Vol.47:麺将 重厚軍団

関西屈指のラーメン激戦区として有名な一乗寺に、2007年、その店は現れた。オープン前からテレビの取材を受けるような話題の店だったようだ。屋号は「ラーメン軍団」。店主は元々、京都ラーメン情報を発信していた人気ラーメンサイト「元祖京都ラーメン軍団」の管理人。TwitterやFacebookが無い時代、当時のラーメンファンにとっては貴重な情報源だったのだろう。そんな店主が作るラーメンに興味を持ち、私自身も何度かラーメン軍団には食べに行ったことがある。ピーンと張りつめた緊張感ある雰囲気がとにかく印象的で、提供してるラーメンもオリジナル感ある本格派のものばかり。自らが取り組んでるラーメンに対するプライドが滲み出てるという印象だった。そして2016年4月、屋号を「麺将 重厚軍団」に変更しリニューアル。突然の「ラーメン軍団」の閉店、屋号の変更理由、そしてラーメンサイトの管理人からラーメン店開業までの経緯。いろいろ聞きたいことがある。「麺将 重厚軍団」石田店主にKRK直撃インタビュー! 


- 出身は?

「京都です。」

 

- ラーメンは昔から好きだったんですか?

「子供の頃は父親に第一旭や横綱に時々連れていってもらってた程度です。高校時代は土曜は昼で終わるので、その帰り道に駅前の第一旭にみんなで行く程度でした。知ってたのは第一旭、新福菜館、横綱だけでしたから。」 

- 本格的にラーメンを食べ歩くようになったのは?

「きっかけはこの本なんです。関西ウォーカー(1996年)ですね。別にラーメン特集だから買ったわけでなく、私、当時から石田ゆり子さんのファンだったんですよ。石田ゆり子さんが表紙に載ってるから買ったら、たまたまラーメン特集だったんです。で、京都エリアの店がいろいろ載ってたので『一回行ってみようかな?』って思ったんです。」

 

- どうでしたか?

「最初に行ったのが天天有さん。当時の私が知ってたのは第一旭と横綱のラーメンだけだったので、天天有さんのラーメンは全然違ったので、「なんじゃこれ?ラーメンって何なん?」って興味を持ちました。それからこの本に載ってる京都の他の店へも行こうかなって思いました。

 

- この本が運命を変えた?

「以前から『飲食店をしてみたいな』って気持ちはあったので、いろいろ食べには行っていましたが、ラーメン食べに行くってのはあまり無かったですからね。」

- いろんな店へ食べにいくようになって?

「いろいろ味が違うじゃないですか?当時、ますたにさんみたいな背脂醤油とか知らなかったですから。『ラーメンに一味が入ってるの?嘘やん』という感じでした。私は京都の南の方に住んでたので、所謂、豚清湯醤油とかしか知らなかったんです。だから面白かったですね。」

 

- 印象に残った店は?

「やはり最初に食べた天天有さんですね。当時の私には今まで食べたこと無い味でしたので、『え?こんなラーメンあるの?』ってびっくりしましたから。」

- 当時、何でラーメン情報を?

「ラーメン本だけです。まだサラリーマンやる前ですね。高校を卒業してバイトを転々としてた頃です。で、この本を見てから本屋へ行ってみると『京都のラーメン本』みたいなのがあったんですよ。それで更に行く店が増えてきて、翌年になるとまた新しいラーメン本が出てきます。でも、ある時期になるとラーメン本を見ても面白くなくなったんです。なぜかと言うと、全部知ってるから。結局、雑誌レベルは全部行ってしまっていて、そしてその頃には『行ったことないような店』にも行くようになっていたんですよね。例えば『新しい店』や『こんな所に店が無かったな?』って感じで。それまでは雑誌を見て『ここ行ったから、次はここへ行こう』って感じで雑誌に載ってる店だけしか行って無かったですから。 」

 

- 当時、ラーメン食べ歩きのペースは?

「ほぼ毎日食べていましたね。私の場合、今でもそうなんですが、ラーメンって食事じゃないんですよ。おやつ感覚。たこ焼きと同じ感覚なんです。だからサラリーマン時代に外回りをしてたんですが、弁当を食べてからラーメンを食べに行くって感じでした。ほぼ毎日、弁当食べた後に『今日はどこ行こうかな?こないだあんな店があったな』とか、外回りで通った道沿いで『こんな所に新しい店ができてるわ』とか。」 


- ラーメンサイトを始めるきっかけは?

