Vol.136:鳥そば 真屋


 日本の中心に位置し、古くから東西の文化の交流点として栄えてきた岐阜県第2の都市「大垣市」。この街には看板メニューの鳥そばで名を馳せる名店がある。屋号は「鳥そば 真屋」。私が真屋に初めて来たのが2010年7月。まだ関西に鶏白湯の一大ブームが来る前で、真屋の濃厚で深みのある鳥そばに衝撃を受けてグッと心を掴まれたものだ。

 あれから繰り返し通ったお店だが、店主とゆっくり話すのは今回が初めてになる。"鳥そば 真屋"伊藤店主にKRK直撃インタビュー!


- 出身は?

「大垣です。」

 

- ラーメンは昔から好きだったんですか?

「情報を調べてラーメンを食べにいくってのは全く無かったですね。当時はチェーン店しかなかったので、僕がラーメンを食べにいこうってなると8番ラーメンとかスガキヤくらいしか選択肢が無かったです。

 

- 飲食に入るきっかけは?

「家の環境もあるんですけど、高校を中退した時に自分だけの力で生きていかなければならないってなりました。とりあえず飯を喰える仕事ということで飲食が頭に浮かび、某チェーン店で調理の仕事をするようになりました。その時に『1年くらい中華料理の修業』ということで、大阪で働いていたこともあります。その中華料理店は今はもう閉店してしまっています。

 それから岐阜へ戻ってきて、その会社で店長をしていた人が独立するということで声をかけてもらって、その人が社長になり二人で某ラーメンチェーンの1号店の立ち上げをしました。18歳の時でしたね。」

 

- その会社は順調でしたか?

「僕も若かったので遊びたい頃だったし、朝7時から夜中3時まで働くのは無理。途中で根を上げて離れることにしました。それから飲食から離れて、看板屋で約6年。そしてやっぱり飲食がしたいなと思い、当時はもう家族もいたので、夜の仕事で給料のいい居酒屋で6年ほど働いていました。」


水都「大垣市」


- 独立志望はあったんですか?

「その頃には『そろそろ自分で何かやりたいな!』と考えていました。ちょうどテレビに中村屋さん、一風堂さん、佐野さん、ラーメン屋さんがバンバン出ていて、『自分もラーメンを作りたいな~』と思いました。食べたいなじゃなくて、『作りたいな!』でしたね。それからラーメンを作りたいなって気持ちが強くなっていきました。」

 

- ラーメンに興味を持ってからは?

「ラーメン屋を目指すと言っても、個人店をするなら個人店なりの付き合いというのが必ず必要になると思いました。その時にたまたま募集欄を見ていたら中村屋さん(中華そば 中村屋)の求人がありました。中村屋さんがちょうど2号店の中村商店をオープンしていて、その募集でした。電話すると『すぐに面接来て欲しい!』となりました。」

- 中村屋ではどうでしたか?

「アルバイトとして1年間ほどお世話になりました。以前のラーメンチェーン店はセントラルで作ったスープしか見たことが無かったので、中村屋で初めてイチからスープを作るということを学びました。ガラを処理し、何時間も炊き込んで、最後には濾してって作業ですね。」

 

- 独立志望は伝えていたんですか?

「面接の時に独立志望も伝えました。業者さんとか紹介して欲しいんですが、ここで勉強してもここの味を丸パクリはしないと言いました。中村屋さんは『同じ味で独立してもいい』と言ってくれたんですけど、自分はこの狭い大垣で同じ商売をするなら、客の取り合いじゃなくてどっちの店も巡ってくれる方がいいって思いました。そして自分はこういうラーメンを作りたいからと伝えました。」

 

- 「こういうラーメン」とは?

「面接で、僕は『自分のお店では鶏骨ラーメンみたいなのを作りたい。こういうラーメンです!』と説明すると、『それ、鶏白湯ラーメンのことだよ!」と教えてくれました(笑)。その時に初めて鶏白湯という言葉を知ったんです。自分の頭の中で思い描いていただけで、それが何のラーメンかは知らなかったんです。鶏だけの素材でこういうラーメンを作ったら美味しいんじゃないかと思い、レシピを考えていたんです。きっかけはたぶんテレビで見たのかな?憶えていないんです。」

 

- 修業しながら、鶏白湯の自作もしていたんですか?

「ただ紙に書いていただけで、自作は全くしていないんです。『お店をしてから作ればいい!』と思っていて、働きながら中村屋の良いところを自分のレシピに取り込んでいっていました。」


鳥そば 真屋(2007年10月オープン)


- 中心地から離れた、この場所を選んだのは?

「大垣駅前が中心部なのでかなり離れていますが、昔、この辺は人口密度が高くてすぐ近くに来来亭があったんですが凄い集客をしていたんです。ヤナゲンって百貨店も昔はありましたし、昔は一等地だったんです。それで『いい土地のはずだから!』と聞いて、ここに決めたんです。その頃には人口密度も低くなってきていたんですが、僕は全く知らなかったですね。」

 

- 屋号「鳥そば 真屋」の由来は?

