Vol.119:麺や 厨


 最近、日本各地の大きなラーメンショーでよく名前を目にする静岡のお店がある。そのお店は静岡市の人気店「麺や 厨」だ。私が初めて訪れた時(2016年2月)に、店主から「京都の高安で修行していたんですよ!」と聞いて驚いた。説明の必要もないと思うが、高安といえば京都ラーメンの超有名な老舗だ。こんなスタイリッシュなお店を営んでいる方が、老舗で修行していたことのギャップにとても興味を持ったものだ。

 あれ以来、交流は続いていたがきっちりと話すのは初めてだと思う。京都の老舗時代から静岡で独立するまで、一体どんな道を歩んできた方なんだろう?"麺や 厨"天野店主にKRK直撃インタビュー!


- 出身は?

「四国の徳島県です。」

 

- 徳島は日本屈指のラーメン処ですね。

「ラーメンはメッチャ食べていましたね。近所に"阿波一"という徳島ではけっこう有名なお店があって、僕の中では『ラーメン=阿波一』、週一回は絶対に食べるって感じでしたね。当時は『徳島ラーメン=ラーメン』だと思っていたので、他府県までラーメンを食べにいくってことはなかったです。」

 

- ラーメン屋をしたいって気持ちはあったんですか?

「当時は飲食をしたいとか全く考えていなかったですが、元々、料理は好きだったんですよ。生まれて初めてアルバイトをしたのがラーメン屋だったんです。高校生だったんですが、ホールもキッチンもしていました。ごりごりの徳島ラーメンで、昔ながらのって感じでマスターが煙草をくわえながら麺を茹でているお店でした。そこで約2年ほど働いている時に『ラーメンってこうやって作るんだ。こんなの入ってるんだ!』って知りました。ラーメン作りの基本はその時に学びましたね。」

 

- ラーメン屋をしたいって気持ちはまだ無かったんですか?

「全く考えていなかったですね。高校を卒業して、名古屋に専門学校で出たんです。美容学校で、そのまま名古屋で美容師として働きました。でも元々、僕は海外志向が強くて、24歳の時にバックパッカーで世界一周旅行に行くために、美容師の仕事を離れました。」

 

- 世界一周ですか!

「両親に小さい頃から『海外に行け!行け!』と言われていた影響も大きかったですね。美容師の仕事をしている時も『このまま海外へ行く機会もなくて、いつか退職してから行くことになるのかな~』とか考えていたんです。でも、『いつまで生きれるか分からないから、やりたいことは先にやっとこう!』と決心しました。それから2年ほど海外に行っていましたね。」

 

- 世界一周旅行中に何か気持ちの変化が??

「現在の奥さんと二人で旅していたんですが、その時、僕が料理担当だったんですよ。貧乏旅行だったので、安宿巡りでほぼ自炊でした。外国の方もよくいる宿で、ラーメン食べたいとか言ってくる人もいたんです。一応、ラーメンの作り方は頭の中に入っていたので、手に入る素材があれば作っていましたね。麺もパスタで代用したりして(笑)。徳島は豚骨なんですけど、豚骨が入手できない地域も多かったので、鶏なんかで代用していろんなラーメンを作っていました。外国の方だけでなく、日本人の旅行者にもとても喜んでもらえていたんです。その時に初めて『ラーメン屋になろう!』という気持ちが芽生えました。」

 

- 海外でそのまましようとは思わなかったんですか?

「ちょっとだけ真面目なところがあって、ちゃんと日本のラーメン屋で修業しないと駄目だろうって気持ちがありました。」


- 帰国してからは?

「名古屋に帰ってきてから、ハローワークでラーメン屋を検索していたら、ちょうど京都の高安が出てきたんです。実は若い時に高安に行ったことがあったんですよ。当時、京都の大学に行っていた友達に『美味しいラーメン屋がある!』と連れていってもらったのが高安だったんです。それが移転前の店舗でしたね。それで高安のホームページとか見たら、移転して広くなって綺麗になっていました。」

 

- 名古屋にいたのに、なぜ京都の店を?

