Vol.37:らぁ麺 とうひち

2015年3月、京都市北区の住宅街に一軒のラーメン屋がオープンした。店主はあの名門「京都千丸しゃかりき」出身。生揚げ醤油+芳醇な出汁の旨みを楽しめる清湯、昆布出汁に浸かった麺を綴るつけ麺、関西ではまだあまり出会うことのない個性的なラーメンを武器に、一気にスターになる。そして翌年には早くも某ラーメン本の総合GP受賞。行列を作り続けるその人気と共に、各方面からの評価もうなぎ上りだ。この話題の新星にインタビューをするタイミングは今だと思ったので、忙しい中、話をする時間を作って頂いた。「らぁ麺とうひち」袖岡店主にKRK直撃インタビュー! 


- 出身は?

「京都です。」

 

- ラーメンとの出会いは?

「昔から好きでしたね。元々、僕はラーメンフリークでして、小学生の頃からラーメンが好きでした。僕の地元は左京区の岩倉って所なんですが、当時、身近にラーメンって文化が凄いありまして、岩倉いいちよさん、山さんラーメンの前身の岩倉屋台、宇奈月さん、岩倉屋台の発祥ですね。それから天下一品もありましたし、左京区に根付いてる老舗のラーメン屋さんがたくさんありました。僕は小学生の頃からそういうラーメンを食べて育ってきましたから、ラーメンがとにかく好きでしたね。中学生の頃からはラーメン本を買って京都や大阪を食べ歩きをしていました。」

 

- 将来、ラーメン屋をって気持ちは?

「ずっとありました。学生の頃から自作ラーメンをしていましたね。スープを炊くってのにすごく興味があって、鶏ガラを買ってきて炊いたりとか。」

 

- その当時のお気に入り?

「第一旭さん、新福菜館さん、夜鳴きやさん、そうい店の全盛の頃だったので、京都の老舗をよく巡っていました。」

- そして就職?

「『ラーメン屋をやりたいな』って気持ちはあったんですが、実際、どうしたらいいのか分からなかったので、普通のルートに沿って就職しました。」

 

- 就職して?

「ラーメンと全く関係ないインテリア業界で15年ほどお世話になりました。サラリーマン時代も営業職だったので、昼にラーメンを食べる機会が多かったです。その当時、大阪で清湯のラーメン屋さんがちょこちょこ出てきてる頃で、その幾つかの店を食べた時に衝撃を受けたんです。そして『いつか京都で清湯のラーメン屋をしたい!』って思い始めました。一番影響を受けたのは鶴麺さんですね。衝撃でした。」

 

- それから??

「『ラーメン屋をいつかはやりたい』って思いがずっとあったので、会社を辞めることに決めました。まだどこで修行とか全然決めてなかったんですがね。退社後、『清湯をやりたい』ってのがあったので、いろいろ考えていましたね。大阪だと引っ越しとかしないといけないので厳しいなって。そしてその頃、しゃかりきが募集をしていたんです。当時の梶大将(しゃかりき店主)がいろんな限定をしていて引き出しも凄かったんです。お店自体は豚骨魚介の店ですが、限定でする清湯、かなり精度高いのを出しておられたので、いろいろ探した結果、京都千丸しゃかりき(公式HP)で修行するのが一番いいんじゃないかって思いました。」


- 「しゃかりき」へ?

「最初、梶親方に『たぶん続かないのでやめた方がいいんじゃないか?』って言われました。やっぱり親方は僕のことをただのラーメン好きって思っていたようで、『食べることと作ることは全然違う。簡単にラーメンが好きってだけでは続けられない。しかもサラリーマン生活を15年間もしてて無理とちがうかな?』って。」

 

- それで?

「でも『どうしてもラーメンをやりたい』って言いました。その時に『いつか自分の店をしたいので、死に物狂いでしますので3年修行させてください』って言いました。それで社員として受け入れてもらいました。結果的には4年間いたんですが。」

 

- 働き始めて?