「自分の名前が『伊藤 誠』で、昔、姓名判断で見てもらったことがあるんです。今の『誠』という字も悪くないけど、何かする時には『真』の方がいいと言われていました。それで屋号を決める時に真屋が浮かびました。

 鳥そばを付けたのは、自分が作るラーメンは普通のラーメンと違う。当時は鶏白湯はこの辺には無かったですからね。だから『ラーメン真屋』とかにしてしまうと、お客様が従来の醤油ラーメンとか味噌ラーメンをイメージして来店したらガッカリさせるかもしれない。それなら『何ラーメンなんだろう?』と思わせた方がいいと考え、鳥そばを付けました。」



- オープンしてどうでしたか?

「もう散々でした。自分の中ではその時のラーメンは未完成だったので、全く宣伝もしなかったですからね。9月くらいから工事に入って、10月に完成。それからオープンまで16日間しか試作をしなかったですから(笑)。まだまだ完成にはほど遠かったので、宣伝なんてできないですよ。

 全然知らなかったんですが、当時のお客様がmixiでウチのコミュニティーを作ってくれていて、僕は『なんでお客様が来るんだろう?』って不思議に思っていましたね。オープン当初は1日数人でしたが、でもゼロは無かったです。」

 

- お客様が増えてきたのは?

「たぶん3年目の頃でしたね。その年になぜかラーメンウォーカーで全国3位になったんですよ。1位が六厘舎、2位が千葉県のどこかで、3位がウチで「は?」って驚きましたね。それでお客様はちょっとずつ増えてきましたね。

 あとは同じ年に東北大震災があったんです。それで岐阜県の5店でチャリティー営業をしたんです。その時に多くのお客様が各店を巡ってくださって、自分としては有名になるとか関係なくチャリティーに参加していたんですが、結果、真屋のことを知ってもらうきっかけになったようです。」


- オープン時のメニューは?

「オープンした時は、鳥そば塩、あごだし醤油の二種類だけ。当時はどっちも珍しいかったんですが、その時の自分には珍しいかどうかも分かっていなかったですね。 」

 

- 鶏白湯をすると決めて、どこかから影響を受けたりとかは?

「店を出す前に、中村屋の中村さんと『鶏白湯しているお店で一番近い店はどこにあるのかな?』とか話していて、ネットで調べたら滋賀のにっこうさんが出てきたんですよ。それでにっこうさんに行って関西風の鶏白湯というのを味わった時に、『ウチは関西じゃないので、これと真逆の鶏白湯を作らないと駄目だな!』と思いました。」

 

- 理由は?

「関西と東海では客層はガラっと変わります。中村屋のラーメンを食べている人にはインパクトがあるラーメンじゃないと受け入れられないと思ったんです。当時の岐阜は豚骨魚介に極太麺、こってりしたスープが主流でしたからね。にっこうさんのまろやかでクリーミーなスープじゃなくて、ウチはもっと力強いスープを目指そうかなと方向性を決めました。だからウチの場合は魚介、煮干しとか入れてパンチを出して線の太いスープにしました。」

- 「奥美濃古地鶏」を使い始めたきっかけは?

「中村屋で働きながら自分のお店について考えている時に『岐阜の地鶏って無いのかな?』と思いました。名古屋コーチンは高いし、それに名古屋の宣伝をする必要もないから、『岐阜の地鶏を探そう!』となって奥美濃古地鶏を見つけたんです。それで古地鶏を扱っている会社を調べると、たまたま隣町にあったんですよ。今だったらもうちょっとあるのかもしれませんが、当時は配達してくれる業者はそこしかなかったんです。」

 

- 奥美濃古地鶏の特徴は?

「名古屋コーチンほどクセがないし、旨味が優しくてしっかりしていますね。」 

 

「あごだし」は?

「僕は中村屋で修業していたので、自分の店でもつけ麺をする日が来るだろうと考えていました。中村屋では和だしでWスープのつけ麺をしていたので、そういうのも必要かなと。この地域は九州から出稼ぎに来ている方も多いので、アゴだしは馴染みのある出汁。鰹でやるより面白いと思い、アゴを全面に出して『アゴのだしそば』を始めました。」



- 岐阜県内のラーメン屋の繋がりは?

「かなり仲がいいですよ。年1回はみんなで遠征に行って、ラーメンとかご当地の食べ物を楽しんでいます。一泊二日とかですけどね。それ以外にも後から出てきたお店にも声かけて、年末に忘年会をしています。」

 

- 最後に一言お願いします。

「ラーメンってこれで完成とか、これでいいってのが無いと思っています。今でも、これからも、僕はもっと美味しくなるんじゃないか、もっと美味しくできるんじゃないか、そういう気持ちを忘れずに一杯一杯を向上心を持って作っていきたい。

 一風堂の河原さんが言っていた言葉、『変わらないために変わり続ける』。凄い大事だなと思っていて、僕もそこだけは忘れずに毎日仕事をしています。」



 <店舗情報>

■鳥そば 真屋

住所:岐阜県大垣市熊野町4-6

公式ブログ:https://ameblo.jp/raopen710

Twitter:https://twitter.com/raopen710

 (取材・文・写真 KRK 令和元年8月5日)