 「その時は修業した後、最初から海外でお店をしようと考えていたんです。だから、京都のお店なら外国人の方と触れ合える機会も多いかなと思い、修業先を京都で探していたんです。それで面接に行くと、『翌日から来て!』と言われまして(笑)、京都へすぐに引っ越ししました。」

 

- 高安に入って、どうでしたか?

「徳島時代にアルバイト経験はありましたけど、本格的にラーメン屋で働くのが初めてだったので、初めて尽くしで大変でしたね。最初はホールからでした。昔ながらのやり方だったので、なかなか厨房で働かせてもらえなかったです。でも遠慮していたらいつまで経っても入れないって思い、何回も頭下げてお願いして、ホールの仕事も頑張って認めてもらって、1年ほど経った頃にやっと厨房に入る許可をいただきました。」

 

- 高安で学んだことは?

「一番学んだなと思うのは、お店としての在り方でしたね。大将から何度も『商売をやる心構え』を教えていただきました。」

 

- 高安には何年いたんですか?

「面接の時に3年で独立したいと伝えていました。高安が当時、二号店を出したんですけど、僕が本店から行かしてもらい「お前の好きなようにやっていいよ」って言ってもらったんです。その時にかなりいろんなラーメンを作らせてもらい、それが楽しくて、予定の3年を超えて更に2年。結局、5年ほどお世話になることになりましたね。限定したり、店のマーケティングなどいろんなものを仕切らせてもらい、売り上げが上がっていくのが凄く楽しかったんです。その期間に作っていたラーメンが、独立後のラーメンに繋がっています。」


麺や 厨(旧店舗)2014年6月14日オープン


- 京都から、なぜ静岡に?

「元々は、海外で最初からやろうと考えていたんですが、プライベートなことなんですけど、子供が生まれたんです。いきなり海外に嫁と子供を連れてってのは難しいので、それで国内で探すことになりました。最初は奥さんの地元・愛知県を中心に探していましたがなかなか見つからなくて、次は東海全域で探し始めたら、静岡の物件、旧店舗の情報が出てきました。」

 

- それで静岡ですか!

「その時はまだ京都にいたし、静岡に来たことも無かったんです。それで休みの日に一人で静岡に来ました。物件や街中を見たり、ラーメン屋さんで食べたりして、その日にもう『ここや!』って思いましたね。静岡を調べれば調べるほど、静岡って食材凄いなって。北海道に次ぐほど、いろいろあるんじゃないかって。それで静岡にのめり込みまして、静岡に来ることに決めました。」

 

- 最初から大きな店で始めたんですね。

「その物件は、元々は割烹料理屋さん。何が良かったかというと、まず厨房機器が揃っていたんです。そして大家さんと話したら、料理に関してとても拘り強い方。料理に拘り強いってことは設備もかなりしっかりされているということ。前のお店がなかなかの繁盛店だったようですが、体調面で引退するって話でした。『君みたいな若い子にしてもらえたら嬉しいな』と言ってもらえたのも嬉しかったですね。」

 

- 屋号の由来は?

「幾つか候補があったんですが、当時、自分がテーマにしていたのが"温故知新"。いいものを引き継ぎ、それを僕たちの世代がどのように進化させて新しいカルチャーとして出していくのかって。いろいろ調べていると、どうやら"厨(くりや)"という言葉が、昔の言葉で台所だということだったので、それで決めました。」


- 提供するラーメンは?

「幾つかのレパートリーを用意していました。静岡って場所に決まったことと、なるべく地元の食材を使いたいなって想いもあったので、静岡に来てから、自分の持っていたいろんな引き出しを開けて考えましたね。」

 

- 「うっ鶏そば」とか個性的な名前にしたのは?

「名前はね、なんか降りてきたんですよ(笑)。鶏白湯よりは、オリジナルなネーミングでブランド化していきたいなと思いました。かなり店舗がガチガチの割烹料理屋さんだったので、ちょっとハードルを下げたいなってことで少しポップな名前にしました。」

 

- 当時、静岡で鶏白湯は?

「知っている限りでは、浜松に1軒あったくらいですね。だから静岡の人にとっては、鶏白湯はほぼ初めてだったんじゃないかなと思います。」

 

- オープンしてから順調でしたか?