「 しゃかりきは『壱馬力』、『一乗寺ブギー』と3店舗ありまして、最初、僕は京産大の壱馬力で働くことになりました。凄い忙しい店で、スープの炊く量とかも凄くて。最初、仕込みを学ぶには良い所ということで、基本をそこで1年半ほど学ばせてもらいました。その次は本店しゃかりきで副店長をさせてもらって1年半、それから最後に一乗寺ブギーで1年半です。1つのラーメン屋でそれぞれ違うコンセプトの3つのラーメン屋を経験させてもらえるという貴重な経験をさせてもらいました。本当にいい勉強になりました。独立に向けて自分のビジョンはだいたい決まってきてたんですが、『もうちょっと勉強したいな』ってことで4年間修行させてもらいました。」


- 自分のビジョン?

「大将からは何も言われなかったんですが、最初から『3年間修行させて下さい』って言ってたので。大将は一乗寺ブギーを僕にまかせてくれて『好きなようにやってくれていい』って言ってくれました。それでブギーにいる間、今、とうひちで出してるラーメンのプロトタイプみたいなのを作っていました。1年くらいかけて限定で鶏清湯を出させてもらって、とうひちの基礎を作らせてもらいました。」

- 東京からの影響?

「生揚げ醤油の鶏清湯。元々、鶴麺さんで食べて、ロックの嶋崎さん(東京)とかで更に興味を持ったので。ブギー時代には『生揚げ醤油の鶏清湯でやりたい』って方向性は決めていました。」

 

それで?

「清湯でやっていくと決めてからも、まだまだ分からなかった面も多くあったので、最初はラーメン本の嶋崎さんの文章を隅から隅まで読んで自分でやっていたんです。それでも実際やってみると分からないことばかりだったんです。その頃、関西ではそういうのやってる店は鶴麺さんしかなかったので、それでブギー時代の1年半、時間を見つけては東京に何度も通っていました。」

 

- 東京に通って?

「東京では『生揚げ醤油の鶏清湯』が最前線だったので、たくさんの店を廻りました。そして僕が『京都で絶対にこれをやりたい!』って確信したのはトイ・ボックスさん(公式HP)に出会った時です。トイ・ボックスさんにはかなり通わせてもらいましたね。あそこってけっこう下町っぽい所にありまして、お客さんの層がかなり年配の方から若い人、子供さん、そういう年齢層のお客さんがトイ・ボックスさんのラーメンを食べるのを見ていて『凄いな~』って思いました。それで『こういうラーメンが京都であっても支持されるんじゃないかな?』って思いました。東京へ行き始めて山上さん(トイ・ボックス店主)と知り合い、本当にいろいろ、カエシのこととか教えて頂きました。だから僕はトイ・ボックスの山上店主のことは第2の師匠と呼んでいます。」

- それから?

「僕がずっと『なぜ清湯がしたかったのか?』ってのは、昔から京都には濃厚なラーメン文化が老舗を含めて根付いていまして、『なんで清湯の店が無いのかな?』ってずっと不思議に思っていたんですよ。その頃、清湯の店っていえば山崎さん(山崎麺二郎)くらいでした。うどん、そばに関しては凄い出汁文化があるのに、なんでラーメンは無いのかな?って。」

 

- 清湯への不安は?

「メッチャ不安でしたね。実際、お店する前も周りから凄い反対されましたし(苦笑)。この立地では厳しいんじゃないか?って言われていました。それで『ここでやるからには相当拘ったのをしないと、お客さんは絶対に来てくれない』って思いました。やるからにはスープ、全部無添加の手作りで、麺も自分でしないといけないって。」


らぁ麺 とうひち(2015年3月20日オープン)


- 場所?

