Vol.181:桐麺 本店 製麺師


 「桐麺の麺が美味い!」。オープン当初から製麺に情熱を注いできた桐麺だが、特に最近は「ひやきり」や「MAZEL」など麺に特化したオリジナル商品を提供し、ラーメン通の間で評価はうなぎ上りとなっている。

 そんな桐麺について最近になってある情報を入手した。桐麺の製麺部門を担っている製麺師がかなり濃いキャリアの持ち主だということだ。早速、以前に当サイトで取材をさせていただいた「桐麺」桐谷店主に製麺師への取材をお願いした。「桐麺」製麺師 田中氏にKRK直撃インタビュー!


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◆製麺師 田中氏(左)と桐谷店主(右)


- まずは桐谷店主にお聞きします。麺への拘りはオープン当初から強くあったんですか?

●桐谷店主(以下「桐谷」と略

「ウチのラーメンは鶏白湯がメインはメインですけど、桐谷の作る麺として桐麺という屋号にしたので麺には最初から拘っていました。麺を作ってからスープを作るってのが僕のやり方ですからね。でも、正直に言うと麺にメッチャ拘っても周りは気づいてくれないんです(苦笑)。

 最近、6年目にしてやっと桐麺の麺がフューチャーされてきたかなと喜んでいます。ラーメン好きな人ってスープで美味しいか判断する方が多いですが、僕は麺を食べてこのラーメンが美味しいと評価して欲しいんです。」

 

- 麺をフューチャーしたメニューを提供し始めたのは?

●桐谷「元々、4年前からMAZELという麺だけの冷たいメニューを夏場にしていました。麺だけ出すとお客様からしたら『えっ?』という感じじゃないですか。でも僕は麺を食べてもらいたいから麺に拘って、お客様に桐麺の麺を食べてもらうというテーマで毎年していました。それから今まで麺にタレだけだったんですが、スープに麺を浮かべてみようと始めたのが『ひやきり』です。」

 

- 商品開発のアイデアはどこから?

●桐谷「僕が思いつきでいろいろ考えますね。僕はひやかけうどんを食べたことが無かったんですが、イメージで『麺だけでしたらこんな感じかな?』と作ったのが『ひやきり』です。麺の刺身も正月にしました。麺と醤油のみ。醤油に麺の端だけ付けてズルっと食べてもらう商品でした。」



- 今回取材する田中さんを製麺師として任命するまでの流れは?

●桐谷「当初は製麺は僕がずっとしていたんですが、2店舗(本店・十三店)あるので全部僕が一人でしていると良い物が作れないんですよ。例えばスープでもウチのは15時間かかるんです。それを一人でやるのは難しいのでウチはチームで役割分担をしてやっています。

 それである日、田中さんが麺を打ちたいと言ってきたんです。『それじゃ一緒にやってみようか!』としてみると凄い筋がある。気持ちも技術も大事だけど、田中さんは製麺を始めて凄い麺にのめり込んでいて、こうしたら良くなるとずっと考えて取り組める人なんです。正直、僕より良い麺を打つんじゃないかなと思うようになって、それで1年半前からウチの製麺部門を任せてみようと決めました。」



- ここから田中さんにも加わっていただきます。ラーメン業界へ入る前は何を??

●田中氏(以下「田中」と略)

「中学校を卒業して高砂部屋に入門しました。2年目で首を骨折しまして1年間休場して、それから本場所に出ていました。体が小さかったので強くなれず三段目くらいにしか上がれなかったんですけど、10年間ほど力士として相撲をとらせていただきました。相撲をやめる時、親方から『10年間よく頑張ってくれた』というお言葉をいただいて、その時は涙が出ましたね。」

 

- 相撲時代のエピソードを少し聞かせてください。

●田中「僕の年代で武蔵丸が入ってきて、僕の一年上に若乃花関、貴乃花関、曙関がいました。曙関は高砂一門の東関部屋でとても仲良くさせてもらっていました。曙関さんは飲みに行くと『どれだけ飲むんだ?』ってほど飲む方で、豪快な人でしたね。同じ部屋には小錦関と水戸泉関もいました。今でも年に一度はOB会が大阪であって集まっています。」



- ラーメンはお相撲さんの時から好きだったんですか?