「偶然にオープン前に取材が入ったんですよ。近所が"ちびまる子ちゃん"の地元ってことで、静岡のテレビがたまたま近所の特集をしていて、その流れで静岡で一番有名なアナウンサーの方が取材に来てくれたんです。そのお蔭でオープン日から大行列でした。」


麺や 厨(2016年12月5日 移転オープン)


- そして2016年、現在の場所に移転するんですね。

「お陰さまで行列ができるお店になり、当初予定していたよりも多くのお客様に来ていただくことになりました。それと同時に駐車場問題なども出てきましたので、移転を考え始めました。」

 

- この場所は?

ちょうどここの地主さんがウチのファンだったんです。それで『うちの土地が空くから、建ててあげるから来てよ!』って言ってくれたんです。だから新築なんですよ!この場所は、清水の旧店舗と静岡の中間地点なので旧店舗の常連さんも来れて、新規のお客様にも来てもらえる場所。良いご縁を頂いて、この場所に決めました。」


うっ鶏そば


- 商品の紹介をお願いします。

「うっ鶏そばは『鶏白湯が無い地域』に持ってきたので失敗できないって思っていました。地域で初めてなので、これが美味しくなかったら静岡に鶏白湯が今後浸透しないというプレッシャーがありました(笑)。鶏白湯の好きなところは旨味が強い。あと静岡の鶏がかなり美味かったんです。富士で作っている鶏を使わせてもらっているんですが、水がいいので鶏が美味しく育ちます。そして地元なので配送コストをかなり安くできるので、鶏は他の鶏白湯屋がびっくりするほど入っていると思います。」

 

- 濃厚なのに、後口はさっぱりですよね。

 「油分に頼らないラーメン作りをしたかったのは、自分がお腹が弱い(笑)。あまり油分が強いとお腹が痛くなるので、自分が食べれるラーメンを作りました。メニューにも書いているんですけど、僕の商品に対するコンセプトは、子供に胸の張れないものは出さない。全ての商品を作る時に、これを胸張って子供に出せるかどうかを自分に問うて作っています。」

 

- 移転と同時に導入した自家製麺については?

「棣鄂さん(麺屋棣鄂)の麺が大好きだったんですけど、そこは職人魂が沸々と湧いてきまして、どうせやるなら麺まで全部自分で作ってラーメン屋かなって想いが芽生えてきました。それで移転のタイミングで始めました。」

 

- 麺は自己流ですか?

「麺が一番苦労しましたね。その時に大変お世話になったのが、浜松の"おえかき"但田店主さん。ここのオープンが迫っているのに納得いく麺ができなかったので、4~5日泊まり込みでずっと麺を作っていたんですけどなかなかできない。製麺機を卸してくれたメーカーさんの言う通りに作っても、納得いく麺ができない。それで但田店主に連絡したんです。レシピを教えてもらったとかじゃなくて、ちょっとしたコツ。わざわざ静岡市まで来て教えてくれました。そのコツを聞いた時に、今までバラバラだったピースがやっと繋がったみたいな感じになりました。その2日後くらいに納得いく麺ができましたね。」

- 最後に一言お願いします。

「修業に入ってからちょうど10年ほどになり、様々な心境の変化が起こってきています。最初は自分にしか作れない美味しいラーメンを作りたい。次は自分にしかできないお店をやりたい。そして今は、みんなでいいお店を作り上げたいという風に気持ちが変わってきました。世界一美味しいラーメンを作ろうとは、今は思わなくなっている。美味しいというのは十人十色で、それはお客様が判断して決めること。もちろん自分のベストを尽くしていますが、世界一美味しいラーメンを作るというよりは、世界一気持ちのいいお店を作ろうと思っています。それを全従業員に言いながら進めています。これから作るお店も含めて、コンセプトとして『世界一気持ちのいいお店にしよう!』と動いています。」



 <店舗情報>

■麺や 厨

住所:静岡県静岡市駿河区国吉田4-4-8

twitter:https://twitter.com/menyaclear

Facebook:こちら

instagram:https://www.instagram.com/menyaclear/

 (取材・文・写真 KRK 平成31年3月4日)