Vol.08:らーめん専門 和海

2011年6月8日、和海という屋号のラーメン屋が武庫川町にオープンした。当時は「ラーメン不毛の地」と言われていた地域だが、半年ほど経つと店の前に待ち客の並びが出来始め、瞬く間に某グルメサイト 兵庫ラーメン部門の1位に上り詰める。傍から見ていると最初から順風満帆のキャリアを送っているように見えるが、短期間でここまでの人気店に上り詰めるまでにはきっと多くの努力、苦労、我慢があったに違いない。本当の姿を見てみたい。和海 木下店主にKRK直撃インタビュー。


─生まれは?

「大阪府寝屋川市です。学校を卒業後、デパートの店員、トラックドライバー、軽天職人など職を転々とし、34歳の時にトレーラーを運転中に事故を起こしてしまって指を大怪我してしまいました。手術をしてなんとかひっついたんですが完治するのに時間がかかりました。で、当時、ウチの母親のお姉さん、おばさんですね。その人が今の和海がある場所の近所で某ラーメンチェーン店をしていたんです。指が完治するタイミングで、その店を僕が継ぐことになりました。ちょうどその店の40年目の時でしたね。」

 

─どんな店だった?

「ラーメン屋っていっても、注文が入るのはほぼ定食でした。悲しい話です(笑)。」

 

─それから?

「そのラーメン店は4年ほどしました。最初の2年間は普通にしてたんですが、残りの2年間は自分の店への勉強期間。営業終わった後、夜中までずっと勉強の日々でした。無添加のラーメンを出す店をしたいって思っていました。」

─なぜ無添加を?

「継ぐんじゃなくて、自分で一代を築きたかった。2代目が嫌でしたね。継いだラーメン店での2年目頃に、ちょうとテレビで塩元帥の高橋さんがインタビューで出ていて、無添加ラーメンってのを知りました。高橋さんがインタビューで『子供にお父さんのラーメンが最高!って言われるのに後ろめたさがあった。自然のモノだけでラーメンを作りたくて塩元帥を始めた。』っておっしゃってたのを聞いて、僕も『これだな~』って思ったんです。」

 

─それで?

「『とりあえず無添加ラーメンを食べてみよう』って思い、西中島の塩元帥(本店)に行きました。で、食べてみてビックリするくらい衝撃が走って、『こんなのが世の中にあるんや?』って。『一軒じゃなくて、もう一軒、無添加ラーメンを食べてみよう』って思い、次は神戸市のしゅはりさんへ行きました。これまたビックリして、『無添加って何なんやろう?』って。それで『やるしかない!』って決心しました。」


─いよいよ本格的に動きだす?

「知り合いもいないし、完全独学で始めました。最初はコップを20個並べて、同じ水の量で同じ温め方で全部メモっていくってところから始めました。僕の性格です(笑)。麺もちょうど麺野郎さんが出てきた頃で食べてビックリして、すぐに日清さんの粉を買って、足踏みしてパスタマシーン買って製麺とかも勉強していました。どさん子ラーメンでの最後の2年間は、夜はこんな感じでずっと勉強の日々でした。」

 

─それで和海をオープン?

「2年間、毎日2時間ほどしか寝ずに勉強をし続けて、『もうやるしかない!』って覚悟を決めました。それで和海を始めることになりました。2011年6月8日にオープンしました。」

 

─屋号の由来?

「お客さんに和んで欲しい。そして子供二人の名前に海をつけてるほど海が凄く好きだったので。『家族を思うのと同じほど、お客さんのことも大事に考えてラーメンを作って提供していますよ。』って意味です。」



─当時のメニューは?

「当初は塩だけの予定だったんですが、オープン2日前に醤油を作ってみると『案外いける』って思って加えました。が、それがかなり叩かれましたね~。甘かったです、考えが(笑)。塩ラーメンの方もずっと研究してレシピ作ってきたんですが、オープンの2日前にガラッとレシピを変えることにしたんですが、それがまあまあの出来だったんです。そこから微調整をしていって、オープン後、4ヶ月くらいは寝ずに勉強を続けていましたね。」

─当時、麺は?

「太陽製麺さん(公式HP)の麺を使わせてもらっていました。製麺機を買うお金もないし、本当に独立するかも分からない僕に太陽製麺さんはいっぱい麺をくれたんですよ。それで『恩返ししないといけない』って思い、最低でも2年間ほどは使おうって思いました。ウチが有名になれば『太陽さんも潤うかな?恩返しになるかな?』って思っていました。」

 

─車麩は?