「最初、町中の方で探していたんです。京都駅や四条辺りを探していたんです。でも物件的に町の方だとどうしても店のキャパが小さくなるんですよね。自分がやろうとしてるラーメンを考えると、醤油とかスープとか全部、冷蔵関係のものが多かったので、冷蔵庫の数、そして自家製麺もしたかったのでかなりのキャパが必要になると思っていました。それで困っていた時に、梶大将が『田舎だけど広い物件がある』って紹介してくださったのがこの場所です。『学生が多い街でもあるので、きっちりしたものが作れたら絶対お客さんが来てくれるから』って言ってくれて。それでもこの場所に関してはかなりの不安があったんですが(笑)。電車の駅も無いですから。」

- 屋号の由来は?

「僕の住んでる京都の町はけっこう古くて、苗字の他に『家号』ってのがあるんです。ご先祖の名前なんですよ。それが『とうひち』って言うんです。ご先祖の名前で各お家に全部、苗字とは別に家号ってのが付いているんです。村の中で同じ苗字がたくさんあるので、区別するために全部、家号ってのが付いているんです。」

 

- 丼の家紋は?

「ウチの実家の抱き茗荷の家紋なんです。ウチはサラリーマン体質の家系だったので、商売をするのは僕が初めてだったので『ウチの家紋を背負ってしようかな』って気持ちも込めて、家紋を使用しています。」

 

- 自家製麺?

「しゃかりきは棣鄂さん公式HP)一本だったので、自家製麺に関しては完全にしゃかりきを卒業してから始めました。大和さん(公式HP)で製麺機を購入して、講習などで勉強させてもらいました。」


- オープンして?

「オープンした時は『しゃかりき』出身ってこともあり話題というか、オープン景気みたいな感じでお客様も多く来てくださいました。でもオープン景気が終わってからは厳しい期間もありましたね。でも僕は『このラーメンを理解してもらうのに2~3年かかる』って思っていて、最初は地元密着で地元の人に食べてもらって、『徐々にそれが浸透していけばいいな』って思っていました。でも自分が思っていた以上に、お客様が僕のラーメンを理解してくださるスピードがかなり早かったですね。お客さんの層を見ていても、今までラーメンをあまり食べてなかったようなおじいちゃん、おばあちゃん、年配の方が多く来てくれて、『これやったら食べれるわ』って言ってくれて嬉しかったです。」

 

- 今後の課題は?

「鶏醤油に関しては出汁にしてもカエシにしても日々、微調整をしています。僕の中ではまだまだ100%じゃなくて、もっともっと追及していこうと思っています。」



- 社員?

「最近、やっと社員が何人か入ってくれて、店もまかせれる時も出てきました。ウチの雇う条件の一番は『ラーメンが好き』ってことです。」

 

- 今後の展開?

「店舗展開も考えています。最初はそういう気持ちは全くなかったんです。自分がラーメンを楽しんで作れて、自分の店が1つあってずっとやっていけたらいいなって考えだったんですが、僕の想いを分かってくれる人が育ってきたので、次の展開って気持ちが徐々に出てきました。」

- 食べ歩きは続けているんですか?

「趣味はラーメン巡りです。定休日はラーメンばかり食べていますね。(笑)」

 

- 梶大将について??

「感謝しています。修行時代からあまりやいやい言われなくて、放任というか好きなことをさせてくれていました。ただ厳しいところは厳しいですよ。間違った方向に進んだ時は叱られる、指摘してくれるっていう僕の中ではお父さんみたいな存在です。とても尊敬しています。」

 

- 袖岡店主の拘り?

「ラーメン作りに関して、僕はラーメンというのは『大衆食』だと思っています。年配の方からお子様まで気軽に安心して食べてもらえるラーメンを魂を込めて一生懸命作っていきたい。そして、そこにどれだけの拘りを詰め込んでいけるかなって。今、とうひちのお客さんの層を見ていたら、年配の方からちっちゃいお子さんまで来ていただいてるのでとても満足しています。」



<店舗情報>

■らぁ麺 とうひち

京都府京都市北区大宮北箱ノ井町33-6 セルリアンハイツ 1F

店Twitter:https://twitter.com/touhichi_ramen

 

(取材・文・写真 KRK 平成28年9月)