●田中「そうですね。ずっと好きでした。相撲をやめた後、2年間ほど某ラーメン屋の店長をしていたことがあるんですが、その親会社がお店を閉めるということで会社を離れました。その頃に結婚して長女が産まれたので、嫁は安定した生活がしたいということだったのでそれからサラリーマンをしていました。」

 

- 桐麺との出会いは?

●田中「5年前ですかね?」

 

●桐谷「ウチがオープンした頃から家族でよく来てくれていた常連さんだったんですよ。」

 

●田中「もう麺が美味くって大好きになって、多い時には週3回とか来ていました。」

 

●桐谷「そうそう(笑)。そして田中さんが家族5人で来ていた時に、奥さんがウチでアルバイトをしたいと言ってきたんです。それで奥さんがまずウチで働き始めたんですよね。」

 

- 奥さんが最初だったんですね。(笑)

●桐谷「奥さんが2年くらい働いていて、それからウチが人員不足になった時期があったんです。そしてある日、朝7時頃に店で製麺しているとトントンと入口をノックする音がするので外を見ると、田中さんが履歴書を持って立っているんです。それで『桐さん、僕をここで働かせてください!』って。奥さんから何も聞いていなかったので本当に驚きました(笑)。」

 

- それでどう返事したんですか?

●桐谷「それで僕も『とりあえず奥さんに確認させてください』と言い、奥さんがバイトに来た時に聞いてみると『1年前からあの人は桐麺で働きたいと言っていた』とのこと。でも家族もあるし、安定した仕事をして欲しいと希望していたそうなんです。それから奥さんが『あの人がやるって言ってるならお願いします』と言うので、それでとりあえず『三人で面接しましょう』と提案しました。その面接で奥さんが『私も旦那も桐麺で頑張ります!』と言い、田中さんは『桐麺が好きです。独立希望とかじゃなく、桐麺の行き着く先を見てみたいんです。』と言ってくれたんです。それで僕の右腕として一緒にやってもらおうと決めました。」


◆KRK動画


- 田中さんが桐麺で働きたいと思った理由は?

●田中「最初は子供のために安定した生活をって気持ちが強かったんですが、子供が大きくなってくると

ラーメンをやってみたいなという気持ちが強くなってきたんです。それで桐麺に履歴書を持って行った日はもう自分の気持ちを抑えられなかったんです(笑)。」

 

- その日は奥さんに相談せずに来たんですか??

●田中「後から嫁に『行ってきた』と報告すると、『はぁ?』って顔をされましたね。(笑)」

 

- 製麺に興味を持ったのは?

●田中「常連として通っている頃から『麺が美味い』ってのが頭にあったので、桐麺に入ってからも『麺を打ってみたいな』と思っていました。どんな風に打つのかなって。それで打たせてもらう機会があって打ってみると、こういう風に打つのかってとても楽しかったんです。それからは日々勉強でしたね。」



- 桐麺の製麺部門を担うことへのプレッシャーは?

●田中「麺を打っている時はずっとプレッシャーですよ。これが絶対に正しいというのは無いので、日々進歩しながらしていかないといけないこと。ゴールが見えないけど、ゴールに向かって歩くのではなく走っている状態。」

 

- お客さんの反応については?

●田中「お客さんが麺を啜った時に『麺、美味いな!』という声が聞こえると凄く嬉しいですね。心の中で『勝った!』って思いますね(笑)。」

 

- 全部お薦めだと思いますが、製麺師として敢えてお薦めのメニューを選ぶとしたら?

●田中「僕が好きなのは桐麺醤油ですが、製麺師として選ぶなら醤油つけ麺です。桐麺の鶏白湯で桐麺の麺を食べてもらえる商品です。」

 

- 田中さんが製麺師として大事にしていることは?

●田中「桐さんの理想を僕が製麺師として形にして、お客さんに喜んでもらうことです。桐さんが打つ麺より上じゃないと駄目なんです。同じでは進化がないので、それより上を目指していかないといけないんです。」

 

●桐谷「麺の最高峰に辿り着くための最高の相棒だと思っているので、2人で日本一を勝ち取りたいと思っています。」



 <店舗情報>

桐麺 本店

大阪府大阪市淀川区三津屋北3-1-15

twitter:https://twitter.com/kirimen1

 (取材・文・写真 KRK 令和2年7月8日)