「ある日、当時、京都ラーメンの情報を発信していて有名だった『京都ラーメンマップ』や『としむねの部屋』を友達のパソコンで見せてもらったんです。2002年頃ですね。としむねさんの行動範囲にはびっくりしましたね。『あ~、舞鶴にもあるんだ』って。それで2つの人気サイトを見せてもらってて思ったのが、京都に関しては私もこの情報レベルは知ってるなって感じだったんです。そうすると私も自分のサイトを作りたくなってきたんです。ただ、パソコンも持ってないし、触ったこともなかった。それで半年間、パソコンスクールに通ったんですよ(笑)。自分のラーメンサイト開設のためだけにです。それからパソコンを買って」

- サイト名の由来?

「一人でしてたんですが傍目からは『大きく見せたいな』ってこともあったので、いろんな集合体、いろんな人が集まってしてるように見せたかったのもあったので、『ラーメン軍団』って名前にしました。

 

- ラーメン軍団の内容?

「京都のラーメン紹介。新店舗開店情報。外回りをしてると『ここ、どう見てもラーメン屋ができそうだな?』ってのがあるし、広告代理店で勤務をしてたので求人関係でオープニングスタッフ募集とかの情報が入ってきてたので、そういう情報を出していました。今だったらTwitterとかの方が早いですが、当時は無かったですからね。」

 

- それから?

「新店情報を出してるお蔭でいろんな業者さんがウチのサイトを見るようになってきましたね。オープン前の店の情報は業者さんにとっても貴重ですからね。棣鄂さんや宝産業さんともサイトを通じて仲良くなりました。」

 

- ラーメンサイトは何年ほどしてたんですか?

「4年間くらいしましたね。たまには京都以外も食べに行ったりしてましたがサイトに載せたりしなくて、あくまでも京都のラーメン情報だけサイトには載せていました。


- ラーメン屋を始めるきっかけは?

「最初、お好み焼き屋をしたかったんです。お好み焼きを家で自作したり、外で食べたりしてたんですが、2002年に飲酒運転の規制がすごく厳しくなったんです。あれを機に「あ~、駅前とかでしかできなくなるな」って。気軽にお好み焼きを食べて一杯飲んでってのができる場所が限られてきますからね。それでお好み焼き屋を断念したんですが、でも飲食店はしたいって思っていました。『何ができるかな?』って考えてみたら、『ラーメンしかないな』って思いました。それからラーメンの自作をするようになりました。やっぱりなかなかできないものなんですが、ラーメンを作ってて面白いんですよね。」

 

- それから?

「ホームページしながら、ラーメンを自作して、そしていろんな店で食べ歩きを続けてました。このままズルズルとサラリーマンをしてても踏ん切りがつかないので、ちょうどサラリーマンをしてて10年目の時に、節目だなって思い退職させてもらいました。

 

- 場所は?

「この物件は私が所有してるんですが、サラリーマン時代に買ってるんです。当時、ラーメン屋をするなら『百万遍とか一乗寺でしたいな』って思って物件探しをしていたので。京都ラーメンの中心部分ってのは一乗寺か百万遍でしたから。物件は早い時点で押さえていました。」

 

- 当時の一乗寺は?

「まだ今のような激戦区ではなく、移転前の高安さんがメッチャ並んでるって程度。夢を語れさんやあきひでさんも無い時代です。最初、不動産屋さんにこの場所に連れてきてもらったら、スケルトン(内装設備等が無い状態)だったんですよ。『あ~ここだったら、自転車も停めれるし、前道も広いし、他のラーメン屋さんも近いし、いい場所だな~』って思いました。」


ラーメン軍団(2007年1月27日オープン)


- ラーメン軍団のラーメン?

「自作してた時代はあまり考えてなかったんですが、今の原点と考えると、まりお流さんや無鉄砲さんですね。あの頃、月2~3回行っていましたから。『重厚ラーメン』と、あっさりした『原点ラーメン』。濃いラーメンが駄目な方、例えば二人が来て一人が濃いのが駄目な場合でも食べれるようにあっさりも加えました。麺は棣鄂さんと宝産業さんの麺ですね。サイト管理人してた頃からお付き合いさせてもらっていましたし。」

 

- 全て自己流?

まりおさんに少し聞いたりした程度ですね。現場で教わったとかは全く無く、独学です。」

 

- 屋号?

「管理人をしていたラーメンサイト名のまま。その方がが既に知っててもらってるので。やっぱりサイト見てくださってる方なら一回は食べに来てくれるだろうなってのもありました。」

 

- オープンして?

「『人気ラーメンサイトの管理人がラーメン店をやる』ってので凄い話題になっていました。オープン前からテレビ番組『せやねん!』の取材もありましたから。なぜオープン日が1月27日になったのかというと、せやねん!の放送日なんですよ(笑)。放送日までにオープンしてもらわないと困るのでって言われたので(笑)。開店してからお蔭様で多くの方に来てもらえましたが、それでも3週間ほどでしたよ、開店景気ってのは。それから横這いになりましたね。」



- 開店景気が終わってから?