「とにかく麩を使いたいっていろいろ試してたんですが、なかなか『これだ』ってのがなくて。その時に中村くん(現:和心店長)が『車麩はどうですか?大将、沖縄やし』って言ってくれてピーン!と来ました。僕は祖母が沖縄なんです。」

─その頃のラーメンは?

「ブリックス的には半分ほど。濃度がホント低かった。やり方が独学だったのでどんどんエスカレートしていっていましたね。何度しても納得いかなくて、お金かけてぶち込んだら美味くなると勘違いしていました(笑)。」

 

─お客さんは?

「毎日、ガラガラでした。全然でしたよ。とにかく人通りが少なくて、数時間の間に『店の前を二人通った』ってくらいでしたから(笑)。そして最初にしてたラーメンチェーン店の味に慣れてる人が多かったので、インパクトある化調の強いラーメンが好きな人が多かった。『薄っぺらいラーメンやな』とか批判を受けることも多かったです。でも僕は『身体にいいラーメンしか作りたくない』って強く思ってたので、拘って作り続けていました。」

─この場所を選んだのは?

「その頃、近くに住んでたんですが、『絶対に行列店にする』って決めていたので『ここなら長い行列ができても苦情がこない』と思い、この場所に決めました。狙い通りに今でも全然苦情がないですから(笑)。」



─その頃の目標は?

「『塩元帥さんに追いつく』って考えではなく、『絶対に追い越す』って強い気持ちでしていました。甘い気持ちでは駄目だと思っていました。ちょうどその頃、知人を通して塩元帥の高橋さんと知り合い、店にもラーメンを食べにきてくれましたね。」

 

─「無添加」って看板?

「最初、変なプライドがあってかけてなかったんです。ただ、あまりにもお客さんが来なくて暇だったので『家族を守らないといけない』って思い、プライドを捨てて『無添加スープ、身体にやさしい』って看板をかけました。それから看板を見て、女性客から増え始めていって、ちょうどその頃、ラーメンの味も良くなってきたように思います。」

─それからお客さんが増えていく?

「その頃に何人かのラーメン通の方が来てくださっていて、ブログとかSNSで口コミが拡がってお客さんも増えてきました。食べログも最初の4ヶ月ほどは全く載らなかったんですがね。mixiとか全く知らなかったけど、お店のお客さんがコミュを作ってくれたりして助けてくださっていました。」

 

─その頃のメニューは? 

「オープン当初と同じで、塩、醤油の2本。ウチの一番の売りは最初から塩です。『一番難しいので勝負してやろう』ってずっと思ってて、『ずっと一生、塩を研究していこう』って決めていました。」

─そして?

「順調に来客数が増えてきましたが、予定より早く行列店になって焦りました。その時点での僕の実力以上にお客さんが増えたので焦って、『ここでこけたらアカン』って思い、研究の速度を早めました。限定もその頃にいろいろ出すようになりましたね。限定の中でレギュラーに生かせるヒントを見つけるのもありますが、単に月替わりで限定してたら、それ楽しみでお客さんも来てくれるだろうとか。それまでは本当に暇な日々がずっと続いていたので。イカスミブラックとか、いろいろしていました。」

 

─初のイベント参加へ?

「ちょっとずつお客さんが増えてきた頃に、らの道というスタンプラリーに参加させて頂きました。それからグーンって行きましたね。ウチは6月オープンで12月頃から上り調子で、翌年の夏にいきなりらの道でドーンってきた。7月でちょうど1周年の時でした。他の参加店さんがテレビ出てる店ばっかりだったので恐縮でした。『出ていいのかな?』って感じでしたね。イベント参加は初めてだったし、兵庫代表って責任感もあるし、とにかく『この流れに乗らないと』って凄く頑張りました。」


─味噌ラーメンはいつ頃から?

「味噌は苦労しました。結局、最初のベースができるのに2年ほどかかりました。60種類ほどの味噌を1kgずつ買ってたけど、途中から頭がおかしくなって、一気に捨てたこともあるほどでした。白味噌も2年ほどかかっていますね。チャーシューも独学です。」

 

─サイドメニューは?

「僕はお客さんに出す目標は『いちいち美味い』ってこと。サイドも絶対手を抜かない。例えば、卓上に置いてる『卵かけごはん』とかに使ってもらってる醤油。旨み思いっきり入ってるんですよ。これで醤油ラーメンができるくらい。人気ある『ふわ玉丼』のタレなんて、7年継ぎ足しなんですよ。ふわたま丼は『これだけ食べるためだけにお客さんに来て欲しい』って思いもある自信作です。」

─怪我のため、長期休養?

