華そば がんたれ(2015年1月15日オープン)

- なぜ和歌山に来ることに?

「プライベートで和歌山に来た時に、とにかく明るく見えたんですよね。空がメッチャ青かったんです。それで赤迫さんに『和歌山で自分の店をやってみたい』と言ったんです。赤迫師匠も元々、和歌山に3年ほどいたことがあって、『和歌山ならある程度分かるで』と言ってくれて。それが2014年ですね。」

 

- 場所は悩みましたか

「最初は市内を探してたんですが良い物件が無くて。ある日、不動産屋さんと話してたら、『人口密度なら岩出が和歌山の中であるよ』と言ってくれて、それで『ちょっと行ってみよう』って岩出に来ました。その時、この24号線沿い、大きい建物が多いし、ちょっと入ると新築の家が多くて。それで『ここでやろうかな?』と思いました。そのことで赤迫師匠に相談し場所を見てもらうと、『車が早過ぎて通り過ぎるぞ。駐車場はどうするねん?』って(笑)。僕は最初からそんなにお客さんも来ないだろうと思ってましたから。」

 

- 屋号の由来は?

「赤迫師匠が付けてくれました。『お前、目つき悪いから』って(笑)。『でも屋号ががんたれで、お前がホントにがんたれてたら、店が絶対に潰れるで』って(笑)。」



- 和歌山ラーメンについては?

「いろいろ食べ歩いて研究しました。無鉄砲のラーメンとは全然違いますね~。醤油のキリっとした感じと、かなり炊き込んで骨粉が出てるし。あと豚骨の臭いですね。」

 

- がんたれのラーメンは?

「和歌山のラーメン店をいろいろ食べ歩き、僕なりに研究をしてからいろいろ考えましたね。カエシを強めに出さないといけないとか。あとは濃度を『どこまで受け入れてもらえるかな?』とか。僕の豚骨は和歌山ラーメンほどクセがあまり無いので、けっこう怖いなってありましたね。伝統の和歌山の形と全く違う豚骨白湯でアピールしていこうって決めていたので、トッピングもほうれん草や玉ねぎ、チャーシューも肩ロースのデカいのにして、麺も全然違うのにしました。麺は無鉄砲製麺所で特注麺をお願いしています。それで『どういう反応が来るのかな?』って楽しみでしたね。」



- オープンして、反応は?

「もう評価がバーッと割れていました。昔からの中華そばを食べ慣れてる方からは『太い麺だし、豚骨の臭いがあまりしない』って言われてました。ただ、有り難いことに"うらしまさん"が近くにあるので、濃度に関しては何も言われなかったですね。オープン前にうらしまさんで食べた時に『うわ~、ここに勝てるのかな?』って思いましたから。とにかく最初の1年間は『自分が決めた味をブレないように力を注いでいこう』って思っていました。迷いはたくさんありましたけどね。カエシがやっぱり不安だったんです。『醤油変えようかな?』とかも悩みました。当時は辛さの付け方が分からなかったんです。」

 

- 集客は順調でしたか?

「いや、最初は夜とかは暇だった日も多かったです。お客さんがいないのが2時間続いたりとか。それが去年の11月頃からですかね。急にお客さんが増えてきました。口コミで地元の方が来られるってのが和歌山では多いようです。」


- 限定ラーメンについて?

「基本的には常連さん向けです。そして自分のスキルを磨いていくためです。土地柄、新しい技術とかアイデアに触れることがなかなか無いので、このまま行ったら、そのまま時代に取り残されたラーメン屋さんになるのが怖いので、きっちり限定は最初からしていくって決めていました。」


- お客さんへのお見送り?

「無鉄砲でも『味を聞いたりする事をマニュアル化し過ぎて、やる意味が希薄にならないように気をつけろ』とよく言われていて、意味は勿論理解していたんですが、ヒシヒシと感じるようになったのはやっぱり自分で店を始めるようになってからですね。」

 

- 和歌山には?

「環境が大幅に変わらない限りは、和歌山でやっていくと思います。」

 

- 板谷店主の拘りは?

「無鉄砲でとても可愛がってもらったので、下手な豚骨は絶対に出さない。あとはお客さんに対しての接客に関して、本当に居やすい雰囲気を出したいな~って。それで店全体の雰囲気が良くなって、僕も楽しく仕事ができるようになればいいと思います。そして僕も『がんたれないようにしないとな』って気を付けています。(笑)」



<店舗情報>

■豚骨中華そば がんたれ

和歌山県岩出市溝川278-1

店Twitter:https://twitter.com/GantareIwade

(取材・文・写真 KRK 平成28年9月)