「それから梅雨がきて、お客さんがどっと減りました。ビックリしましたね。夢を語れさんがウチより3ヶ月前にオープンしてるんですが、あそこはいつでも雨でも大行列でしたからね。だから悩みましたね。そんな時に梶さん(しゃかりき店主)から『こういう時期は誰でも経験するから悩まなくていい』って言って頂いたんです。でもやっぱり夢を語れさんの行列が見えるんですよね(笑)。それで6月~7月ってずっと悪い状況が続いていたんです。そういうの麺屋さんって分かるじゃないですか?オープン時はあれだけ売ってたのに急にドーンと止まっているじゃないですか?それで棣鄂さんや宝産業さんが心配してくださって、「つけ麺をやってみたら?」ってアドバイスをくださいました。」

 

- 当時、つけ麺については?

「しゃかりきさんが当時、つけ麺を凄い売っていたけど、私がその時点で食べたことあったのはまりお流さんのつけ麺くらい。つけ麺について全然知らなかったので、しゃかりきさんにつけ麺を食べに行ったんです。「あ~、こんなのなんだ」って。しゃかりきさんは清湯のつけ麺。ウチは今ほどの濃度じゃないけど豚骨のドロドロでしてたので、『ウチのスープでつけ麺したら違うものができるだろうな』って思いました。


- つけ麺はどうでしたか?

「8月から期間限定で販売しました。やっぱり売れましたね。つけ麺ってのがほとんど無かった珍しさとかもありましたね。当時、mixiしてたので『つけ麺始めました』って出すと、バーっとお客さんが増えました。それでどん底から多少持ち直しました。つけ麺をしてなかったら、この店はもう潰れていたと思います。」

 

- それから?

「2ヶ月ほどつけ麺をして、麺とか見直す部分もあるからつけ麺は一旦終了しました。その後、関西中のつけ麺、当時あまりつけ麺をしてる店も無かったんですが、どこも自分の望んでる麺が無かったんですよ。それはスープが根本的に違うので当たり前なんですよね。今だったら東京とか行くんですが、当時はそんな考えもなったので、四神伝さん、麺座ぎんさん、純情屋さんとか。自分の理想の麺がなかったので、自分でいろいろ紙に書いて、棣鄂の工場長に「こんな麺を作って!」って頼みました。」

 

- つけ麺再開して?

「で、12月に出来上がった麺でレギュラーとして再開しました。すぐに火が付いたわけでなく、翌年の夏でもそこまで人気が出なくて、秋くらいからですかね。関西につけ麺ブームが来たんです。それで『なんちゃってつけ麺』がいろんな店から出てきて横行してきたお蔭で、食べ比べをしてくれた学生の間で噂になり、ウチのホンマもんのつけ麺が人気が出ました。一乗寺で販売してる店もウチだけだったし。それから並んでるお客さんも含めて全員がつけ麺注文って感じになりました。今はマタオマ系になってしまった濃厚系魚介つけ麺を関西で一番最初に販売したのは私ですよ。」



- 人気のまぜそば誕生のきっかけは?

「つけ麺をバンバン売ってる時代に、食べ歩きで愛知に行ったんです。それで偶然、得道さんで『まぜそば』ってのを見つけたんです。『何、まぜそばって?』って。それで食べてみたらビビーって来て。『まぜそばを一乗寺でしたら、絶対に売れるやん』って。それから度々愛知に行って徹底的に食べ歩きましたね。ネットで『愛知県・まぜそば』で検索して片っ端から愛知県のまぜそばを食べ歩き、良い点、悪い点、これはいる、これはいらんな、とかピックアップしていきました。それから1年後に作り上げたのが今の『Jまぜそば にんにく』です。当時はまぜそばは関西に無く、関西でまぜそばをレギュラーメニューにさせたのは私だと思います。」

 

- Jまぜそばの「J」とは?

「元々は『ジャンクのJ』,『 重厚のJ』。後から『二郎のJ』とか言われたんですがね(笑)。二郎への意識が無いと言えばウソになるかと思います。近くで夢を語れさんがあれだけ流行ってるんですから、あれ系を意識していましたし。名古屋でも『ら・けいこ』とかありますしね。」

 

- まぜそばの人気は?

「提供を始めてもまぜそばなんて誰も注文しなかった(苦笑)。得体の知れないものじゃなく、みんなつけ麺を注文していましたね。全く売れませんでした。まぜそばは人気出るまで3年かかりましたからね。」

 

- きっかけは?

「まぜそばを提供する店が他にも出てきたので、お客さんも比較するようになり、学生さんの間でまぜそばの注文が増えて、2年ほど前からつけ麺より注文が多くなりました。」


- 恒例となってる大晦日限定は?