「手の怪我は最初のラーメン屋の時代からです。棚から丼を降ろすのとか毎日、何年も続けていたことにより、持ち手に負担がかかり続けていて、腱鞘炎が酷くなりバネ指になりました。ステロイドを7年間で18回ほど、手の平に打ちましたね。しかし結局悪化してしまい切開手術をすることになり、和海を4ヶ月ほど休むことになってしまいました。今は切ったところはもう大丈夫ですよ。その時は同時に右腕も痛めていて、両手が塞がってしまってどうしようもなくなって、店を続けていくために治療をする必要があったんですよ。」


─2015年2月6日、2号店をオープン?

「一緒にやってきてた中村くんが独立するなら『練習の店を作ってあげようかな?』ってのがきっかけ。それから話が大きくなってきて、中村くんが『一緒に会社しませんか?右腕になりますよ』って言ってくれたので。チェーン化とかじゃなく、小さい店で職人集団みたいな。」

 

─屋号は?

「和海の屋号と同じように、心は中村店長の娘の名前の一文字で、それに『お客さんに和んで欲しい』って意味を合わせています。」

 

─両店のコンセプトの違いは?

「もちろん自然派ってのは基本にあるけど、和海はバランスのラーメンなので物足りないって人もいるんです。そうじゃなくて、わざとバランス良くし、その代わりに限定で突出したものを作っているってことなんですが。で、『それなら、その限定を和心のデフォにしよう』ってことで、限定の中でも人気のあった『煮干しブラック』や『鰹の強いの』を和心に持っていって、醤油の専門店にしました。和心は今は中村くんにまかせていて、僕はたまにチェックに行くくらいです。」

─2号店オープンに合わせて、自家製麺を導入?

「太陽さんには前から『自家製麺する』ことを伝えていました。ただ和海本店は狭いので、製麺室が作れない。そして2号店『和心』でやっと製麺室を作ることができて、自家製麺を始めました。麺に関しては基本独学ですが、いろんな人がアドバイスをくれましたね。」

 

─つけ麺は? 

「自家製麺を勉強していく内に、つけ麺への興味ももちろん増してきました。そのために切り刃を逆歯っていって、縦に太く作れるように変えましたしね。ただ、現状ではオペレーションの関係でなかなか踏み切れないです。」


─兵庫のラーメン?

「だいぶ変わりましたね。メッチャ仲良いです。一緒に飲んだり。情報交換してる。麦右衛門さん、縁さん、ロックビリーS1とか、みんな繋がりがあります。」

 

─店の規模はこのまま?

「オペレーション的にもこの規模がちょうどいいです。」

 

─今後は?

「僕は行く行くは週休4日制とかにして、あとは他の店で頑張るって形にしていきたいです。趣味もちゃんとしたい。趣味は釣り、海釣りです。業界を変えたいですね。やっぱり『ラーメンの仕事っていいな』ってみんなに思って欲しい。今は『給料安くて、しんどいな』ってイメージなので。夜やめて昼だけ営業スタイルで、夜は自分の時間に使えるって形に。」

 

─それで和海本店は「昼営業のみ」へ変えた?

「オープン当初から『昼だけ営業って形にしたい』と思っていました。昼で終えて、夜は仕込みや勉強、そして家族のために時間を作りたいって思っていた。」

 

─人材育成は?

「人が育ってきたら、もちろん3号店もやりたいです。人を育てるのは大変ですが、人を信じて、自分も勉強するしかない。今は『資質を磨こう』って勉強もしています。」

─今、勉強してることは?

「今、王道を勉強してる。中華そば。透明なのを作りたいとか、煮干しの強いのとかでもバランスいいのとか。」

 

─他の店でラーメン食べたりは?

「空いてる時間にメッチャしています。最近ビックリしたのはとうひちさん(京都)。いちいち美味くて『隙がないわ~』って思いました。新店とか関係なく『勉強させてもらいたい』って思っています。あと、清乃さんも大好き。人間的にも。神楽さんも好きですね~。そういえば、最近行ってきた静岡は衝撃的でしたね。ちっきんさん、めん奏心さん、ABE'sさんとか。煮干しの独特の地域的な味があり感動しました。僕は東京とか東北のラーメンに行けてないので、もっと勉強していきたいですね。まだまだです。」

─最後に、大切にしてることは?

「いつも言ってるのが『日々進化』って言葉。メニューにも『日々改良』って載せています。『進化をやめたらラーメン屋でない』って教えてくれた人がいる。」



<店舗情報>

らーめん専門 和海

兵庫県尼崎市武庫川町2丁目19-3

Twitter:https://twitter.com/rnagomi

 

和心 武庫之荘店(2号店)

兵庫県尼崎市南武庫之荘1-22-23 プラザ8番館1F

Twitter:https://twitter.com/MaxtyokiTyoki

 

(取材・文・写真 KRK 平成27年9月)