「元々、オープンした年の大晦日に営業はしてるんですが、誰も来ない。やっぱり通常の18時~23時だと誰も来ない。それで翌年、つけ麺だけで23時から夜中営業をしたらかなり売れたんです。でも次の年はこけた。そしてその翌年はまた売れて「あ~、大晦日でも出るやん」って。その繰り返しが続き、それで5年目かな?つけ麺人気も落ち着いてきたので、『何か違うことないかな?どうせなら夜中しかしないし、今までしたことないことをしようかな?』って思い、大晦日限定をするようになりました。味噌ラーメンをしたり、鶏をやってみようかな?とか。そんな派手なことをしていませんでしたが、年々エスカレートして鮮魚、牛、羊、鹿などするようになってきました。」


麺将 重厚軍団(2016年4月5日)


- 2016年、突然のリニューアル

「元々、バイトと二人でしてたんですが、この1~2年は求人広告を出しても全く電話が鳴らない。既存のバイトも卒業。ウチの場合、人がいないと絶対に回せなかったので、『このままだと営業出来ないな』って思ったんです。そしてそれと同時にやっぱり長くしてきて補修箇所、床に穴あいてきたり、カウンターが剥げ剥げ、壁がどろどろとかあったので、『それやったら一旦スケルトンにして一から作り直して、ワンオペでした方がいいな』って思いました。

 

- 屋号も変えたのは?

「屋号も変えたかったんですよね。つけ麺とまぜそばが人気出て注文の9割ほどになり、ラーメンが一割しか出てない店が「なんでラーメン軍団なん?」って。世間的にあまりラーメン食べてない人なら『つけ麺もラーメン』っていう人もいますけど、全然違うじゃないですか。ラーメンはスープがあって、つけ麺は別々で、まぜそばは汁が無いもの。私の中でラーメン軍団って屋号に2~3年前からひっかかっていたんです。で、どうせなら屋号も変えて、全部一からやり直そうって思って、2016年3月にラーメン軍団を終わらせたんです。告知せずに水面下で工務店と打ち合わせをしていました。レイアウトとかですね。今のつけ麺とまぜそばのオペレーションをどうやったら一番導線短くて、効率的にできるかってずっと考えていました。そういう形がこれ(現在)なんですよね。」

 

- 思い描いた通りに?

「完璧ですよ。前は食器洗浄機や券売機も無かったですからね。今は前から残ってるバイトには『勤務したい時においでや』って言えるほど、どんなに忙しい時でも一人で回せます。券売機の存在は大きいですね。最初レジだけだと思ってたんですが、よーく考えたら注文聞くのも省けるんですよね。」

- 自家製麺?

「2年ほど前から、夢を語れさん、きらりさん、諭吉さんに自家製麺のことを色々聞き、私も作ってみたくなったんですよ。ラーメン軍団を終わる少し前から始めていて、メッチャ嵌まってるんですよ。自己流じゃないと今まで使ってた棣鄂さんみたいな麺を作れないんです。やっぱり粉屋さんや製麺機屋さんに教わったやり方では全然作れない。ウチのつけ麺の麺にしてもよそとは違うんです。関東は分からないですが、関西で食べたこと無い麺なのでマニュアル通りに作っても無理なんです。」

 

- 更に麺に拘っていく?

「ウチはもはや『ラーメン屋』って頭が無くなってきてるんですよ。どっちかと言うと、『中華麺を使った麺料理屋さんを目指したいな』って思ってるんです。屋号に『ラーメン』も付いていませんから。麺ってほぼ100%食べてくれるじゃないですか?スープは半分残したり、健康のこともあるし、口に合うかどうかもありますし。でも手間暇かけたものを残されるのはやっぱり嫌って気持ちもありますし。それなら重点を置く比率を麺に向けたらって思うようになりました。」

 


- 現在、ラーメン食べ歩きは?

「休みになったら行きますが、今は店とリンクする店しか行かないですね。ウチの店に繋がるヒントになる店ですね。東京に行ってもピックアップする店は自分の店にリンクする店ばかり。有名店に行くとかは今は全然興味ないです。」

 

- 今後?

「今、基本一人ですし、好きなことをやってます。やりたいことをしています。スープ炊く設備あるし、麺作れる設備がありますから、その気になれば何でも出来ます。今は原価を考えていないです。粉もいろんな粉を仕入れて試してるし、まぜそばでも『ガンガン押したれ』って感じで作っていっています。もしこの店をやりたい方が現れましたらその方に任せ、私は街中の路地でカウンター5席ほどのラーメン専門店『ラーメン軍団』を再開させたいですね。」



<店舗情報>

■麺将 重厚軍団

住所:京都府京都市左京区高野泉町6-74

Twitter:https://twitter.com/j_gundan

 

(取材・文・写真 KRK 平成29年3月)